12. 約束
私はユリウス様に連れられて王城を出ました。
二人で馬に乗りエーデルシュタイン家の屋敷へと向かっています。
きっと捕らえられなかったのは、ユリウス様が事を大きくしたくなかったからでしょう。
私が捕まればユリウス様の責任問題にもなります。わかっていたはずなのに、私はなんてことをしてしまったのでしょう。
震える手の中には備品倉庫で見つけた記憶石があります。(王城を出るときに結界に引っかからないように付与された魔法は解除してあります)
けれど、いくらこれで濡れ衣が晴らせても、私のしたことがなくなるわけじゃありません。
「……ユリウス様、どうして私の居場所がわかったのですか」
「君に渡したそのネックレスには、位置特定ができる魔法が付与してある」
「え……!」
私の首元には、ユリウス様から頂いたお守り……ユリウス様のお母様のネックレスを身に着けていました。
まさかそんな魔法が付与されていたなんて。
確かによく集中してみるとほんのわずかですが巧妙に隠された魔力を感じます。
全然気がつきませんでした。
「『夜の風』……」
「……えっ、どうしてその名を」
俯いて泣いているのを見られないようにしていると、ふと頭の上からユリウス様の声が聞こえました。思わず顔を上げると黄金色の瞳がこちらを痛ましそうに見つめ、その指が涙を拭ってくれます。
「何を泣いてるんだ」
「あ、いえ……それより、その名前をどちらで」
「十三年ほど前、馬車で移動中に強盗に襲われたことがある。その時俺はまだ子供で戦うすべを持たなかった」
馬上でユリウス様がぽつりぽつりと語りだします。
月明かりの下、ユリウス様は懐かしそうに目を細めました。
当時十歳のユリウス様は隣国への短期留学から帰る途中だったといいます。森の中で馬車が強盗に襲われ、御者や従者は殺されてしまったといいます。そして人質として捕まりそうになったユリウス様を助けてくれたのが盗賊『夜の風』だったのです。
鮮やかな体術と罠、そして魔法で敵をあっという間に倒した夜の風は凄惨な現場からユリウス様を保護してくれました。そして近くの町の教会へと彼を連れて行ったのです。
「俺は自分の無力を責めた。そのとき、俺と一緒にいてくれた少女がいた」
私は自分の中のおぼろげな記憶をたどります。
十三年前というと私は五歳です。
夜の教会で膝を抱えてうずくまる傷だらけの男の子の記憶が蘇りました。
今夜のような綺麗な月明かりが男の子の綺麗な金の髪を照らしていました。
「あ……もしかして、あのときの」
「その一年ほど前に俺の家族同然の乳母と乳兄弟が事故で亡くなったんだ。母は幼い頃に亡くなり、父とは疎遠。……みんな俺の前からいなくなってしまうと思った」
夜の教会で、お母さんから食事を用意する間一緒にいてあげて、と言われたのです。
傷だらけの男の子。黄金色の月のような瞳からこぼれた涙のことを覚えています。私はどうしたらいいのかわからなかったけれど、何かしなければと思ったのです。
そして、ぎこちない手つきで彼の頭を撫でました。
すぐに跳ねのけられてしまいましたけど。
『さわるな、俺に構うな!』
その拒絶は恐れから来るものだったのでしょう。
大切な人はみんないなくなってしまうという、呪いのような。
きっとユリウス様が今でも『俺に構うな』というのは、大切な人を作れば、いつかみんな離れていってしまうという恐れがあるからなのでしょう。
でも幼い私にはそんな難しい話はわからなかったので、首をかしげたのです。
『わたしはいなくならないよ?』
『え……』
男の子はぱちりと一度瞬いて、また綺麗な雫が一粒零れたのを見ました。
その後は、お母さんが食事を持ってくるまで彼は私に黙って撫でられていました。
そして翌朝には、私が眠っているうちに迎えが来て彼は帰っていったと母から聞いたのです。
「そのとき迎えに来てくれたのが、当時あの周辺を統治していたレーヴライン伯爵だ」
「……え!? そうなのですか?」
それは知りませんでした。
お父様とお母さんがどこで知り合ったのかずっと不思議だったのですが、そういう繋がりだったのですね。お父様は当時すでに妻帯者だったわけで、複雑な気持ちですが。
「俺は後日君達に会いに行きたかったが、父や周囲が許してくれなくてな。騎士団に入った頃、ようやくあの教会へ足を運んだが『夜の風』も君の姿もどこにも見つけられなかった。……そして、あの春の晩餐会で君をようやく見つけたんだ」
「……そうだったのですか」
ようやくユリウス様が私を婚約者にしてくれた理由がわかりました。
まさかあの時の男の子がユリウス様だったなんて。
すっかり大きくなって、こんな美しい男性になってしまわれたら気づけません。
