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リリーファンタジー  作者: 佐藤謙羊
空から来た少女
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「わーい! かみどめー!」


 まっしぐらに走り出すミント。皆は引っ張られるようにしてついていく。


 インプたちが残していったハリガネのウイッグ。そのうちのひとつである固いポニーテールを拾いあげると、くっついていた猫の髪留めを取り外した。


「つけて~」


 トテテテとシロの元へと駆け戻る。

 「はい、かしこまりました」と髪留めを受け取ったシロはしゃがみこみ、ミントと目線を合わせた。


 ミントの顔がだいぶ煤けていたので先にこちらをなんとかしようと白いハンカチを取り出す。

 おろしたてのようなハンカチ。使うのをためらってしまいそうな白さであったがシロは何の躊躇もせずミントの顔にあてがった。


 白いハンカチは吸い取るように汚れを落とし、すぐに真っ黒になった。

 汚れたハンカチをたたんで仕舞うと、別の白いハンカチを取り出し、残りの汚れも丁寧に拭きあげた。


 ミントの顔がすっかり綺麗になったのを確認すると、次は手ぐしで髪を梳きはじめる。

 ライトブラウンのセミロングが白い手によってサラサラとそよぐ。ミントは毛づくろいされる猫のように目を細めた。


 シロにとってミントの身だしなみを整えるのは歯を磨くのと同じくらい毎朝やっていること。顔を拭くのも髪を梳くのも慣れたものだった。

 手際よく髪をまとめ、大きな金属の髪留めで仕上げる。


「はい、できましたよ」


「わーい! ありがとうシロちゃん!」


 真夏の太陽のような満面の笑顔を見せるミント。顔の汚れがなくなったので眩しさもひとしおだった。

 猫の尻尾のように立ったポニーテールもご機嫌な様子で揺れている。


「どういたしまして」


 暖かい春の日差しのような微笑みを返すシロ。


「いいなあいいなあ! 私もやって! シロちゃん!」


 仲良し母子のようなふたりを見ていて我慢できなくなったリリーが割り込んだ。


「はっ、はい、かしこまりました。あの、リリーさん、お体のほうは大丈夫なのですか?」


「うん、もうなんともないよ!」


 はやる手つきで三つ編みをほどくリリー。

 身体は土や血で汚れていたが、それを感じさせない壮健さだった。


「そうですか、それはよかったです」


 リリーの口ぶりは心配させまいと無理している様子ではなかった。シロはほっと安堵する。


「では、お顔からお拭きいたしますね」


 シロはルーチンワークのように三枚目のハンカチを取り出すと、ミント以上に汚れている顔にとりかかった。


 顔をフキフキされながら、リリーはせっかくだからここで休憩しようと提案する。

 逃げ出したインプが仲間を呼んで戻ってくる危険性があったが、この洞窟に来てからというもの息つくヒマもないほどのトラブルの連続だった。

 この先にさらなる難関が待ち構えているかもしれないと考えると、ここで休んでおいたほうがいいということになった。


 車座にって座る一同。その輪の中を行き来して、皆の顔を拭いてまわるシロ。


「……なあシロよ、そなたは何枚ハンカチを持ち歩いておるんじゃ?」


 今ミルヴァの顔を拭っているのは新しく取り出されたハンカチだった。

 シロはまるで手品のように次々とハンカチを出してくるので尋ねずにはおれなかったのだ。


「はい、一緒に冒険させていだく方々のことも考えて多めに……えっと、今は12枚ほどあります。あっ、ですが」


「12枚!?」


 話の途中で驚かれてしまい「ポーチの中にはもっとありました」とは言い出せなくなってしまった。


「あ、あの、変、でしょうか……?」


 戸惑うシロをすかさずリリーがフォローする。


「ううん、ゼンゼン変じゃないよ! っていうかシロちゃん、みんなの分も持ってきてくれたんだよね? ひとり2枚の計算で、ミルヴァちゃんもいるからぜんぶで12枚!」


「は、はい、おっしゃる通りです……」


 冒険者というのは武器を手放さないものだが、自分が重要だと考えるものは武器と同じように帯行する。

 荷物に入れると失う可能性があるので、肌身離さない箇所にも隠しておくのだ。


 ミントは髪留め、クロは携帯用の片手杖がそれにあたる。

 シロは清潔なハンカチを万能だと考えていた。こうして清拭することもできるし、怪我したときなどの応急処置にも使える。


 リリーの見通したとおり、シロは必ず同行者ひとりにつき2枚のハンカチを携帯するよう心がけていた。

