表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/55

侍女アニーの願い 2

「レイドリックは、まだ寝ているの?」

 その日の昼前に、屋敷に到着したローズマリー様は、太陽が中天にさしかかる頃になっても部屋から出てこないというレイドリック様のお話を聞いて、ぱちぱちとその大きな目を瞬かせた。

「はい。申し訳ありません、実はお帰りになられたのは明け方頃なのです。騎士団の方で予定外の出来事があって、時間が少々押してしまったようで」

 王宮騎士として日々の勤めはもちろん、結婚準備の為にあれこれと駆け回る日々は、なかなかに慌ただしい。

 体力には人一倍自信のあるレイドリック様でも、王宮や王都の屋敷、そして領地の屋敷と決して短くない距離を行ったり来たりする生活は、いささか疲労も溜まるだろう。

 今日も、ローズマリー様との約束があるからと屋敷に戻っては来たものの、帰宅したのは空も白み始めた頃合いで、少し仮眠を取ると部屋に戻ってから今まで音沙汰がない。

 そろそろ起こして身支度をして頂かないと、約束の時間に間に合わないと、私がお部屋まで向かおうとしていた頃のローズマリー様の、少し早めのご到着だった。 

「そうなの…なら、もう少し寝かせてあげたいけど…」

 レイドリック様の忙しさは、ローズマリー様もご存じだから、だらしがないと婚約者を責めるような発言はしない。それどころか気遣いを見せる言葉に、私は微笑みながら首を横に振った。

「そう言う訳にはまいりませんわ。そろそろ仕立屋も参りますし、奥様もお待ちかねですもの」

 花嫁のドレスはとにかく時間が掛かる。先日やっとデザインが決まったばかりで、今日は使用する生地の打ち合わせだ。

 本来ならその役目はエイベリー夫人とローズマリー様のお二人でも事足りるのだが、自分も参加すると無理矢理予定を合わせたのはレイドリック様本人である。

 とにかく、恋人に会うチャンスは少しでも逃したくないらしい…それはローズマリー様も同様のようで、彼の申し出に頬を染めて頷いていた姿は、私ですら抱き締めたくなるほどだ。

 生憎とその約束をした場には、お兄様のデュオン様も同席されていたので、わざとらしい咳払いを前にレイドリック様は何とも微妙に強張った表情のまま、手も足も出なかったようだけれども。

 どうやら今日は、お兄様の同行はないらしい。と言うことは、存分にいちゃいちゃ出来る絶好の機会だというのに、そんな日に寝坊とは、なんて残念な方なのだろう。

 ……と言うのはおいておいて。

「それはそうだけれど…大丈夫かしら」

 今もまだ、レイドリック様の様子を気にしているローズマリー様に、私はことさらにっこりと笑顔を向けた。

「ではお嬢様が起こしに行かれますか? ローズマリー様が起こして下さるのなら、レイドリック様の疲れもどこかへ飛んでしまうと思います」

「えっ…そうなの?」

 咄嗟に視線を彷徨わせたのは、たぶん若い女性らしい恥じらいと、期待の狭間で揺れ動いた結果だろう。

 まだ結婚前のご令嬢としては、男性の私室、それも就寝中の部屋に足を踏み入れるのははしたない。けれどもうじき結婚する相手だし、何より愛する人を自らの手で揺すり起こし、朝一番の挨拶をするというのはちょっとしたイベントだ。

 その嗜みと、イベントへの魅力との間に揺れる乙女心が、私には良く判る。

 どうしようかしら、と言わんばかりに迷う仕草を見せるお嬢様の背を押すのは、やはり私の役目だろう。

「きっとレイドリック様もお喜びになりますよ」

「……判ったわ、アニーも一緒に来てくれる?」

「はい、もちろんです」

 いくらけしかけた私でも、さすがにローズマリー様一人で送り出すつもりはない。

 そんなことをすれば、いくらお上品に振る舞っていても、本性は猛獣の檻の中にウサギを放り込むようなもので、下手をしたらいつまでも部屋から二人、外に出てこなくなるかも知れないではないか。

 もちろんそうなったところで、我がエイベリー家の使用人一同は、一切の口を噤むだろうが、あの地獄耳のデュオン様がどこからどう聞きつけるかは判らない。

 結婚前の冒険は、今は慎むべきだろう。

 ローズマリー様と共に、洗顔用の水の入ったポットを抱えてレイドリック様の私室に向かった私は、その扉の前で二度、控えめにノックをした。

「レイドリック様。お目覚めでしょうか」

 けれども、想像通り中からの返答はない。

 失礼します、と一声掛けて開けたドアの向こう、私の後ろから恐る恐ると言った様子でローズマリー様も続く。

 シンプルで落ち着いた色合いの部屋の中は、ローズマリー様の記憶にある頃とあまり変わっていない。そのことにホッとしたように息を付いてから、目を向けた先にある大きな寝台の上で、掛布を肩口までかぶり身じろぎしない人影があった。

