第二十一話 いつでも、いつまででもお待ちしております!
翌朝朝五ツ、ハチマン屋の前には大勢の人だかりが出来ていた。そのうちの半分は昨夜のシズたちの宣伝で日帰り温泉に浸かろうと集まってきた者たち。残りの半分は宿の前に停められた馬車に目をとめた者たちである。その馬車に王家の紋章が刻まれていたからだ。朝五ツとはだいたい午前八時くらいの時刻である。
「皆の者よく聞け! これより我がタケダ王国国王、タケダ・イチノジョウ陛下がお出ましになられる!」
高々な声を上げたのは馬車を率いてきた王国騎兵隊隊長、マツダイラ・トモヤス伯爵である。
「跪き、頭を下げて陛下をお迎えせよ!」
その言葉で集まっていた者たちが一斉に跪く。それに合わせてまずシズとマサキチが玄関の両脇に出て頭を下げ、赤い絨毯が敷かれた上に俺とアカネさん、それにスズネさんとオガサワラ国王が歩み出た。ミノリ姫とサエキは一歩下がった位置に立っている。
「皆の者構わぬ。面を上げよ。そして其方らの顔、余に見せてくれ」
途端に辺りは歓声に包まれた。エンザンは圧倒的に女性が多く、お陰で俺を見て黄色い声を上げる者も少なくない。俺はその中に見知った顔を見つけて歩み寄った。
「おお、ツネではないか! 変わりないか?」
「国王様、まさかこったらところでお会い出来るとは思っても見ませんでした」
「野菜を卸しにきたのか?」
「いんえ、昨日たまたま村のモンがハチマン屋さんで日帰り温泉開かれるって聞いてきたもんで」
「では温泉に?」
「へえ。昔っからハチマン屋さんの温泉は肌にも体にもええって聞いてましたもんで。いっぺんでいいから入りたいと思ってたんだども、貧乏人には縁がごぜえませんでしたから」
「そうか。しかしこうしてやってきたということは、少しは生活も潤ったということだな?」
「国王様のお陰だす。ほんっに、ありがてえこってす!」
言いながらツネが俺に向かって合掌している。それにならって彼女に同行してきた数人の女たちも合掌を始めた。
「さて、皆の者に紹介しよう。向かって左が第二王妃のアカネ、右が第三王妃のスズネだ」
「王妃さまぁ!」
微笑みながら周囲を見回す彼女たちにも大きな声援が送られる。集まった者たちからすれば二人とも醜女である。その彼女たちが王国屈指のイケメンである俺の妻であり王妃なのだ。羨望の眼差しを向けられるのも不思議ではないだろう。
「そしてその向こう側におられるのが此度、我がタケダと同盟を結んだシナノ王国国王、オガサワラ・トキナガ殿である」
「タケダの方々、オガサワラ・トキナガである。我がシナノとタケダはイサワを通じて地続きと相成った。ぜひ我が王国自慢の蕎麦を食いに来てくれよ」
「オガサワラ国王、万歳!」
民衆の一人が叫ぶと、皆諸手を挙げてオガサワラ王を歓迎していた。
「さて、ここに集まった多くの者は知っていようが、本日よりこのハチマン屋にて日帰り温泉を開業することとなった。ついてはそれに先立ち、我々は一足先にこの宿に泊まり湯を堪能してきた」
「実によい湯であったぞ。そこで余はこの風呂に墨付きを与えることにした」
余と言ったのはオガサワラ王である。その王の言葉で傍らに控えていたシズが、受け取ったばかりの墨付きを広げて集まった者たちに見せていた。
「我がシナノにも名湯数あれど、このハチマン屋の湯の右に出る湯はそうそうないであろう」
「おお!」
民衆のざわめきが一層大きくなってきた。これで俺たちの役目は一段落である。俺は大事そうに墨付きをたたんでいるシズの許に歩み寄った。
「シズ、我々は城に帰る。浴室の増築と宿の改築に必要な人足は手配してやろう」
「そんなことまで!」
「その者たちへの給金と寝床は頼んだぞ」
「もちろんでございます!」
「マサキチよ」
「は、はい!」
「其方の料理、美味かったぞ」
「もったいない……もったいないお言葉、ありがたき幸せにございます!」
そこで俺は大事なことを二人に伝える。
「そうだ、忘れるところだった。例の幽霊の件だがな、もう出ないと思うぞ」
「え?」
「この宿の敷地内に祠を建てて、懇ろに弔ってやるがよい。きっとこの宿を護ってくれることだろう」
「あの、それはどういう……」
「実はな、あれは確かにこの宿で殺された女中の霊だった。しかし彼女は殺された無念より、自分のせいでハチマン屋が廃れてしまったと嘆いていたのだ」
「そ、それでは!」
「こうしてこの宿が再び賑わえば彼女の無念は晴れる。つまりはそういうことだ」
シズの目に涙が浮かんでいた。彼女は心根の優しい少女だ。幽霊とはいえ泣いている者を無視することが出来なかったのだろう。
「世話になった。またいずれ湯を楽しませてもらいに来るぞ」
「ぜ、ぜひ! いつでも、いつまででもお待ちしております!」
「うむ」
涙目に満面の笑みで応えてくれたシズに、俺はハチマン屋の未来が明るいことを確信して城に戻るのだった。




