第五話 密書を届けるのじゃ
「妃殿下も、ただならぬお方とお見受け致します」
マエダは口元に微かな笑みを浮かべると、アカネさんに向かって一礼した。ただし、頭を下げずに彼女を見据えたままである。
「一度立ち合ってみたいものです」
だからアカネさん、ダメだってば。
「それは真剣ですか? それとも木刀ですか?」
「もちろん、真剣にて」
「やめよ。余が許さん」
マエダもまんまと乗せられやがって。まして真剣で立ち合うなんて、たとえ刃引きしてあったとしても下手したらどちらかが死んでしまうじゃないか。だが、俺が考えていたよりマエダは理性を持ち合わせていたようだ。
「真剣ではおそらく私は妃殿下に敵いますまい。私の得意とするは槍。剣の間合いに入られては太刀打ち出来ません」
「あなたがそう易々と相手を間合いに入れるとは思えませんが?」
「いえ、妃殿下ほどの腕前なら間合いに入ることなど容易いでしょう」
「ご主人さま陛下!」
「ダメだ! 立ち合いは許さん」
アカネさんが珍しく頬を膨らませて抗議してきたが、許せないものは許せない。それよりアカネさん、そのふくれっ面がめちゃくちゃ可愛いんだけど。
「して、イサワの様子はどうだ?」
渋るアカネさんを何とか宥めすかして、俺たち三人はマエダと向かい合う形でソファに腰掛けた。
「今この時も、おそらくこちらに移住を希望する者が絶えてはおりませんでしょう」
「帝国も慌てているのではないか?」
「先の戦の件で、皇帝と帝国に対する領民の信頼には回復の兆しが見えておりません。殊に開国した相手に対し公爵が攻め込んだことで、属国の中にも不信感を募らせている国があるようです」
これは面白いことになっているようだ。その不信感を募らせているという国と地続きになれば、調略も難しくはないだろう。
「それらの中で最も近いのはオガサワラ・トキナガ国王が治めるシナノ王国でしょうか」
「シナノ王国?」
「イサワの北になります。領地はかなりの広さがあると聞きました」
マエダの話では、そのシナノ王国からもタケダへの移住のために、わざわざイサワを抜けてきている領民が数多くいるという。
「とすると、やはりイサワを取るしかないか。イサワの領主は誰だ?」
「今はおりません。あそこは現在帝国の直轄領となってございます」
直轄領とはまた厄介なことになった。そこに軍を送るということは、すなわち帝国に対し戦を仕掛けることになるのだ。
「何かよい方法はないか?」
「あの地には領主がいないばかりか大きな城もございません。あるのは小さな砦のみ」
「砦に詰めている兵士はどのくらいだ?」
「ほぼ空き城ですね。衛兵が数名いる程度です」
何とか帝国に一泡吹かせることが出来ないものだろうか。ここにきてまさか領主のいない土地がネックになるとは思いも寄らなかったよ。
「すまんがトリイ、アヤカを呼んできてはくれぬか」
「アヤカ王妃殿下、でございますか?」
「そうだ。あれは歳は若いがこういう時は頼りになるのだよ」
「まあ陛下、それでは私たちが役立たずのように聞こえます!」
「ご主人さま陛下、ひどいです!」
「そんなつもりはないが、ならば何かよい策はあるのか?」
「ありません!」
そんな自信満々に二人してハモらなくても。これにはさすがのマエダもトリイも苦笑いだった。
「何じゃ、そんなことで悩んでおるのか。情けない」
ほどなくアヤカ姫がやってきたので状況を説明すると、彼女はすぐさまこう言い放ったのだ。
「妙案があると申すか?」
「まずはそのシナノのオガサワラ国王とやらに密書を届けるのじゃ。内容は――」
俺たちは彼女の考えた策に呆然とするばかりだった。俺の六人の妻の中では彼女は一番年下である。にも関わらずこんなことを思いつくなんて、その場にいた誰もが驚かずにはいられなかった。
「これならそもそもそのオガサワラとやらがこちらに寝返る可能性があるかどうかも分かるじゃろ」
密書は国王である俺ではなく、マエダが認める方がいいとのことだった。それは万が一オガサワラが寝返らずに皇帝に密書を見せてしまった場合、帝国がこちらに攻め込む口実を与えてしまうからである。
しかし密書の主がかつての臣下であったマエダの手によるものとなれば、決して公にすることなど出来なくなる。何故なら皇帝は臣下に裏切られた上に、属国に寝返りを勧められるという恥を領民に晒すことになるからだ。
「イサワはなるべく人が少ない方がよいじゃろう。マエダ殿、たとえ通り抜けでもそれとなくイサワには立ち入らん方がよいとの噂は流せるかの」
「はっ! 戻り次第すぐにでも」
これで話はまとまった。マエダはまず城に戻って密書を認め、それをオガサワラ国王に届けさせる。その傍らでイサワに噂を流し、折を見て帝国に動きがなければ作戦は第二段階に移行するという段取りだ。
「オガサワラ国王がどう出てくるかが楽しみだな」
はじめは小さなほころびでも、放っておけばやがて大きな亀裂となる。それをあのキノシタに思い知らせてやるのだ。俺は今後の動向を見守るために、しばらくエンザンに留まることを決めた。