 固く目を閉じ、静かな寝息を洩らしているのは、当然ながらこの部屋の主であるレイドリック様だ。騎士の訓練をするようになってから、他人の気配には敏く、いつもなら部屋に入った時点で目覚めるところなのに、今回は相当疲れているのだろうか。

 部屋の中に二人も足を踏み入れても、いっこうに目覚める気配がなかった。

 レイドリック様のお目覚め係をローズマリー様にお任せし、私は洗顔ボウルの中に持ってきた水を注ぎながらも、二人の様子に注視することは怠らない。

 そんなレイドリック様の元に、ローズマリー様が恐る恐る近付き、横向きになって眠っている人の肩にそっと手を伸ばす。

「レイドリック? レイドリック、起きて」

 それでも、掛ける声は随分と控えめだ。私ならば、被っている掛布をまず、遠慮無く引っぺがしてしまうところなのだが、やはりローズマリー様はお優しい。と言うよりも私が不遜過ぎるのだろうか?

 けれどそれを許しているのはレイドリック様だから、私は反省はしない。

 二度、三度と揺さぶられれば、さすがにささやかな刺激であっても、レイドリック様の意識を呼び戻すには充分だったようだ。

 間もなくベッドの上で我が主が身じろぎをして、うっすらとその瞳を開く。瞼の下から現れた、濃い青の瞳をサファイアのようだと称する人がいるけれど、それに関しては同意する。

 その青い瞳に真正面から見つめられて、ほんの少しだけローズマリー様が頬を赤らめた。

「………あれ、ローズ…?」

 起き抜けの声は、まだ少し茫洋としている。夢でも見ているのだろうかと、瞬きを繰り返す様が少しだけ間抜けだ。

「おはよう、レイドリック」

「…おはよう。…でもどうして、ローズが?」

「お、起こしに来て上げたのよ。あなたがまだ寝ていると言うから」

 どうもローズマリー様は、少しだけレイドリック様に対して意地っ張りな様子だ。

 他の人達の前ではとても素直な人なのに、レイドリック様の前ではどうしてだかツンとした仕草を見せる。

 でもそうしたローズマリー様の仕草も、レイドリック様にとっては可愛らしいものに見えているようで、寝ぼけてもどこか甘い顔立ちに、ますます甘さが加わる。

 それを真正面から見ているのが私であれば、胸焼けに目眩を起こすところだったけれど、ローズマリー様は違う意味で目眩を起こしたように、赤い顔を背けてしまった。

 ………一体この恋人同士の立ち位置は、どちらが上なのだろう?

 日常的なことではローズマリー様が上、甘い恋人の時間ではレイドリック様の方が上、と言うことだろうか。

 そんなことを考えながら邪魔をせず、観察に回っている私の目の前で、不意にレイドリック様が身を起こす。起きるのかと、背けていた顔を元に戻したローズマリー様は、だけどその直後に小さな悲鳴を上げた。

 と言うのも、つい先程身体を起こしたばかりのレイドリック様が、突然その片腕を伸ばしてローズマリー様の腰を浚い、半ば無理矢理に自分のベッドの中に引き摺り込んでしまったからだ。

「ちょ、ちょっと、レイドリック!」

 慌てて手足をばたつかせるローズマリー様を下敷きに、彼女の腰を両腕で抱えたまま、その胸元に顔を伏せる。

 私がレイドリック様を止めに入らないのは、少なくともローズマリー様を抱き枕にする以上のことはするつもりがなさそうだからだ。けれども、抱き枕にされたローズマリー様本人はと言うと、そうのんびりはしていられない様子で、顔を真っ赤にしたまま、ぽかぽかと自分の胸に顔を埋めているレイドリック様の肩や背を叩いている。

 とはいえその力は子猫がじゃれるような程度の力しか籠もっていない。猫パンチごときで緩む騎士はいないから、レイドリック様も痛くも痒くもない様子だ。むしろ、大慌てに慌てるローズマリー様の反応が楽しいらしく、低く笑い声すら上げている。

 心底楽しそうだ。

 そして二人とも、私の存在に全く気付いていないか、既に忘れ去ってしまっているらしい。恋する二人の前には、侍女の存在など空気よりも薄い。

「レイドリックったら!」

「ごめん、これ以上の悪さはしないから、もう少しだけこうさせてよ。こうしていると元気が出て来るんだ」

「元気って……やっぱり、疲れてる?」

「うーん……正直に言うと、少しだけね。でも君がこうしてくれると嬉しいよ」

 すると、とたんにローズマリー様の抵抗が止んだ。戸惑いと気恥ずかしさはあるものの、恋人を労る気持ちの方が強いらしい。躊躇いながらも、レイドリック様の朱金の髪にそっと手を這わせ、撫でるように上下させる。

