第九話 この宿に幽霊なんかいないよね?
「見た目は確かにオンボロだが……」
スズネさんが戻ってきてから部屋に通された俺たちは、外観に負けずところどころ朽ちた内装に一瞬後退った。しかし掃除はよく行き届いており、古いだけで不潔な印象はない。
「な、なあ、娘さん。食事は大丈夫なのか?」
「ご心配なく。今マサキチさん……番頭さんが食材を買いに行ってますから」
サエキが心配そうに尋ねたが、少女は微笑みながら応える。ところがしばらくしてそのマサキチと思われる番頭が、血相を変えて部屋に飛び込んできた。
「お、お嬢様! お嬢様!」
「マサキチさん、どうしたんです? お客様のお部屋ですよ」
「それが……どこも溜まったツケを払わないと食材を売れないと……」
「え?」
話を聞くと長く客足が途絶えていたせいで、あちこちにツケを抱えたまま払えないでいたそうだ。それで今回はとうとう、まずそのツケを払えということになったらしい。
「それで、ツケというのはいくらなのだ?」
オガサワラ王がやれやれという感じで番頭に尋ねる。おそらく宿代を先に払って足りる程度なら、先払いしようと考えたのだろう。
「総額で小金貨二枚ほどかと……」
「小金貨二枚……して、我らの宿代はいかほどになるのだ?」
「六名様ですから大銀貨六枚です」
宿代の設定は割と良心的だが、小金貨一枚は大銀貨にすると二十枚である。先払いしたとしても、とてもではないが賄える金額ではない。それにその小金貨二枚というのはこれまでのツケであり、新たに食材を仕入れようとするならその分の費用も必要となるはずである。
「それではツケは払えんだろう」
「どうしましょう。せっかく久しぶりにお客様が来て下さったというのに……」
少女は泣きそうな顔で俺たちを見回した。食事が出ないのならここを出て他の宿を探す方が賢明だとは思う。だが何故か俺はそうする気になれず、ひとまずこの宿が廃れた原因を聞いてみることにした。
「それは……幽霊騒ぎが原因なんです」
「幽霊騒ぎ? さっきコウフク屋とかいう宿の者が言っていたあれか?」
「はい……」
「も、もしかして本当に出るんですか?」
アカネさんが何となく体を俺に寄せてくる。普段ウイちゃんを見ていても、怖いものはやっぱり怖いんだよね。ふわっと柔らかい感触と、甘い香りが漂ってくるから俺としてはこれは大歓迎だ。
「いえ、直接見た者は誰も……ただ……」
「ただ?」
「夜中に誰もいないはずの部屋、ちょうど向かいのお部屋ですが、そこから女性のすすり泣く声が聞こえたり、風もないのに襖がガタガタ音を立てたり……」
他にも空き部屋なのに、月明かりに女の陰が浮かび上がったりというのを見た客もいたとのことである。そしてこれらに信憑性を持たせているのが、次の少女の話だった。
「実は私が生まれる前の話なんですが、当時このハチマン屋もそれなりに繁盛していた時期があったんです。ところがある日若い女中が宿泊客の貴族様に無礼討ちされて……」
その女中は貴族から夜伽を迫られて断ったために斬られたのだという。ところがそれから間もなく当の貴族が原因不明の病で亡くなり、一族も次々と病に倒れて一年も経たずに没落してしまったそうだ。世間はこれを祟りとして恐れ、以降ハチマン屋からも客足が遠のいて今のような有様になったということだった。
「なるほど。もっともらしい話ではあるが、それだけで本当に幽霊がいるとは断言出来ないだろうな」
「コムロ殿はあまり幽霊を怖がらないのですな」
「いや、まあ怖いと言えば怖いのだがな」
俺がウイちゃんを怖いと思うのは別の意味だからね。風呂で金縛り状態にされて色々されるとか。
「そもそも誰も直接幽霊を見た者がいないというのが腑に落ちないと思わないか? そこの娘……名を何と申す?」
「あ、はい、私はシズ、ヤワタ・シズと申します」
「うむ。そのシズが申したことは、ちょっとしたカラクリで起こすことも出来るからな」
「え?」
誰もいないはずの部屋と言っても、こっそり忍び込んでしまえばすすり泣く声も、月明かりの陰も何とでも出来る。この宿の佇まいなら、特に忍び込むのに苦労はないはずだ。
襖がガタガタ音を立てるというのも、紐や棒で揺すれば簡単に再現出来るだろう。幽霊の正体見たり枯れ尾花、とはよく言ったものである。もっとも今回の件には何者かの悪意を感じるのは確かだ。
「つまりその幽霊騒動だが、何者かが仕組んだ悪質な嫌がらせではないかと思う」
得意満面、俺はそう言い放った。これには一同もパッと顔を輝かせる。
「で、ではうちには幽霊などいないと?」
「そういうことだ」
とは言っても念のため、その道の専門家であるウイちゃんに裏を取っておくとするか。そう思った俺は手洗いと言って部屋を出て、周囲に誰もいないのを確認してウイちゃんを呼んだ。彼女は俺がどこにいても念ずればすぐに来てくれるのである。
「と言う訳なんだけど、この宿に幽霊なんかいないよね?」
ところがウイちゃんはしばらく考え事をするような素振りを見せてから、予想もしなかった言葉を返してきた。
「いえ、いますわよ。若いお女中の霊が」
「え……」
彼女の言葉に俺が呆然となったのは言うまでもないだろう。




