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第七章 心の行方 4

 確かに彼女の言い分は勝手で、内心呆れと憤りを抱きもする。何を自分に都合の良いことばかり考えているのだと叱りつけたい。

 でもレイドリックが今もまだ引きずっているように、彼との別れをルイーザも完全に割り切れていなかったのだとしたら、お互い納得した上での別れでなかったのなら、哀れだとも思う。

「私はすぐに、レイドリック様と連絡を取ろうとしたわ。でもレイドリック様は一切、応じて下さらなかった。何度声をかけても、手紙を出しても返事を返してはもらえず、それとなく近づこうとしても、するりと逃げられてしまう」

 ルイーザの話は、それまでローズマリーが知らなかった事実が多く含まれている。

 自分の目の届かないところで、そんなことになっていたとは知らなかった。てっきり社交界で顔を合わせる時が、レイドリックとルイーザが接触している全てだとばかり思い込んでいたけれど、違ったらしい。

 社交界だけではなく、ルイーザは子爵家にも、彼が所属する王宮騎士団にも、なんとか連絡が取れないものかと手紙を出し続けていたそうだ。

 そんなことを続けていれば、人の噂にならないわけがない。どんなに密かに行っていたつもりでいても、手紙を届ける行為は幾人もの人の手を介する分、他者の目に触れやすい。子爵家だけならばまだしも、騎士団にまでとなれば、関わる人間の全てが口の堅い人格者ばかりとは限らないだろう。

 噂は多分、そう言うところから発生したのだ。

 ならばどうして自分に教えてくれなかったの、と思いかけてすぐに首を横に振ったのは、言われずとも彼の考えが判ったからだ。

 ただでさえローズマリーが、突然現れたルイーザの存在を気にしていることは、レイドリックも気づいていただろう。あれだけ他人の心の機微に聡い人が、誰よりもローズマリーの近い場所にいて気づかないはずがない。

 過去に何があったのかと、自分が疑ってしまっていたことも彼は気づいていたはずだ。そんな時に社交界の外でもルイーザが接触を持とうとしていると知らせて、こちらに心配させたくなかったのだと思う。

 もちろんルイーザとの過去を、ローズマリーには話したくないと言う気持ちもあったのだろうけれど。

「結果的に私がレイドリック様とまともに言葉を交わすことが出来るのは、社交界でだけだったわ。人前ではさすがに、露骨には逃げられないもの」

 だからいつもルイーザは、わざわざ人目のある場所で声をかけてきたのか。

 これまではあえて鉢合わせしないように、ルイーザの出席するパーティや舞踏会は避けていたレイドリックも、ローズマリーを伴うようになっては、自分の都合だけで予定を組んだり、変えたりすることは出来ない。

 若い女性にはそれに相応しい社交場があるし、恐らく彼としても、ローズマリーが喜びそうな華やかな場所だったり、気配りの出来る主催者が開くパーティだったりを選んでくれていたのだと思う。

 それを利用したのだろう。場合によっては自身が出席する情報は伏せて、レイドリックが参加しやすいように調整したこともあったかもしれない。

 レイドリックが返事を返さない、それこそが彼の返答であるはずなのに。自分の行動の結果、傷つく存在…ローズマリーがいることも、彼女は知っていたはずなのに。

 唇を噛みしめる。彼女の行為を仕方なかったのだと物判り良く許してやれるほど、ローズマリーはまだ大人にはなれない。

 この人にとっては、ろくに知りもしない自分がどう思うかなど、考えもしなかったのだろう。それどころか多分、自分の存在を疎ましく感じたはずだ……ローズマリーが、彼女に対して思うのと同じかそれ以上に。

 そんな、互いに存在を否定したい者同士が今、顔を付き合わせてたった一人の人について言葉を交わしているなんて、何の冗談なのだろうか。

「あの舞踏会の夜は、今夜こそと思っていたの。彼が一人になった時を見計らって、こっそり人づてにこれが最後だからとメッセージを渡して貰って、やっと会って貰えたわ。そしてこれまでのことを謝罪して、以前のような付き合いは出来ないかと訴えた」