 そうしている内に、次第にローズマリー様の中でも戸惑いより、恋人との触れ合いによる喜びの方が強くなって来たのだろう。その顔に柔らかな笑みが零れている。

 一方のレイドリック様の方と言えば、柔らかな胸に顔を埋めて、非常にご満悦のようだ。

 ローズマリー様が普段は、固いコルセットを嫌い、柔らかな布だけで出来たコルセットを愛用していることも、少しだけ幼くも見えるその容姿に反して、意外と女性らしい身体付きをしていることも、以前滞在をされていた際にお世話をさせて頂いていた時や、ドレスの採寸をした時にご一緒して私は知っている。

 見た目よりも豊かな胸の感触は、それはそれは心地よいものだろう。

 そんなところの感触を楽しまれているなど、純粋にレイドリック様の身を案じているローズマリー様は気付きもしていない。まるで私まで一緒になって、純真なご令嬢を毒牙に掛ける手助けをしているような、後ろめたい気分になってきてしまう。

 そのうえ、これ以上の悪さはしないと言った舌の根も乾かないうちに、顔を上げたかと思えば、丸めていた背を伸ばして彼女の唇に唇を重ねる。

「…っ…んっ…」

 上にのし掛かられた重みで、ローズマリー様の背が羽毛枕に沈み、その手が藻掻くようにレイドリック様の腕に縋った。

 抱き締める抱擁は深くなり、口付けも深くなって行く様子だ。

 ………これはそろそろ、さすがに、私の存在を主張すべきだろうか。

 いくら何でも時には空気以下に振る舞う使用人とは言えど、主人の濡れ場には立ち会いたくない。それ以前に、そこまで自由にさせてもいけないと、私が少々気まずい思いをしながらも、咳払いをしようとした時だった。

 不意にレイドリック様が、抱擁を解いてその身を起こした。そっと身を離したと言うよりも、ガバリと身を起こしたと言う方が正しい、過剰な反応に私だけでなくローズマリー様も少し、意表を突かれたように目を丸くしている。

「…レイドリック?」

 自分の行動が不自然であることは、レイドリック様自身も良く自覚しているらしく、あー、うん、とか意味の成さない声を洩らしながら、凝ってもいない肩を解すように右腕を回し始めるも、その仕草は全くちっとも誤魔化しになっていない。

「どうしたの?」

 お陰で疑問は消えないまま、きょとんと自分も沈められた枕の中から半身を起こしながら、首を傾げるローズマリー様に、返す返答は実に苦しげに聞こえた。

「いや、うん。充分元気になったから、そろそろ起きようと思って」

 と。

 そんな主人を見やる私の瞳が半眼で、呆れを含んだのは仕方ないことだと思って欲しい。調子に乗ってやり過ぎるから、あらゆる意味で元気になりすぎるのだ。

 健康な成人男子ならば致し方ないとは言え、さすがに行きすぎるのはよろしくない。

「……レイドリック様、お支度をお願い致します」

 頃合いを見計らって、静かに声を掛けたとたん。

「…っ…!? アニー、お前そこにいたのか!?」

「最初からおりましたが、何か?」

 私がここにいて、不味いことでもありましたでしょうか。

 そんな意味合いを込めてにっこり微笑んでやると、とたんに心底罰の悪そうな表情でレイドリック様が己の額を押さえ、ローズマリー様は慌ててベッドから離れると、真っ赤な自分の頬を両手で押さえてそそくさと部屋のドアに向かって駆け出す。

「わ、私、先に行っているから! 支度が出来たら降りて来てね…!」

 逃げましたね。

 パタリと閉まるドアの向こうで、羞恥に身を震わせているだろう、お嬢様の姿が容易く想像できる。

 一方、ローズマリー様のように逃げることの出来ないレイドリック様は、一瞬だけもの言いたげな眼差しをこちらに向けたけれど、今ここで何を言っても自分に都合が悪いことばかりだと察したのか、無言のまま私が用意していた洗顔ボウルの前に移動すると、顔を洗い始めた。

「アニー、支度は自分で出来るから、お前も先に行ってくれ」

 私が差し出したタオルを受け取り、顔を拭いながら命じるレイドリック様に深々と頭を下げる。

「かしこまりました。ではこの後、軽食をご用意してお持ちしますので、お食事がお済みになりましたらお越し下さい」

「ああ。………アニー」

「はい。何でしょうか」

「…今のは、その……あれだ…」

「承知しております。デュオン様には、くれぐれも内密に、ですわね」

 下げた頭を上げて、心得たようににっこりと笑顔を向けると、さすがにそこに込められた意味に気付いたのか、レイドリック様の頬に朱が走る。

 ここ数年ではなかなか見ることの出来なくなっていた、お坊ちゃんの素直な反応に私はますます笑みを深め、そしてこれから先もそうした反応が増え、お二人の幸福が増す日々を願う。

 愛すべきお坊ちゃんとお嬢様の、晴れやかな慶事が確実に近付いて来る、その足音を聞きながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