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分厚い水晶の壁の向こうに見えたのは、こちらに懸命に這ってくるリリーの姿だった。
「イヴちゃあああああああああああああん!!!!!」
髪型こそ違えど見間違えるはずもない。
元々は綺麗なドレスだったんだろうけど破れてボロボロ、身体じゅう廃油をかぶったみたいにひどく汚れている。
顔や破れた服の間から見える肌はアザやキズだらけで痛々しい。
そして何よりも、長いくせっ毛を編んだおさげがなくなってベリーショートカットになっていた。
いったい……何があったっていうの?
「助けてぇ!! この塔から出られないの!! 死んでも屋上にある聖堂に戻されて……ずっと閉じ込められてるの!! お願い!! 助けてイヴちゃあぁん!!!」
壁にすがったリリーは母親をみつけた迷子みたいにわぁわぁと泣きだした。
穴から手を伸ばし、助けを求めてくる。
カッと身体の芯が熱くなるのを感じた。
いますぐにでもこの壁をブッ壊して助け出してあげたい。
抱きしめて、もう大丈夫、って言ってあげたい。
そしてリリーをこんな目にあわせたやつを同じ目に、いや百倍にして返してやりたい。
「知らないわよっ! バカっ!!」
しかしアタシは本心とは裏腹に、怒鳴りつけていた。
……違う。そうじゃない。
「ひとりで勝手にいなくなって、みんなに迷惑かけて!」
違うってば、そうじゃないでしょ。
「まったく……しょうがな……」
アタシの言葉は、リリーの背後に現れた闇の塊によって遮られた。
それは巨大な漆黒の鎧だった。中に何者かが入っている様子はなく、まるで幽霊が着ているかのように宙に浮いている。
鎧自体も異質で、金属でできているように見えるが一切の光沢がなく、まるで光を吸い込んでいるような異様な黒さだった。
装飾が不気味さを更に増長させている。鎧の背中からは闇の後光のように放射状に伸びた磔台があった。
どの台にも干からびるまでひたすら苦痛を与え続けられたような、苦悶の表情のミイラが磔にされている。
まるで動く拷問器具のような恐ろしい見た目に気後れしていると、いつのまにか鎧はリリーの首をわし掴みにしていた。
黒い疾風のような、目にもとまらぬ速さだった。
「ぐっ……!?」
吊り上げられ苦悶の表情になるリリー。絞首刑にあう囚人のようにもがいている。
その状態になって気づいた。足が斬られてる……!?
切断面からは血がダラダラと流れ落ち、足をバタつかせるとあたりに飛び散った。穴ごしに飛んできた血がアタシの顔にかかる。
「ううっ!! たっ……助け……! 助けてイヴちゃん!! イヴちゃあん!!!」
その声に弾かれたアタシは背中に携えた長銃を素早く取り出し、壁の穴ごしに狙いを定めた。
「リリーを離しなさいっ!!」
「グフフ……イイ声ダ……モット鳴ケ」
まるでアタシの警告が聞こえていないかのように首をさらに締め上げるバケモノ。
白目をむき、口の端から泡を吹きはじめたリリーを見てアタシは引き金を引いた。
ズダァンと耳をつんざく爆音が塔内に響きわたる。反動を抑えきれず尻もちをついてしまった。
弾は鎧のどてっ腹にたしかに命中したはずなのに、火花を散らしただけでバケモノはびくともしない。
じゅ、銃弾が効かない!?
銃というのは下手な武器や魔法よりよっぽど強い。弱いモンスターなら即死、そうじゃなくてもかなりのダメージを与えられるはずなのに。
撃ったのは豆鉄砲かと錯覚するほどにバケモノは無傷だった。
「サァ、無力ナ仲間ノ前デ……モット苦シメ……」
バケモノは握る手にさらに力を込める。黒煙のようなオーラを放つ指がリリーの首にめり込んでいき、骨が砕けるような嫌な音が響いた。
「……イ……ヴ……ちゃ……がはっ……!!」
リリーは最後の力を振り絞ってアタシの名前を呼んだ。同時に口から鮮血を吐き、糸の切れた操り人形のようにぐったりと動かなくなる。
「り……リリー……! リリーっ!! リリーっ!!!」
何度呼んでも返事はない。
土気色に変わっていく身体が青い光につつまれたかと思うと、パズルを床に落としたみたいにバラバラの粒子となった。
たんぽぽの綿毛のようにふわふわと空へと昇っていく。
冒険者が死ぬと、あんな風になって天にいちど還る。その後、聖約をした聖堂で復活する。
アタシたちツヴィ女の生徒はツヴィートークの聖堂で復活するのだが、リリーはさっきこの塔の屋上にある聖堂で復活するって言ってた。
ということは……あんなにボロボロになってここまで来たのに……ふりだしに戻されるということだ。
「モット嬲ッテヤルツモリダッタガ……軽ク捻ッタダケデ死ニオッタ……マルデ塵芥ヨ……!」
まるで地獄の底から響いているような……恐ろしい声があたりに響きわたる。
「我ガ復活ノ足シニナラヌホドノ雑魚カモシレヌガ……次ニ会ッタ時コソ捕マエテ……必ズヤ蒐集シテクレル……!」
その言葉は誰に向けられたものなのか……リリーなのかアタシなのかわからなかった。
バケモノはこちらを一瞥もせず、ガシャン、ガシャンと鎧を鳴らして立ち去っていった。
背中を見送っていると己の無力さと後悔の念が押し寄せた。何もできなかった自分が情けなくなり、身体中が脱力する。
アタシは壁に寄りかかると、無意識のうちに額を打ち付けていた。
……バカだ、バカだ、バカだ、バカだ。アタシは大バカだ。
リリーを助けにきたんじゃないの? だったらなんで助けを求められたとき応じてあげなかったの?