 ローズマリーが顔を強ばらせるより先に、ルイーザが言葉を切る。そして緩く首を横に振った。

「でも、彼は言ったわ。今更私との仲を取り戻すつもりはない、自分には他に大切にしたい女性がいる。だからもう自分のことは忘れて欲しいと。………あなたのことよ。あなたが現れたのは、そう告げられて、それでも諦め切れずに泣き出した私が彼に縋った時」

 瞬間、呼吸が止まるかと思った。

 呼吸だけでなく、鼓動も、時も、何もかもが。瞳を大きく見開いて、目の前のルイーザの顔を凝視ししてしまう。それを見て彼女がどう思うかを気にする意識すら、回らなかった。

 そんな話は知らない。今初めて聞いた。だってレイドリックはそんなことは一言も言わなかった。あの場にローズマリーが姿を現し、逃げ出した時も。その後を追ってきてくれた時にも…彼に、どういう関係なのかと尋ねた時にもだ。

 言おうと思えば言える機会はいくらでもあったはずなのに、どうして、と呟く唇は声にならず音の形だけを作る。言ってくれれば良かった、事実をありのままに伝えてさえくれればこんなことには、とそこまで考えて思い当たる。

 レイドリックにそう言わせなかったのは、他の誰でもない自分自身だと。

 あの時のローズマリーは、彼に期待した言葉を言って貰えなかったことにショックを受けて、そのショックから自分の心を立て直すのに必死だった。その後に彼が、ルイーザと二人で自分の目を盗んで会っているところを目撃し、さらにショックを受けて混乱し、その気持ちのまま彼に言葉をぶつけた。

 彼のことを疑い、悲しみと悔しさと、その他説明しきれないどろどろと濁った感情でいっぱいで、多分あの時はレイドリックが何を言っても彼を信じることは出来なかっただろう。

 彼が自分を信じてくれないと、詰ったくせに。

 ローズマリーがあの場で信じた言葉は、自分の疑惑を正当化する言葉だけだったはずだ。それが感じられたから、レイドリックは本当のことが言えなかったのだろうか。何を言っても、ローズマリーが信じてくれないのではと……

 彼に信じて欲しいと思うならば、まず先に自分が彼を信じる姿勢を貫かなければならなかったのに、簡単に心を揺らがせて自分の感情だけでいっぱいになり、目を曇らせたのはローズマリーの方だ。

 だけどあの時あの状況で、一体どれだけの人が冷静に話を聞こうとすることが出来ただろう。

 一度は収まり掛けていた感情が蘇ると、また泣き出してしまいそうになる。辛うじて、今自分がどこにいるのかと己に言い聞かせて堪えるけれど、瞳が潤んでしまうことまでは堪えようがない。

 せめて今の自分の目を見られたくないと、俯くローズマリーにルイーザは言った。

「あれだけはっきりと言われては、もう私も愚かな期待など抱けないわ。でもローズマリー様。私は最後に一つだけ、どうしても片付けなければならない問題を残しているの」

「…問題?」

「ええ。多分あなたも同じ理由で私の元へいらっしゃったのではないかしら。……今、レイドリック様に関して広がっている、悪意ある噂よ」

 噂。

 社交界には常に、様々な噂が流れている。逆を言えば、噂話を聞かない時などないと言っても良い程にだ。それ自体は、悪いことではない。

 あちこちから聞こえて来る噂話は重要な情報源の一つであるし、個人や家族、そして国にとっても有益となる情報というものが噂から得られる場合も多い。騎士団の諜報を重点的に担当する部署では、そういった噂話をかき集めて来る担当の人間がいると聞いたこともある。

