1. 婚約破棄と濡れ衣
「アデライト・レーヴライン伯爵令嬢、俺はお前との婚約を破棄する」
今日は、私のデビュタントの日のはずでした。
それなのにエスコートをしてくれるはずの婚約者であるヘンリック・ブラント様の隣には私ではない女性がいます。ふわふわの柔らかそうな金髪に青い目のまるでお人形のようなその女性。サンドラ・デーニッツ男爵令嬢はヘンリック様の腕に白く細い腕を巻き付けて、楽しそうに私を見ています。
「平民上がりのくせに調子に乗ってサンドラに嫌がらせをしていたようだな」
「お待ちください。サンドラ様とはお話ししたこともありません」
「ひどいわ! 男爵令嬢風情がと私を無視されたじゃないですか!」
まるで女優のようなオーバーリアクションで真珠のような涙を浮かべたサンドラ様はヘンリック様にしなだれかかります。
いや、本当に話したことがないと思うのですけれど……。
私の周囲では騒ぎに気づいた人々がざわめきはじめ、好奇の視線が注がれます。
我が国では、数カ月に一度、国王主催の晩餐会が催されます。春の夜に開かれる晩餐会では、デビュタントを迎える女性が多いです。さらに婚約者がいる場合は、国王夫妻に共に挨拶をするのが慣例となっています。
そんな国王陛下主催の晩餐会で、私はヘンリック様から突然婚約破棄を突き付けられていました。
「いくら身分が上だからとい言ってひどいです。ルビーの指輪もなくなったんです」
「え?」
「先ほど、お化粧室で一緒になりましたわよね。二人きりで。そのとき手を洗うために外した指輪が無いのです。まさかアデライト様……」
サンドラ様が非難がましい目で私を見つめます。
確かに晩餐会が始まる少し前、化粧室には行きました。今、思い出すとそこにいたのはサンドラ様だったような気もします。鏡に映る冴えない栗色の髪に緑の目のたぬき顔の私をじろりと睨んで鼻で笑って去っていきました。そのときは私と違って綺麗な人だなあ、くらいの認識でした。
まさかヘンリック様とお付き合いしているなんてまったく知らなかったのです。
「アデライト! お前、サンドラの指輪を盗んだのか!?」
「そんな、盗んでなどいません!」
ヘンリック様の大声に周囲がさらにざわめきます。
ちょっと待ってください。さすがに突然泥棒呼ばわりされて私は慌てて否定しました。だって本当に盗んでなどいないからです。サンドラ様の指輪も見ていません。
けれど周囲はそうは思ってくれないようでした。
驚き、戸惑い、そして疑念。
様々な視線が私に注がれます。
サンドラ様がヘンリック様にすがりつきながら私を睨みつけます。
「私への嫌がらせですか? ああ……それとも私の持ち物がうらやましかったのですか? アデライト様は伯爵家の方とはいえ、平民の出でいらっしゃるから……きらびやかな物を持ち慣れていないでしょうし」
「サンドラ様、誤解です。私はあなたの指輪を盗んでなどいません! 私は」
「黙れ、薄汚い平民の娘が! 誰か、この娘を捕えてくれ!」
あきらかに勝ち誇った笑みでこちらを見つめるサンドラ様。
私は必死に無実を訴えましたが、ヘンリック様の怒鳴り声にかき消されてしまいました。
そして騒ぎを聞きつけた衛兵達が私を取り囲みます。
「アデライト・レーヴライン伯爵令嬢。こちらへ」
「ま、待ってください。私は何もしてません。指輪なんて盗んでません」
「往生際が悪いぞ、アデライト」
「ヘンリック、やめてあげて。きっと私がうらやましかったのよ。さあ、これから国王陛下にご挨拶するのでしょう? 行きましょう」
私は誓ってサンドラ様がうらやましいと思ったことはありません。というか話したのも今日が初めてなのです。
衛兵に囲まれた私をしり目に二人は腕を組んで去っていきました。
「ヘンリック様……!」
「大丈夫です」
「え……」
衛兵の連れて行かれそうになった私に一人の騎士様が呟きました。黒髪で背の高い、どうやら衛兵達の上司のようです。
まったく何も大丈夫ではないのですが……、と言いたい私でしたがこれ以上ここで揉めても注目を集めるだけです。黄金色の瞳がじっと私を見下ろして小さく頷きます。私は仕方なく彼らに従って晩餐会の会場を出ることにしました。
こうして私のデビュタントは台無しになり、ヘンリック様と国王夫妻にご挨拶することも叶わず、晩餐会から退場することになったのでした。
結局その晩、私は証拠不十分で釈放されました。
晩餐会のあった夜から数日。私は自室のベッドに腰かけて深くため息をつきました。
