ミント
ログハウスの玄関ドアを颯爽と開けると、思いもよらぬ光景が迎えてくれた。
廊下の向こうで小さな女の子がうつ伏せに倒れていて……そのまわりには血だまりが広がっていたんだ……!
髪型と服装で、すぐに誰かがわかった。
こうして動かないのが、信じられないくらいの人物……!
「み……ミントちゃん!? どうしたの!? 何があったの!?」
私は前のめりになり、転がるようにして彼女の元へと駆け寄った。
すると……異変が起こる。
ミントちゃんの身体はピクリとも動かなかったんだけど、彼女のポニーテールだけは、私の呼びかけに反応するようにピーンと立ったんだ。
ミントちゃんはいつもポニーテールにしていて、猫の細工が施された大きな髪留めをしている。
その髪留めには不思議な魔力があって、身につけている者の感情を反映して、髪の毛を動かすんだ。
いまの彼女のポニーテールは糸で引っ張られてるみたいに立ち上がっていて、先っちょがフリフリ揺れている。
ワクワクをガマンしている犬の尻尾みたいな、そんな動き。
思惑を理解した私はそっとしゃがみこんで、ミントちゃんの脇腹に手を差し入れた。
「このーっ! いたずらっ子め! こうしてくれるっ! こちょこちょこちょ~っ!」
驚かせたお返しとばかりに、容赦なくわしゃわしゃする。
私のくすぐりにあわせ、かつて死体だった女の子は釣られた魚みたいにバタバタと暴れだした。
「きゃはははははははは! くすぐたぁーい! きゃはははははははっ! リリーちゃん、おかえりぃーっ!」
弾ける笑顔でトビウオのように跳ね、私の胸に飛び込んでくるミントちゃん。
飼い犬の歓迎のように、頬をペロペロ舐めてくれた。
私は彼女の赤い鼻先を、ペロリとなめ返す。
すると、ケチャップの味がした。
「ただいまミントちゃん! もう……本当に何かあったかと思ったじゃない……! どうしてこんなイタズラをしたの?」
別に怒ってるわけじゃない。
心配しちゃったのはあるけど、イタズラとわかったからもうなんともない。
むしろどうしてコレを思いつき、実行に移したのかが気になったんだ。
ミントちゃんは私の腕のなかで、思い出すように瞳をクルクルさせながら言った。
「えーっとねぇ、リリーちゃんにいつもビックリしてるから、リリーちゃんをビックリさせたいとおもって」
「私にビックリしてる? ミントちゃんが?」
意外な理由に尋ね返すと、彼女はコクンと頷いた。
「うん! リリーちゃんとぼうけんしていると、いつもビックリするの!」
「私、そんなにビックリさせるようなこと、してるかなぁ……? 例えばどんな?」
するとミントちゃんは「んーとねぇ、んーとねぇ、んーと、んーと」と唸ったあと、
「よくおぼえてないや!」
花のような笑顔を咲かせた。
私はそんな彼女がかわいくておかしくて、つい吹き出してしまう。
「ふふっ! そっか、覚えてないのかぁ。それじゃ、しょうがないね。んじゃ、後片付けしよっか……ってその前に、お風呂のほうがいいかな?」
ケチャップという名の血にまみれているミントちゃん。
抱きつかれてしまったので、私もベトベトになっている。
「それよりもミント、おなかすいちゃった~」
その一言に、ムギューと私のお腹も同意した。
「そうだね……それじゃあ、お着替えだけしよっか。それからゴハンだ!」
「わーい! ゴハン、ゴハーン!」
私は大喜びするミントちゃんを抱っこしたまま立ち上がり、お風呂場へと向かった。
脱衣所で新しい服に着替えたあと、廊下に戻る。
床にぶちまけられているケチャップを掃除しようと思ったんだけど、シートみたいなのが敷かれていて、思ったより簡単に片付いてしまった。
ミントちゃん曰く「シロちゃんがやってくれたのー!」とのこと。
私は思わず唸ってしまった。
さすがシロちゃん……!
ミントちゃんのイタズラの後片付けのことまで考えてくれるなんて……!
シロちゃんに感謝しつつ、ゴハンにするためリビングへと向かう。
ミントちゃんを抱っこしたままリビングの扉を開けると、上からビックリ箱の中身みたいなのが降ってきた。
「うおっ!?」
私は見事に引っかかってしまい、ひっくり返るくらいビックリしてしまった。
そしてなぜか、私の腕の中にいるミントちゃんもひっくり返っていた。
ポニーテールが猫の尻尾みたいにブワッってなっちゃってる。
「ちょ、ミントちゃん……!? なんでミントちゃんまでビックリしてるの……!? これ、ミントちゃんが仕掛けたんじゃないの……!?」
すると彼女は目を回しながら、
「わ~す~れ~て~た~!」
ふさふさのポニーテールを振り乱す勢いで、ブンブン首を振っていた。
やれやれと思いつつ、部屋の中に入ると……なんと食卓にはゴハンの準備がすっかり整っていたんだ。
そのメニューに、私は見覚えがあった。
「これ……『手巻き寿司』……?」
『手巻き寿司』というのは、東の大陸シブカミより伝わった料理。
大きな海苔に酢を混ぜたゴハンを乗せて、その上に好きな具をトッピングして巻いて食べるんだ。
「うん! シロちゃんがやってくれたのー!」
にぱっと笑うミントちゃん。
そっか……シロちゃんはミントちゃんが料理できないことを知ってるから、わざわざ用意してくれたんだ。
しかも、メニューの選択も絶妙。
完全に出来上がったものじゃないというのがミソだ。
作る手間が少しはあるから、ミントちゃんに料理を作るお嫁さん気分を味わわせることができる……!