 でも今ルイーザが言っているのは、その他大勢の他人や土地の噂ではなく、他の誰でもないレイドリックに関わる現在の噂だ。彼に対して悪意と敵意があるとしか思えない、彼を貶める類の。       

 ルイーザの言う通り、ローズマリーがここへ訪れたのもその噂が原因である。噂で恐いのは、話題にされあること無いことを面白おかしく広められる以上に、真偽が定かではないその噂の内容が、事実であると耳にした人々に信じ込まれてしまうことだ。

 もちろん通常は噂にはそれぞれ多くの嘘と、少しの真実が混じっていることなど誰だって知っている。その為皆、面白おかしく話題にするだけで、噂の全てを鵜呑みにするような人間は逆に無粋だと笑われる程だ。

 けれど今流れているレイドリックに対する噂は、多くの人に事実ではないかと思われ始めている。そうでなければたかが噂の真偽を確かめるために、騎士団がレイドリックに事情を問うなどするわけがない。

 こうなると、逆に噂を放置して置くことは身を滅ぼす原因になりうる。それはレイドリックも充分承知しているはずなのに、何故彼が今になっても殆ど口を噤んでいるのかは判らないが、例えレイドリックに理由があろうともローズマリーまでも、黙り込むつもりはない。

「……あの噂はやっぱり?」

「ええ。多分誰かがレイドリック様を貶める為に意図的に広めた、でっち上げです」

 二人の関係は、もう終わっている。ルイーザの話を信じるならば、決定的な終わりを告げたのはレイドリックの方だ。だと言うのにそのレイドリックが、別れを告げた舌の根が乾かないうちにルイーザに言い寄ってよりを戻し、彼女の財産をどうこうしようと画策するわけがない。

 そもそもレイドリックは、さして財産や金銭に興味を持っていない。もちろん貴族として体面を保ち生活していく以上、全く無関心という訳には行かないし、嫡男として必要なだけの金銭感覚はきちんと備えてはいるが、自分の領地と家族、そして自分自身の生活がまかなえるだけの収入があればそれで良し、と考えている印象がある。

 世に多く存在する儲け話や投資話にも全く興味を示さない。どうしても必要なら、デュオンが勧める物にだけ手を出すと言った具合である。

 むしろ財産に興味を持ってくれればそちらの方が、ルイーザにとっては都合が良かったはずだ。

「私の行動が原因で立った噂ですから、私自身がどうにかしなければと思っています。それがレイドリック様にご迷惑をおかけした、最後の責任の果たし方だと」

 ルイーザなりに、流れてしまった噂の責任は感じているらしい。確かに彼女があれほど目立つアプローチを続けなければ、こうまで酷い噂が立つ余地はなかった。元々燻っていた六年前の噂話に油を注ぎ、再燃させたのはルイーザの責任が大きい。

 だがそれを今責めても、もうどうにもならない。ひとまず彼女の責任を追及することは止めて、話の内容にこそ意識を集中させることにする。

「でもどうやって?」

 一度広まった噂を無かったことにするのは、はっきり言って不可能である。形のないものは取り戻すことも、打ち消すことも出来ない。取れる方法があるとしたら、現在流れている噂よりもっと話題性の高い噂話で上書きするか。

 あるいは、流れた噂が事実無根であると証明して見せるかだ。

「……実は私に少し考えがあります。レイドリック様の噂をうやむやにして、噂を流した張本人をあぶり出せるかも知れません」

「あぶり出す?」

「ええ。…ねえ、ローズマリー様。私達、目的は同じではありませんか? なら、この際協力して頂けません? 正直私一人では、方法は思い付いても今一つ効果があるかどうか期待出来なくて。でもローズマリー様が協力して頂けるなら、きっと効果的ですわ」

 思い掛けない誘いに、すぐには返答が出来なかった。ルイーザの言う「考え」が本当に効果があるのかどうかも、今のローズマリーには確かめようがない。彼女の言うこと全てをそのまま信じられるだけの、信頼関係もない。