助けにきたわよ、もう大丈夫! くらい言ってあげてもいいじゃないの。なんで素っ気なくするのよ。
リリー、泣いてたじゃない。きっとひとりで閉じ込められて寂しい思いをしてたんだ。
そんな状態で救いを求めてきた仲間に対して、アタシはなんてことをしたんだ。
アタシってばいっつもそう。ホントはそうじゃない、ホントは気になって気になってしょうがないのに興味ないフリをする。
好きで、大好きでたまらないのに好きじゃないって拒んじゃう。
きっと脱出しようと試みたんだろう。だけど何度も失敗して、キズだらけになって……それでもアイツはあきらめずにここまで降りてきたんだ。
あんなにボロボロになるのは、本当はアタシじゃなきゃいけないんだ。
アイツのせいだって言ってるけと……本当は全部アタシのせいだ……!
額がズキズキと痛む。温かいぬるっとした感覚が顔全体を覆う。
血が出たんだ。だけど……こんなんじゃ足りない。リリーの痛みに比べれば。
背後から「あっ、あそこにいるよー! イヴちゃーん!」とミントの呼び声が聞こえた。
みんなはドヤドヤとこちらにやって来る。途中でいなくなったアタシを探していたようだ。
「ご無事でよかったです」
「急にいなくなったから心配したの」
「もぉー、メッ、だよぉ~!」
「……」
「あれ? なんか血のニオイがするっスゥ」
スーの声に無言で振り向くと、皆はギョッとなった。
額のキズがかなりひどいことになっているんだろう。
「そ、そのお顔……ど、どうされたんですか? お手当を……」
「このキズは治さなくていいわ」
シロは早速治そうとタリスマンを掲げたが、それを手で遮る。
「誰か、紙とペン持ってない?」
「あ……はいはいはい」
アタシからただならぬ気配を感じたのか、ふざけることもせず肩がけのバッグから紙束と万年筆を取り出し差し出してくるスー。
ほんのりいい香りのするそれを受け取り、クリスタルの壁を机がわりに手早く伝書をしたためる。できあがったものをペンを返しつつ手渡す。
「スー、いますぐこれを持ってツヴィートークに向かって」
「えっ?」
「ツヴィートークにある女学院に着いたら、学長に渡すのよ」
「ええっ?」
「ノワセット、スーを連れて行って」
「えええっ?」
スーは驚いているが、構わず話を進める。
ラビニーがあればツヴィートークまではそれほど時間もかからず着けるだろう。
だがかなりの方向音痴なのでノワセットに案内を頼むと、しばらくの無言の後、
「わかったの」
アタシの考えがあるんだろうと察してくれたのか、ゆっくりと頷いた。
……渡した手紙はアタシの本来の立場からのもの。
仮の姿である貴族『イヴォンヌ・ラヴィエ』ではなく、バスティド島の第1王女『イヴォンヌ・ラヴィエ・ミルヴァランス』としての命令書だ。
1個師団を速やかにナインパレスにあるクリスタルパレスに出兵させよ、という簡潔な内容と下のほうにはアタシが書いたことを示すサインがある。
これがツヴィ女の学院長の元に届けば魔法伝書により中継され、遥か遠くにある王都ミルヴァランスから転送装置を使って1万人もの兵士がやって来る。
それだけの人数がいれば、クリスタルパレスをブッ壊してでもリリーを助け出せるはず。
しかし王族の力を行使した時点でアタシはもうツヴィートーク女学院に居られなくなる。
まわりに王女であることがバレたらまともな学園生活が送れなくなるからだ。
……みんなとは別れることになるだろう。
母上との約束「自分ひとりの力で武勲を立てる」というのも破ることになるから夢だった姫騎士もあきらめることになるだろう。
だが……構うものか。
リリーを助けるためなら、アタシの人生なんていくらでもくれてやる。
「必ず……リリーを助けるわよ……」
あんな悪趣味な鎧野郎に……絶対にリリーは渡さない。
この命にかえても……と深く誓った。