そのとき、私の肩を抱いていたユリウス様の手に力が入りました。
「……まったく馬鹿なことをして! どれだけ心配したと思ってる。どうして一人で抱え込むんだ」
「心配……」
「あたりまえだろう。お前が俺のことを心配するように、俺だってお前のことを心配するに決まってる」
苦しそうなユリウス様に見つめられて、私は驚きと共に申し訳なさを感じました。
私はユリウス様を悲しませてしまったのです。
エーデルシュタイン家のお屋敷に着きました。
使用人達もすでに眠りについている中、私はユリウス様の私室に連れて行かれます。
そこで私は手に入れた記憶石を見せました。
「……なるほど、これに君が無実である証拠が映っているかもしれないのか」
「はい、それで濡れ衣を晴らせないかと考えたのです」
「俺や、レーヴライン家のためにか」
「……はい、申し訳ありませんでした」
私はもう一度深く頭を下げて謝ります。
結果的にユリウス様にはさらに心労をかけてしまいました。
私はユリウス様からいただいたネックレスを外してテーブルに置きました。
「アディ……?」
「お返しします」
「……は? どういうことだ」
「私は、ユリウス様にふさわしくありません。いくら濡れ衣を晴らしたいからといって、私のしたことは許されないと今更ながら気づきました」
私は声が震えないように、努めて冷静にそう言いました。
私の実の母は盗賊で、私もその真似事をしました。もうこれ以上、彼に迷惑はかけられません。私には修道院行きがお似合いなのです。
「ユリウス様は、子供の頃の恩返しのために私を助けてくださったんですよね? でも、そんなこともう気になさらないでください」
ユリウス様の気持ちがようやくわかりました。
それに気づいた時、なんだか胸にぽっかりと穴が開いたようでした。
私はユリウス様のそばにいたいです。でもユリウス様にとっては私を婚約者にすることは恩返しであり義務なのです。そう思うと近くにいることも苦しくなったのです。
「……待て。いつ俺がそんなことを言った?」
「ユリウス様?」
立ち上がろうとした私の手をユリウス様に掴まれました。
そのまま強く引かれて私はユリウス様に抱きしめられてしまいました。
「恩返し? 馬鹿なことを言うな。俺から離れるなんて絶対に許さない」
「…………!?」
背中が痛いほど強く抱きしめられて、私は頭の中が真っ白になります。
「で、でも……ユリウス様」
どうしてそんなに私などに執着するのでしょう。
心臓が忙しなく音を立てて、このままでは倒れてしまいそうです。
戸惑う私の肩に顔を埋めたユリウス様の声が耳元から聞こえます。
「……君は二度も約束した。『いなくならない』と。約束を違えるのか」
「え……、あ」
確かに私は言いました。
初めて出会った幼い時。深く考えずにいなくならないと言いました。
そして、もう一度。
夜遅くまで仕事をしているユリウス様を心配して執務室を訪れたあの夜。乳母と乳兄弟を亡くした話を打ち明けてくださった時、私は少しだけユリウス様の寂しさに触れた気がしました。
そのときも私は特に深く考えずに言ったのです。
『私はいなくなりません』
……ユリウス様にとってその言葉がどれほど大切なものなのか知らずに。
「でも……私は、私はとんでもないことを」
「ならば俺も共犯だな。君を逃がしたのだから」
「そ、それは違います! ユリウス様は何も悪くありません」
ユリウス様の腕は私から離れて行きません。
私はどうしていいかわかりません。向けられる言葉も想いも嬉しいけれど、それを自分が受け取る資格があるのかわからないのです。
そのとき、まるでぐずった子供のように離れて行かないユリウス様がくぐもった声で縋るように呟きました。
「……ずっと捜していたんだ。頼むからもう俺の前からいなくならないでくれ」
「ユリウス様……」
胸に落ちた言葉が波紋のように広がり、心も体も熱くなります。
痛いほど強く抱きしめられても少しも嫌ではありません。
お母さんが亡くなってから、私は誰にも必要とされていないのだと思って生きてきました。
だから私は居場所を作ろうといつも必死でした。
でも今はユリウス様が私を求めてくれています。
「……ユリウス様、私はここにいてもいいのですか?」
「あたりまえだ」
ようやく顔を上げたユリウス様の言葉を聞いて、私の視界がぼやけます。熱い涙がいくつもこぼれて、言葉が出てきません。そんな私をユリウス様は再び抱きしめてくれました。
「どんな君でも俺はずっと愛している。あの時から」
小さな掌が不器用に頭を撫でてくれたあの時から。
ユリウス様の指が私の頬に優しく触れます。その指が涙を拭って、やがてそっと唇が重なりました。
ここまでお読みいただきありがとうございました!




