8. 信じてくれる人
「――ねえ、あそこにいるのってもしかしてレーヴライン家伯爵令嬢かしら?」
それは、私達三人が洋品店でハンカチを見ていた時でした。背後から囁くような声が聞こえ視線を感じます。
「ユリウス様と婚約されたって本当かしら」
「ずいぶんと奇特な方なのね……」
「何か弱みでも握られているんじゃないの?」
どこかの貴族令嬢達がクスクスと笑っています。
その声を聞いていると、すうっと胸が冷たくなっていきます。
エーデルシュタイン家での日々がとても穏やかで幸せなので、私はすっかり自分の立場を忘れていました。私へ着せられた汚名は晴れていないし、衆目の前で婚約破棄された事実は変わりません。
そんな私のせいでユリウス様まで悪く言われてしまうなんて。
思わず振り向きそうになった私をハンナさんが止めました。そしてリーリアさんがさりげなく私と彼女達の間に入って視界を遮ります。
「行きましょう、アデライト様」
「他のお店をまわってみましょうか」
「は、はい……」
ハンナさんとリーリアさんに守られて、私は俯いたままお店を出ました。
最初のわくわくとした気持ちは急速にしぼんでしまい、私はユリウス様やお屋敷の皆さんに申し訳なくて、消えてなくなりたい気持ちです。
「ハンナさん、リーリアさん、すみません。私のせいでお二人にも嫌な思いをさせてしまって……」
「あんなの気にしなくて大丈夫ですよ、アデライト様」
「……陰険」
お店を出て歩きながら私はなんだか胸が苦しくなっていました。きっと私がのんきにお屋敷で過ごしている間も、ユリウス様やお屋敷の人々は、私のせいで嫌な思いをしていたのかもしれないのです。そんなことくらい、すぐに想像がつくはずなのに、どうして私は思い至らなかったのでしょう。
「私は、アデライト様が噂とは全然違うって知ってますもん。命の恩人ですし」
「え……命の?」
「野犬から、ハンナを守っていただきました」
ぐっと拳を握ったハンナさんが力強く言い、リーリアさんが頷きます。
私は思わぬことを言われて驚きました。あの時はハンナさんを助けなければと、ただ必死に動いただけだったので。
「……そんなふうに侍女を気にかけてくれる主人なんてほとんどいないですよ」
「まさか主人が空から飛んでくるとは思いませんし」
「あ、あはは……それはそうですよね」
二人の言葉に私は苦笑いしました。
そのとき、大通りの一角にとてもきらびやかな店が見えました。新しいお店なのでしょうか。店の外まで大きな花や風船が飾られ商品の洋服や帽子にアクセサリーが飾られています。店頭にはたくさんのお客様達が来ているようです。
私は近くまで来て思わず立ち止まりました。
「『サンドラの店』……」
「ああら、いやだ。どうしてこんなところにあなたがいるんですか? ねえ、コソ泥さん」
間の悪いことに、ちょうど店から出てきたふわふわの金髪に青い瞳のお人形のような女性……サンドラ様と私は目があってしまいました。宝石のような青い瞳を細めて優雅にサンドラ様が微笑みます。
一歩前に出ようとしていたハンナさんとリーリアさんを咄嗟に止めます。二人とも目が座っています。これはいけません。
そういえば……と私は思い出していました。
風の噂で、サンドラ様がヘンリック様の力を借りて夢だった自分の店を持ったと聞いたことがありました。
「……ここを通りかかったのは偶然です」
「本当かどうか疑わしいです。まさかまだ私のことを恨んでいて嫌がらせでもしようと思って来たんじゃないですか? 私の指輪を盗んだだけじゃ飽き足らず」
「そんなことをしようとは思っていませんし、指輪だって盗んでいません」
「なによ、まだしらばっくれるつもり? あの状況じゃあなたしかいないじゃない」
サンドラ様はまだ私が指輪を盗んだ犯人だと疑っているようです。勝ち誇ったように笑う彼女は周囲のお客様達を見まわしました。
周囲の視線が痛いです。皆さん、私を疑惑の目で見ています。無実の証明ができていないのですから、それも仕方がないことなのですが……。
「平民の出で、ヘンリックに愛されなくて、私に嫉妬したのでしょう? あなたが無実だなんて誰も信じていないわ」
「俺は彼女を信じている」
低くよく通るその声に周囲がざわめきました。
私が背後を振り返ると、そこにいたのはユリウス様でした。サンドラ様も目を丸くしています。
「ゆ、ユリウス様? どうしてこちらに」
「昼に屋敷に戻ったが、君達が買い物に出ていると聞いてな。少し帰りが遅いと聞いたから迎えに来た」
「そうでしたか。お手間をかけてもうしわけございません」
「別にそれはいい」
午前中は仕事で登城していたユリウス様は騎士の正装をしていました。黒い軍服がそれはよく似合っています。
サンドラ様は戸惑った様子でじっとこちらを見つめていました。
「え……あ、ユリウス様? 本当にその娘と婚約をされたのですか」
「その娘ではない。アデライトという名がある。彼女は俺の婚約者だが何か問題があるか?」
「……い、いえ」
黄金色の鋭い眼光にサンドラ様が悔しそうに頭を下げます。青い瞳はこちらを睨んでいますが、公爵家の人間であるユリウス様に口答えなどは許されるはずがありません。私もハンナさんもリーリアさんもユリウス様から発せられる怒りのオーラに震えていたのは秘密です。
「では失礼する。行くぞ、アディ」
「は、はい!」
気がつけば私はユリウス様に手を握られていました。
そのまま引きずられるようにその場を離れます。
待機していた馬車に乗り、私達はお屋敷へと帰ることになりました。
「ユリウス様、ご面倒をおかけしてもうしわけございませんでした」
「……屋敷に帰ったらいないから驚いた。今度からは出かけるなら先に言っておいてくれ」
「はい」
私はサンドラ様とのことや、私の問題のことでという意味で謝罪したのですが、ユリウス様は私が連絡なしにお出かけしたことにご立腹のようでした。四人で馬車に乗りお屋敷へ帰る途中、不機嫌そうに腕を組んだユリウス様はなんだか拗ねているようにも見えます。
「それで、欲しい物は買えたのか?」
「あ……そうでした。実は色々迷って買えなかったのです」
「また行きましょうねアデライト様」
「次こそ良い物を見つけてみせます」
正面に座る二人がぐっと拳を握ります。あんなことがあったのにまた私と出かけてくれるなんて、本当に優しい二人です。そして隣に座るユリウス様がぼそりと呟きました。
「……では次は俺も行こう」
「え……」
予想外の言葉に私が固まっているとハンナさんとリーリアさんがぶーぶーと文句を言いました。
「ええ! 女子だけのお買い物の邪魔しないでください、ご主人様ー」
「女子会です」
「なんだお前達それが主人への態度か」
「ふふ……」
なんだかおかしくて私は笑ってしまいます。そうして少しだけ目の端ににじんだ涙をごまかしました。
ユリウス様は自分に構うなと言うのに、私のことをことあるごとに構ってきます。いつでも私のことを気にかけてくれて、心配して、怒って、迎えに来てくれる人なのだなと思ったら、なんだか自然と涙が出てきたのです。
私はとても嬉しかったのです。
そんなユリウス様が、私の無実を信じてくれたことが。
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