6. 真夜中のお茶会
真夜中の屋敷は日中が嘘のように静まり返っています。
薄暗い廊下を、私は足音を立てないように灯りの漏れているユリウス様の執務室まで移動しました。
そして扉の前で動きを止めて思案します。
どうやって中の様子を確認するか考えていなかったのです。
(そーっと扉を開けて、中を覗いて起きているならそれで帰れば大丈夫)
そうしましょう、と私は決めました。
そして扉を開けようとしたら、勢いよく扉が向こう側から扉が開きました。
「ギャ……!?」
「静かに、真夜中だぞ。なぜここに……おい!」
「こ、腰が抜けました……」
目の前にいたのはユリウス様でした。
悲鳴を上げそうになった私の口を大きな手で塞ぎます。そして驚きすぎて腰が抜けた私を慌てて支えてくれました。そのままオロオロしたユリウス様は結局私を執務室の来客用のソファに座らせてくれました。
「なぜここにいる? 鍵はどうした」
「鍵は……壊れていました」
私はとっさに見え透いた嘘をつきました。鍵開けの魔法はマイナーなので知っているとは思われないでしょう。
ユリウス様は半眼でこちらを見ていましたが、私は視線を逸らし、偶然くしゅん、とくしゃみをしました。
そうしたら温かい紅茶が出てきて、カーディガンまで貸していただきました。
「……ありがとうございます」
「まったく、それを飲んだらさっさと寝ろ。一体何をしに来たんだ」
「お部屋の明かりが真夜中なのについていたので、何かあったのかと思って……」
「少し仕事が立て込んでいただけだ」
「そうですか。何もなくて良かったです……心配しました」
部屋の中で倒れていたらどうしようかと思っていましたが、何もなくて安心しました。けれど、ユリウス様は私の言葉を聞いて、黄金色の瞳をはっと見張って、それから戸惑ったように視線を逸らしてしまいました。
「そんなことを言われたのは、子供の頃以来だな」
「子供の頃ですか……?」
「ああ、乳母にはよく叱られていたからな」
紅茶で身体を温めながら、ぽつりぽつりとユリウス様は話してくれました。
実のお母様は公爵の妾であったこと。そしてユリウス様が幼い頃に病で亡くなられてしまい、それからは乳母に育てられたこと。乳母には子供がいて、ユリウス様の親友として一緒に過ごしていたこと。
「俺は次男坊の上に妾の子だ。家を継ぐことはないだろうから一緒に騎士になろうと約束していた。だが二人とも馬車の事故で亡くなってしまったんだ」
それからユリウス様は騎士になるために必死で努力を重ねたと語りました。
その瞳はどこか寂しさをたたえている、綺麗だけれど、見ていると胸が締め付けられるものでした。
室内に沈黙が落ちて、ユリウス様がソーサーにティーカップをカチリと置いた音だけがよく響きました。
「――もう部屋に戻れ。俺の無事は確認できただろう。俺はまだ仕事がある」
「ですが、あまり根を詰められては明日の仕事に障りますよ」
「……以前に言ったはずだ。俺には構わなくていい。自分の体調くらい自分で見極められる」
立ち上がって背中を向けたユリウス様を見て、私はなんだか寂しさを感じました。
ユリウス様は、私をよく気遣ってくれます。使用人の皆さんにも、不器用ですが配慮されています。
そんなに優しい人なのに、ユリウス様はユリウス様に優しくないのです。
まるで誰も必要ないと、周囲を拒絶しているようです。
きっとそれは、幼い頃の悲しい別れが関係しているのかもしれません。
「……あの、ユリウス様」
「まだ何かあるのか?」
怪訝な顔で振り返ったユリウス様を見つめて、私は自然と口を開いていました。
「私はいなくなりません」
「…………」
「その、見ての通り健康ですし、見かけによらず運動神経は良い方です。風邪もめったにひきません。ですから――」
ですから、なんなのでしょう。
自分で話していて何が言いたいのかわからなくなってしまいました。
ただ、私はユリウス様の、まるですべての人を拒絶するような寂しい背中を見て思わず声をかけてしまったのです。
「あ、安心してください!!」
部屋に痛いほどの沈黙が落ちました。
我ながら説得力がなさすぎます。恥ずかしくて頬が熱くなってきた頃、ユリウス様が口元を手で押さえて噴き出しました。
わ、笑っておられる? それほど滑稽だったということでしょうか。
私はいたたまれずに立ち上がると、ユリウス様からお借りしたカーディガンをソファに畳んで戻します。
「夜分に失礼いたしました。部屋に戻りま……」
「待て、今夜は冷える。これは使っていていい」
扉に手をかけて部屋を出ようとしていた私の肩に、ユリウス様がカーディガンを羽織らせてくれました。振り返ると思っていたより近くにユリウス様の瞳があって、心臓が一度大きく音を立てました。なんだか、表情もいつもより少し柔らかいような。
「まったく、安心しろなどと、どの口が言うのか……」
「はい……おっしゃる通りで」
とほほ、と私が思っていると、ユリウス様の両腕に私は包み込まれていました。
ど、どうしてこんなことになっているのでしょう? ユリウス様の体温や鼓動、それに匂いを感じると、こちらの心臓まで忙しなくなります。一体どういうことなのでしょうか。
ぎゅう、とユリウス様が腕に力を込めて私を抱きしめます。
「……おやすみ、アディ」
「……おやすみなさいませ、ユリウス様」
アディ。
耳元から聞こえてきた声は、なんだかとても甘く聞こえました。
ユリウス様の腕から解放された私は、その夜どうやって自分の部屋まで戻ったのかあまり記憶がありません……。
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