城で取り調べを受けたものの、指輪はもちろん出てくることはありませんでした。ならば防犯のため城中に設置されている『記憶石』の映像を確認してみようということになったのですが、私の使った化粧室の記憶石は動作不良で取り外されていたのです。
記憶石、というのは深い緑色をした魔石です。その名前の通り記憶石はその石に映った場面を記憶し、再生の魔術によって映像として映し出すことができるのです。
記憶石が無ければ、私の無罪も証明しようがありません。
(どうしましょう。このままではお父様はお義母様にも迷惑をかけてしまうわ)
……ただでさえ、私はこの家の厄介者なのに。
平民の出、というヘンリック様の声が蘇ります。
私は、確かに八年前まで平民として小さな町で母と二人暮らしていました。そんな私の父がレーヴライン伯爵だと知ったのは母が亡くなったときでした。貴族の妾は珍しくないらしいですが、母は父の世話にはならず、私のことも伝えずにいたようです。ですが、父がどこからか情報を聞きつけ、身寄りのない私を引き取ってくれました。
父には正妻と息子と娘、……私にとってはお義母様と腹違いの兄と姉がいたにもかかわらず。
学校にもきちんと行かせてくれて、貴族の娘としての教養も身につけさせてくれました。
お義母様達は……もちろんいい顔はしませんでした。突然降ってわいた浮気相手の娘なのだから当然です。ですが、私のこともレーヴライン伯爵家の娘として恥ずかしくないように、と必要なことはしてくれました。兄や姉達も同じで、私に辛く当たることはありませんでした。
だから私はとても皆様に感謝しているのです。
レーヴライン伯爵家の人間として恥ずかしくないようにふるまい、婚家でもがんばろうと思っていました。
ヘンリック様との婚約は二年前に決まりました。
レーヴライン伯爵家とは遠縁のブラント子爵家のご令息です。
デビュタントを終えたら結婚する予定でしたが、ヘンリック様は出会った時から私のことが気に入らないようでした。それは私の母が平民だったからです。ヘンリック様はご自身の高貴な血筋にかなりの矜持をもっておられたのです。ですが、両家の決めた婚約を拒否することもできなかったようです。
でも、だからといって私に濡れ衣を着せて婚約を破棄するだなんて……どうしてそんなことを。
「……入るぞ」
「はい、お父様」
ノックの音がして、すぐに父が部屋に入ってきました。
私と同じ栗色の髪に緑の瞳のたぬき顔。家族の中では私と父が一番良く似ています。年の割には若くみられる父が気づかわし気な顔で私を見つめ、近くのソファに座りました。
「……お父様、申し訳ございませんでした」
「なぜアデライトが謝るんだ。すべてヘンリックとサンドラが仕組んだことだろう。こちらこそ婚約者選びを間違えてしまった」
「私のせいでレーヴライン伯爵家の名前に傷がついてしまいました」
「捜査はまだ続いている。いつか無実は証明できるさ。……だが、問題はお前のことだ」
すまない、と謝り頭を下げる父に私は慌てて首を横に振りました。父から隣に座るよう促されて近づくと、頭にぽんと大きな手が乗りました。それだけで一瞬涙がこぼれそうになって、慌てて俯きました。
「結果がどうなるにしろ、しばらくは噂の種になるだろう。……少し、地方に静養に行くのもいいかもしれないな」
「お父様……」
厄介払いとは違うと、そう思いたいのに。
ですが私は我慢できず涙がこぼれてしまいました。父は私を好奇の視線から少しでも守ろうとしてくれているのです。けれどこのままではお義母様やお兄様、お姉様にも迷惑がかかるかもしれません。家から遠ざけられてもそれは当然なのです。
地方の別荘へ静養に行く準備をするように、と告げて父は部屋を出て行きました。
それからしばらくして、部屋の外から使用人達の会話が聞こえてきました。そっと気づかれないように細く扉を開けると、いつもおしゃべり好きな侍女二人が廊下の隅で話しています。
「アデライト様、別荘へ静養に行くらしいわよ」
「その後は?」
「さあ……こんな状況じゃあ結婚も無理だろうし、いずれ修道院にでも入れるんじゃないかって噂で」
「奥様も頭を抱えていらっしゃったものねえ」
私は音をたてないように扉を閉めました。
貴族の令嬢の役目とは、別の貴族の家に嫁いで家を守り血を繋ぐこと。それなのに、その一番の役目ができなくなったのだから本来は家から追い出されても当然です。
(……私は、何の役にもたたないお荷物なのだから)
私はソファの上に置いてある荷造りした鞄を見つめました。
もしかしたらこの家に帰って来ることはもうないのかもしれません。
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