第十話 タケダ王国
「姫殿下、ユキさんを無礼討ちにされるならどうぞこの私も一緒に」
「なっ!」
王女の頬を準貴族とはいえ元平民の俺が打ったのだ。手討ちにするのに理由は充分過ぎるはずである。
「それでも足りないとおっしゃるのであれば私のこの刀でユキさんを、ユキさんの刀で私を、互いに喉を突き合って果てましょう」
「私もご主人さまとお嬢様にお供いたします」
アカネさんも自ら刀を抜き、自分の喉元に切っ先を向けた。その光景を見て姫殿下が一気に青ざめる。
「妾を……妾を一人にするな……」
力ないつぶやきは、しかし彼女が正気に戻ったと感じるには充分だった。
「妾が悪かった。頼むから刀を収めてくれ」
「アヤカ様……」
「姫殿下は決してお一人ではありませんよ。何十万、何百万の国民、そして私たち三人は皆殿下の味方ですから」
俺はそう言うと床に落ちた刀を拾って鞘に収め、再び姫殿下をそっと抱きしめた。抵抗することなく俺の腕の中に収まった彼女は、心地よさそうに目を閉じる。
「妾はのうヒコザ、そなたの腕の中が好きじゃ」
「姫殿下……」
「だがそれに甘えてはならぬのだな。分かってはおるのじゃ。分かってはおるが……」
「私も姫殿下のさらさらの髪やふんわりとした感触は好きですよ。でも、それは本当は口にしてはならない言葉なのです。そしてこれから私たちが訪れるタケダ王国は他国であり、隙を見せるわけにはいきません。ですからどうか今を限りに、いつもの元気な姫殿下に戻って頂けませんか?」
「ヒコザ、そなた……」
「アヤカ様、ヒコザ先輩は私の未来の夫です。ですからお貸しして差し上げるのは今だけですよ」
「私の未来の夫でもあります」
きっとこの後で二人の妻も抱きしめることになるのだろうが、旅が始まってほんの数日で俺たちの絆は深まったような気がするよ。特に姫殿下との距離は色んな意味で縮まったと思う。これまでは恐れ多いだけの存在だったのに、今は俺の腕の中にいる。オオクボ国王に見られたら手討ちにされそうだが、俺は出来る限りこの旅では小さな姫君を護りたいと、心からそう思うのだった。
「イチノジョウ殿下、オオクボ国より招きし客人の一行が到着した由にございます」
「うむ、丁重に案内せよ」
謁見の間で衛兵の報告を受けたタケダ・イチノジョウはそう応えると、傍らに控えるツチヤ・マサツグと共に唇に不敵な笑みを浮かべた。玉座にはすでに屍と化したタケダ・ハルノブの姿もある。魔法で生前のような血色を保っているが、その瞳には生気がなかった。
「それにしてもオオクボ国王も食えない人物でございますな」
「まさか実の娘を遣いに寄こすとは。そのコムロ・ヒコザなる男はよほど重要な者と思えるな」
「かのオーガライトの山主の倅であれば尚のことかと」
「いや、それだけではあるまい」
「ところで殿下、お耳に入れておかなければならないことが」
「何事だ?」
「オダの忍びが数名、我が領内に入り込んだ様子にございます」
マサツグの言葉にイチノジョウは訝しげに眉をひそめる。
「何故侵入を許した?」
「それがどうやら相手はカワナミ衆筆頭ハチスカ・ヨロク率いる者たちのようでして」
「何だと? ではキノシタ・トウキチが?」
「恐らくシバタの不甲斐なさに業を煮やした皇帝がキノシタを差し向けてきたのではないかと」
「皇帝はせっかちな性分だと聞くからな。しかしキノシタが出てきたとなると厄介だな」
「それにハチスカ一味に脱出されては疫病が嘘であることもオダの知るところとなります。そうなれば戦争も必定となりましょう」
「オオクボに使者を出せ」
「まさか殿下……?」
「致し方あるまい。オオクボは同盟国と見なし陛下崩御を明かす。その上で援軍を出させるのだ」
「しかし相手はオダ。シバタだけならまだしもキノシタまで出張ってきた敵にオオクボの援軍だけで立ち向かえますでしょうか」
「オオクボ王は実はあの父上が最たる将と認めた智将なのだ」
「なんと、陛下が?」
「オオクボ国よりのご使者、ご到着!」
そこで謁見の間にヒコザたちの到着を知らせる衛士の声が響いた。それと同時に観音開きの大きな扉が開き、アヤカ姫を先頭とした一行が緩やかに玉座の前まで歩みを進める。姫を除く三人は皆足元に視線を落とし、顔を伏せたままである。国王の前では許しがあるまで、顔を上げてその尊顔を拝してはならないという作法があるからだ。ただし、王族であるアヤカ姫だけは例外だった。
「ハルノブ国王陛下、お久しゅうございますわ」
アヤカ姫が立ち止まったところでヒコザ、ユキ、アカネの三人が背後に跪く。姫は胸に左手を置き、右手でスカートの裾をつまんで持ち上げながら優雅な一礼を見せた。しかし彼女が目を上げてハルノブの顔を見た瞬間、その表情を暗い陰りが支配する。
「お気づきになられましたな、アヤカ王女殿下」
マサツグの声に、イチノジョウは口元に笑みを浮かべながらアヤカの瞳を見据えていた。