ナイス! シロちゃん……!
私はまたまた彼女に感謝しつつ、さっそく食べようとイスを引いて腰掛けようとした。
……どがっしゃん!
しかし座面にお尻がついた瞬間、イスはバラバラになり……私は思いっきり後ろにでんぐり返りしてしまった。
同じく天地がひっくり返った体勢で、「うにゃあっ!?」と毛を逆立てているミントちゃん。
「また、忘れてたんだね……」
すると彼女はペロリ、と舌を出した。
私をビックリさせるために仕掛けた罠だから、私がビックリするのはいいんだけど……。
仕掛けた本人までビックリしてたんじゃ、なんだか先が思いやられるなぁ……。
私はやれやれと立ちあがり、今度は慎重にイスを選んで腰掛ける。
ひざの上でちょこんと座っているミントちゃんと、手巻き寿司ごっこ。
お互いに手巻き寿司を作って、それを相手に食べさせっこするんだ。
私は手始めにハムとキュウリを乗せ、マヨネーズで味付けした手巻き寿司を作る。
ミントちゃんもできたようなので、せぇーの、でお互いが差し出す手巻き寿司にハムッとかぶりつく。
次の瞬間、私とミントちゃんは再び床にひっくり返っていた。
イスが壊れたわけじゃない……手巻き寿司が激辛だったんだ……!
「「か……からぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーいっ!?!?」」
私とミントちゃんはひとしきり床で悶絶したあと、テーブルに這い上がって水をゴクゴク飲んだ。
ぷはぁー、と一息つくミントちゃんに、私はジト目を向ける。
「シロちゃんに、激辛入りの具を頼んでおいたんだね……それで、忘れちゃってたんだね……」
しかし小さなお嫁さんは反省するどころか、「エヘヘー!」ととっても幸せそうにしていた。
「うんっ! リリーちゃんといっしょにビックリするの、すっごくおもしろーい!」
心の底から喜ぶような笑顔に、私の心の奥にもあったかい火がともる。
……もしかしてミントちゃんは、自分がビックリするだけじゃなく……ましてや私をビックリさせるだけじゃなく……ふたりで一緒にビックリしたかったのかな……。
そんな彼女に、私はどうしたかというと……それはもちろん……!
「……私も! ミントちゃんと一緒なら、どんなビックリでも大笑いできるから好き!」
コツン! とオデコをくっつけあわせると、自然と笑いが漏れる。
クスクス笑いだったそれは、あっという間にお腹を抱えるほどの大爆笑になった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ゴハンを食べ終えたあと、ふたりで一緒にお風呂に入った。
このお嫁さんごっこの間は、お風呂はティアちゃんの屋敷の使用人さんが沸かしてくれる手はずになっている。
お風呂場に入ると、ふたりが入るのにちょうどいいサイズの浴槽に、ちょうどいい湯加減のお湯が張られていた。
私はミントちゃんを抱っこして湯船に浸かる。
別にこうしなくても入れるくらい広いんだけど、せっかくだしね。
ミントちゃんの肌は赤ちゃんみたいにすべすべて、濡れるとぴったり吸い付いてくる。
それで密着すると、まるで彼女とひとつになってるみたいで気持ちいいんだ。
私はミントちゃんの身体をぎゅっと抱きしめ、髪の毛に頬ずりする。
全身で彼女を堪能していると「ミントもほおずりしたーい」と言われてしまった。
「じゃ、後ろ向きじゃなくて、前向きに抱っこしよっか?」
「うん!」と元気な返事が返ってきたので、ミントちゃんの身体を回転させて、私と向かい合わせにしようとしたんだけど……動かなかった。
ミントちゃんの身体じゃなくて、私の腕が……!
いや、腕だけじゃない……!
腰や背中、手の指先から足のつま先にいたるまで、なにもかもが……!
そして私は気づく。
身体が石化していることに……!
い……いや、違う……! 肩から上は、普通に動かせる……!
ってことは……! お湯が固まってるんだ……!
気づいたときにはもう遅く、湯船は乾いた石膏のようになっていた。
胸から下の身動きがとれなくなっていて、水面の動きすらも時が止まったようになっている。
こ……これってもしかして、かなりヤバい状況なんじゃ……!?
私の身体はあたたかいものに包まれているというのに、背筋の震えが止まらなくなっていた。
こっ、このままじゃ、誰かに気づいてもらえるまで、出られない……!?
いっ、いったい誰が、こんな恐ろしいことを……!?
「あっ、そっかぁ……!」となにかを思い出したような声が、私のアゴの下から立ちのぼった。
「まっ……まさか、ミントちゃん……!?」
無邪気な後ろ髪が揺れる。
彼女は首だけ捻って私のほうを向いたかと思うと、
「おゆにカチコチのもとをいれてたの、わすれてた……!」
いつもと変わらぬイタズラっ子の笑顔で、ペロリ、と舌を出した。




