11. 王城の夜
お母さんは幼い私に色々なことを教えてくれました。
魔法や体術、変装等の技術。それは別に私に盗賊家業を継いでほしくてやっているわけではなかったようです。
『ま、芸は身を助けるって言うからさ』
母一人子一人で生きてきた私達。
お母さんは自分にもしものことがあった時のことを考えて、私にできるだけたくさんの生きるすべを身につけさせてくれたのです。実際にお母さんは突然の病で逝ってしまいました。
その後、私はお父様に引き取られたため、その技術を使うことはありませんでしたけれど。
私はそっと物陰から王城を見上げます。
今晩、私はここへ忍び込むのです。ヘンリック様の隠した記憶石を探すために。
お屋敷を抜け出した私は、サンドラ様の店へ行った帰りに買ったシャツにベストとズボン、というまるで少年のような格好に変装していました。髪の毛も帽子の中に隠しています。
(どうしよう、緊張してきたわ……)
私はお母さんから盗賊のさまざまな技術を教わりましたが、実際に使ったことはほとんどありません。
つまり技術は持ってるけど実戦未経験なのです。
もしここでミスをして捕まってしまえば、レーヴライン家だけではなくユリウス様にも迷惑がかかります。ですが、ここで記憶石を見つけないと濡れ衣を晴らすこともできません。
我ながら大それたことを始めてしまったと思いながら、私は文官用のひっそりとした裏口を目指します。事務棟の場所は以前、ヘンリック様に会うために何度か行ったことがあるので知っていました。いつも煙たがられていましたが、一応婚約者だったため差し入れを届けたことがあるのです。
昼間は複数いる門番と受付係も深夜になると一人しかいません。
ぼんやりした眠そうな門番を見つけると、私はそっと眠りの魔法をかけました。
(失礼します……!)
私は爆睡する門番を受付用の小部屋に引き入れ服を拝借しました。本当に本当にごめんなさい。あとで返しますので……!
ちょっと……いやかなり大きいですがなんとかなるでしょう。衛兵に変装した私はそっと城の中へ侵入することに成功しました。
王城の中は深夜のため照明も暗く、見張りの人数もかなり少ないようです。私はなるべく人のいない場所を通りながら事務棟を目指します。確かヘンリック様の勤務していた事務室の一番奥が倉庫になっていたはずです。何度か来たことがあるので記憶にありました。
事務棟の入り口には門番が立っています。どうしようか少し考えて、私は事務棟の裏に回り人気のない窓のカギを魔法で開けました。中は真っ暗で誰もいません。
(よし、これなら……)
大丈夫、と思って建物の中に入った時でした。
――ジリリリリリリ!
事務棟の中に非常ベルの音が鳴り響きました。
一体どうして!? ……そうです。窓のカギを開けた時に、その「鍵開けの魔法」に結界が反応したのです。
バタバタと複数の慌ただしい足音が聞こえてきます。衛兵達が侵入者を捜しに来たのでしょう。
私は机の下に身を隠して考えます。
どうしよう……どうすれば……!
ここですぐ逃げ出しても、駆け付けた衛兵達と鉢合わせすることになるかもしれません。ならば、と私はそっと部屋の扉を細く開けて周囲を伺いました。衛兵達はそれぞれ部屋を開けて調べています。こちらにはまだ来る様子がないので私は部屋からするりと出て声を上げます。
「こちらは異常ありません!」
「そうか、奥の部屋も頼む」
「はっ」
衛兵達にまぎれて私も侵入者を捜すふりをします。
な、なんとかばれてないみたいです。
そのまま一番奥にある備品倉庫へとたどり着きました。私は中に入ると目くらましの結界を張りました。この結界を張ると、周囲からなんとなく存在感が薄くなるのです。
……とりあえずこれでしばらくは大丈夫でしょうか。
「ヘンリック様は一体どこに隠したのでしょう……」
真っ暗な倉庫はそのままでは何も見えません。
ぽっと手元に火の魔法で灯りをともします。それを天井に浮かせるとぼんやりと倉庫の中が見えてきました。
埃の積もった山積みの本や書類の束。何が入っているのかよくわからない木箱にびっちりと資料の入った棚。この中から記憶石を探すには……。
外からは衛兵達の足音や声が聞こえます。ドクドクと心臓が鳴って冷や汗が頬を伝います。
早く、早く見つけないと。
(そういえば、ヘンリック様はあんまり片付けが得意な方じゃありませんでした。なんでも机の引き出しに入れてしまっていて……)
差し入れを持って行ったときも、ヘンリック様の机の上は書類だらけで机の引き出しも閉まり切らないほど色々な物が詰まっていました。
とはいえ、倉庫の中には引き出しがたくさんあります。
私は集中してその1つずつに手をかざしました。記憶石は魔石です。作動していなくてもかすかな魔力を感じ取ることができるかもしれないと思ったのです。
そして……。
(ここ!)