 けれど効果の有無は別にしてルイーザが、本気でそう思っていることだけは何となく判る。言ってしまえばローズマリーにも、これから先どうすれば良いのか、取るべき行動のアテがあるわけでもない。

 ルイーザの誘いは、こちらにとっても願ったり叶ったりだ。

 でも……そこまで考えて、尚もしつこく込み上げて来そうになる己の負の感情を飲み込んだ。けれどそれは、決して自分の腹の中に溜め込んだわけではない。

 彼女にはどうしても言いたいことがある。

「…ルイーザ様。正直に申し上げて、私はあなたが嫌いです」

 唐突なローズマリーの告白に、ルイーザがはっと息を飲んだのが伝わった。まさか彼女も、好かれているとは思っていないだろうが、同じくらい、こうもはっきりと嫌いだと告げられるとも思っていなかっただろう。

 本来こうした感情は、どれ程露骨であっても隠すのが普通だ。特に利害の一致で一時的にでも、手を組むとするなら尚更に。けれどローズマリーは、逆にこんな気持ちを隠したまま彼女と協力関係を作ることは出来ないと思う。

 自分にはそこまで割り切れない。子供と言われればその通りで、好き嫌いなどこうした場合には些細な問題だ。それでも告げたのは、自分なりの覚悟の現れでもある。

「あなたはとても身勝手で、自分本意な方だわ。どんな理由があれ、レイドリックへの謝罪は自己満足としか思えないし、あなたのしたことは私から見れば、ただの略奪行為です。あなたに好意を持てる理由なんて何一つないわ」

「………」

「何より私が一番許せないのは、今もまだ心の傷になるほど、レイドリックを傷付けたと言うことよ。謝罪なさると言うことは、あなたにそうするだけの理由があると言うことですよね。あなたが結婚生活を送っている間から今までの六年間、彼がどんな気持ちで時を過ごしてきたか、一度だって本当の意味で真剣に考えられたことなどないでしょう」

 もしもあるならば、夫が亡くなったからと、過去の彼との恋が忘れられないからと、そんな理由で今更よりを戻そうと近付いてなど来られないはずだ。そうすることで、再び彼をどれだけ傷付けることになるかと思うと、ローズマリーなら出来ない。

 静かな怒りを向けるローズマリーの言葉は、ルイーザの心にどう聞こえただろう。どう聞こえようとも構わなかった。ルイーザの返答を待たずに、さらに言葉を重ねる。

「でも、あの人が一度は愛した人なら、それだけの理由がある方なのだとも思います。……彼がただ身勝手なだけの女性を、愛するとは思えないから」

 当時の二人に何があったのだとしても、多分レイドリックがルイーザを本気で愛したのは本当だ。そして長く忘れられない存在であるのも、確かだろう。

 同じようにルイーザも、形は違えど、今もまだ奪い取ってでも彼が欲しいと願っていたのなら、多分それだけの気持ちを通い合わせるだけの何かが、お互いにあったはず。

 どんなに悔しくても、それをローズマリーが否定することは出来ないし、立ち入ることも出来ない。認めなくてはならない、今の彼を形作る過去だ。

「…だから、私はこの件に関してだけは、あなたを信じます。それでも良ければ…是非、協力させて下さい」

 彼と別れてしまった後では、もう遅いかもしれないけれど。他にローズマリーが出来ることなどないから。

 真っ直ぐに顔を上げ、瞳を向けて来たローズマリーに、ルイーザは一瞬だけ切なげに瞳を細め、何かを諦めたように苦く笑った。それから頷いて、まだ誰にも、それこそ兄のデュオンやエリザベスにも言わないでくれと前置きした上で、彼女はこれから自分達が取るべき行動の内容を説明してくる。

 その言葉に、ローズマリーはただ静かに頷き返すのだった。

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