 インプに奪われてしまって今はないが、腰のポーチには予備のハンカチも常備するという周到ぶりだった。


「おおっ、なるほど、そういうことか、シロ、ほめてつかわす!」


 神様にほめられて、シロは恥ずかしそうにうつむいた。


 ミルヴァを拭き終えたシロは次にクロの顔を拭いた。

 クロは拭かれている最中微動だにしなかったので傍からは彫像の手入れでもしているかのように見えた。


 次にシロはイヴの元へと向かう。


「大丈夫ですか、イヴさん……あの、お顔を拭かせていただけますか?」


 しかしイヴはシロの手からハンカチをひったくった。

 「あっ」と悲しそうな声をあげるシロ。


「そんな顔するんじゃないの、顔くらい自分で拭くわ。それになんだかわかんないけどインプたちを見てムカムカしてたら急に力が沸いてきてね。じっとしてらんないのよ」


 イヴは言いながら奪ったハンカチで額の血をゴシゴシと拭い、出血が止まったことを確認する。

 リリーの呪文のおかげではあるが気づいておらず、自分の精神力でなんとかなったと思っているようだ。


 呪文を唱えたリリー自身もイヴが復活したのは彼女自身の不屈の闘志によるものだと思っていて、イヴちゃんはすごいなぁと感心していた。


 ……リリー自身も『秘密の呪文』の効果については理解していない。

 母親からは『勇者のティアラを持つ者だけが使える、とっておきの呪文』とだけ教えられた。

 唱えると大好きな母親のことを思い出して元気が沸いてくる、ただのおまじないのようなものだと思っていた。


 イヴが顔を拭いている最中、他のメンバーでシロの顔を拭いた。

 シロは最初は遠慮したがリリーとミントとミルヴァとクロの押しに勝てるわけもなく、こぞって顔を拭かれていた。


 仲間たちの顔がすっかり綺麗になったことを確認したリリーは含み笑いをしつつ腰のポーチから何かを取り出した。


「フフフ……仕上げはやっぱりコレだよね!」


 小さな木筒を見せびらかすように「じゃじゃーん!」と掲げる。


「おっ!? それがウワサのレインボーハミングバードの蜜蝋で作ったリップじゃな! 苦しゅうない、余に塗るのじゃ!」


「えへへ、いいよ!」


 なぜレインボーリップのことをミルヴァが知っているのかなどとは気にもとめず、リリーは嬉しそうに木筒を捻ってリップの頭を出した。

 瞼を閉じて唇を突き出すミルヴァの頬に手を添え、小さな唇にリップを塗る。


「そういえば……ミルヴァちゃん、私が初めて神聖界に行ったとき、なんでキスしろだなんて言ったの?」


 ミルヴァのキス顔を見ているうちにふと思い出いだしたことを尋ねてみるリリー。


「うむ、本来はあの門戸に穴を開けて余が顔を出して迎えるつもりだったんじゃ。そこで余と接吻したら門を開くようにしたかったんじゃが……穴を開けている最中、皆に止められてしまってのう」


「えっ、私とキスしたかったの? なんで?」


「そりゃリリーとキスしたくない者などおらんじゃろ、のう!」


「なんでアタシに向かって言うのよ!? あっ、アタシはしたくないわよ!!」


 ミルヴァはイヴを見ながら同意を求めたが、イヴはファイヤーインプのような赤い顔で怒鳴り返した。


「まあ、そういうわけじゃ」


「なにがそういうわけかわかんないけど……まあいいか、はい、できたよ!」


 リップを塗り終えたミルヴァはホゥと恍惚の溜息をついた。自然と顔がほころぶ。


「ほおぉ……これは……なんという多幸感じゃ……ウヒョヒョヒョヒョ」


 身体の内からわきあがるじんわりした暖かいもの。目は冴えているのに寝落ちする寸前のような気持ち良さが全身を抱擁する。

 ひとりくすぐったそうに身体をモジモジさせる。初めてこのリップを塗った者は大体こうなる。


「ミントもー!」


 次のちびっこがリリーのヒザにすわった。

 こうしてリリーは全員にリップを塗った。イヴはしょうがないといった感じを全面に出しつつ塗らせてくれた。


 最後にリリーはミルヴァにリップを塗ってもらい、みんなで幸せな気持ちに包まれた。


「さぁて、じゃあ、そろそろ出発しますか!」


 休憩終えというより、これから旅立ちはじめるような溌剌さでリリーが立ち上がると、待ってましたとばかりに皆も続いた。


 身体はボロボロだったが、髪と顔はバッチリに決めた、伝説の勇者にもひけをとらない見習い勇者たち。特に唇はリップを塗ったおかげで誰よりもツヤツヤしていた。


「……よぉーしっ、行こう!」


 リリーたちは一本道の通路を颯爽と歩きだす。

 この先にきっと、地上へ繋がる出口があることを信じて……。

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