倉庫の一番奥にある壊れかけた棚の一番下の引き出しにかすかな魔力を感じました。ガタつく引き出しを無理やり開けると、中にはたくさんの書類が押し込んであり、その一番下に緑色の私の手のひらほどの記憶石がありました。
「……見つけた!」
その時、ガチャリと扉が開く音がして、私の背後に影が差しました。
目くらましの魔法をかけていたはずなのにどうして?
この部屋には小さな窓が1つあります。扉が塞がれているとしたら、逃げるにはそこしかありません。
「光よ!」
私はまずは追って来た衛兵に目くらましの光魔法を放ちました。手のひらから現れた光の球体が部屋中を眩しく照らします。私を捕まえようと伸びてきた手をすり抜け、近くの棚に飛び乗って窓から飛び出しました。
幸いここは一階です。柔らかな芝生の上に転がった私はすぐさま起き上がって駆け出しました。
今のところ備品倉庫の裏は人けがありませんが、見つかってしまったのできっとすぐに追手が来るはずです。
「本当に誰かいるのか? また動物じゃねえのか?」
「たぶんそうだろう?」
私が建物や茂みの影に隠れながら出入り口を目指していると、衛兵達の声が聞こえてきました。私は慌てて大木の影に隠れます。今更ながら心臓がばくばくと大きな音をたて、緊張のあまりうずくまってしまいました。
やっぱり私がお母さんの真似事など無理だったのでしょうか?
きっと『夜の風』であればこんなヘマはしないでしょう。
(でも……)
今ここで捕まるわけにはいかないのです。
冷静に考えると、指輪を盗んだと疑いをかけられている私が盗賊の真似事などしていたのがバレたら本末転倒もいいところです。今度こそ誰も耳を傾けてくれなくなります。
でも、この記憶石がなければ濡れ衣も晴らせないのです。
私は懐から取り出した記憶石を見つめました。
お母さんは言っていました。
冷静さを欠くことが一番いけないと。
私は衛兵達が通り過ぎるのを待ち、一度深呼吸します。そして周囲を見渡しました。
(裏口は……きっと衛兵達が駆け付けているだろうから利用できない。だとすると、この壁を乗り越えるしかない)
最初に入った裏口を使おうかとも思いましたが、おそらく非常ベルが鳴った時にそちらにも衛兵が駆け付けているはずです。だとすればどこか城壁を乗り越えるしかありません。立派な城壁ですが、風の魔法を使って周囲の木と城壁を足場に飛んでいけば行けるでしょうと計算します。
そのとき、誰かがこちらに走ってくる足音がしました。
私はとっさに風の魔法を唱えます。
「危ない!」
「!?」
今の声は……!?
背後から聞こえた声に振り向く間もなく発動した魔法でふわりと足元が浮き上がります。そのまま飛び上がり、大木の高い位置にある枝に飛び乗った瞬間、メリメリと嫌な音がしました。
「え……!?」
足場にした枝が折れて……!?
ぐらりと視界が回転します。
それに今の声は……。
突然のことに混乱して、私は魔法で勢いを殺すことも受け身を取ることもできませんでした。けれど、真っ逆さまに木の上から落ちた私を誰かが受け止めてくれました。
「……ユリウス様?」
「アデライト」
うそ……。
そこにいたのはユリウス様でした。
私が飛び上がる前、聞いたのはやっぱり彼の声だったのです。
今夜はお屋敷にいるはずだったのに、どうして……?
黄金色の瞳が険しい色で私を見つめています。
さあっと私の全身の血の気が引いていくようでした。
そんな私の頬をユリウス様の大きな手が包みます。
「どこも怪我はないな?」
「ど……うして、ユリウス様が」
私の言葉にユリウス様が顔をしかめて口を開こうとした時でした。遠くから足音が近づいてきて、ユリウス様のマントの中に私は隠されてしまいました。
「隊長、どこも異常なしです! ……そちらはどうかされましたか?」
「いや、この大木の枝がついに落ちたようだ。さっさと切っておくべきだったな」
「ああ、この木は見かけは立派ですが、中身は腐ってましたからねえ」
素知らぬ声のユリウス様と部下の方の会話が聞こえます。どうやら私が飛び移ろうとした木はすでに腐っていたようです。
「……こちらも特に異常はない。動物か何かの仕業で結界が誤作動を起こしたのだろう。元の配置に戻っていいぞ」
「はっ!」
そうして、すぐに足音はまた遠ざかって行ってしまいました。
周囲がまた静かになります。
何も言えない私にユリウス様が言いました。
「……帰るぞ、アディ」
ここまでお読みいただきありがとうございました。明日で完結の予定です。




