第十三話 あれは嘘だったわけだ
「イヌカイ殿、これは?」
「見ての通り、キノシタ皇帝陛下が我が主に宛てた書簡ですよ」
「確かにこの花押は皇帝陛下の……本当にこれ一枚だけだというのか……?」
珍しくイヌカイがわざわざ訪ねてきたと思ったら、見せられた書簡にマエダは驚かずにはいられなかった。
先の戦では、予め皇帝からムライ公爵に対する支援は無用との通達がきていた。そんなものがなくてもあのいけ好かない男を支援するつもりなど毛頭なかったが、それでもシバタに引き続いての侵攻である。謝って済む問題ではないだろうと思っていたのだが、まさか謝罪の一言もないとは目を疑うよりほかなかった。
「どうやら皇帝は我が国を陥れるために策を巡らせたようですな」
「そのために義弟の命まで道具にするとは……」
「マエダ殿、我が主からの言葉をお伝えしましょう」
「タケダの国王から?」
「我が王国は開かれている。仕えるべき主を誤らぬよう」
マエダはイヌカイの言葉に眉をひそめる。これは明らかに自分に対する調略と受け取っていいだろう。しかしタケダの国王が何故自分に興味を持ったのかが今ひとつ不明瞭に感じられた。もし自分ではなく隣のエンザン領の安泰とイサワへの侵攻を見据えてのことであれば、話に乗るつもりは全くない。
「タケダの王はこの地を欲するか」
「いや、陛下は身一つのそなたを迎えるご所存にあらせられるようですぞ」
「身一つ? 領地には興味がないと?」
「領地も共にとなればすぐにでも帝国は攻め込んでくるでしょう。戦争で苦しむのは領民だ。陛下は領民に累が及ぶことを何よりも憂うお人なのですよ」
その上国境守護であるマエダがタケダに寝返ったと知れ渡れば、遅かれ早かれマエダ領やイサワが戦地になると考える人もいるだろう。その人たちの多くがマエダに倣ってタケダへ移住すれば、帝国の瓦解が始まる可能性もあるということだ。
「先の戦で領民の多くはタケダの力を恐れている。貴国はシバタ軍七万に続きムライ公爵軍八千も一瞬にして葬った。その軍勢が攻めてきたらどうなるか、とな」
「実際我が国に移住を希望する者は増える一方のようですしな」
「話は分かった。イヌカイ殿、国王陛下にお伝え願う。この身は領地の安堵と引き換えだ」
「ではマエダ殿は領地ごと我が国に寝返るということですか?」
「俺一人が寝返ったところで領民が苦しむだけだからな。それよりいくら俺でも帝国軍に攻め込まれたら一溜まりもないぞ」
「その件でしたらご心配には及びますまい」
イヌカイはマエダがその身だけではなく、領地ごと寝返った場合の指示も受けていたのだ。
「マエダ殿が帝国に離反を宣言した時より、この地はタケダのものとなります。そしてその瞬間から、シバタ軍を蹴散らした我が王国最強の部隊の庇護下に置かれる手筈となっております」
「タケダ最強の……」
「仔細は申せませんが、あの部隊は現在隣のエンザンを本拠地としております」
「ではムライがイヌカイ殿の方ではなくエンザンに攻め込んでいたとしても……」
「一瞬のうちに」
あの幽霊部隊はこの世の人間がどう戦っても勝つことは出来ない。何故なら彼らは不死、というよりすでに死んでいる者たちなのだ。それが神殿建設によってますます力を強めているという。間違っても敵に回してはならないと、誰に言われるまでもなくイヌカイは心の中でそう思っていた。
「時にマエダ殿は何故ムライ公爵に加勢しなかったのですか?」
「知れたこと。俺の手勢はわずか千五百。加勢したところで全滅は免れまい」
「それだけですか?」
「俺はイヌカイ殿を友と思っている」
「光栄です。私も同じ気持ちですよ」
マエダはあまり頭が切れる方ではなかったが、その分裏表がほとんどない。イヌカイにしてみれば好きなタイプの男だったのである。
「友の領地に攻め込むなど、俺には考えられなかったのだ。それにあのおじゃる男は気持ち悪くてな」
「なるほど」
恐らくはその気持ち悪いというのが一番の理由だろうと理解したイヌカイは、思わず笑ってしまった。
「よし、そうと決まれば早速帝国に三行半を突きつけてやろう」
「そうですか。では今後は同じタケダの民として互いに手を取り合って王国を護りましょう」
「ああ。それとイヌカイ殿」
「何ですか?」
「もう敬語は不要だ。そもそも歳はそちらの方が上だしな。それに俺はタケダに入れば爵位はなくなる」
「そのことです……そのことか。陛下はあなたが領地ごと寝返った際には、そのまま国境守護として侯爵位を授けると仰せだ」
「なんと! イヌカイ殿が我が城に入って守護を務めるのではないのか?」
「陛下は私にあなたの補佐をお命じになられたのだよ。爵位は伯爵となる」
「そ、それでは格が下がるではないか」
「あなたに初めて会ったあの時、私は男爵だったのだよ。ところがシバタが仕掛けた戦の代償としてエンザンがタケダ領となり、国境守護のトリイ侯爵閣下がエンザン入りしたのでな。それでここを任されたというわけだ」
「そういう経緯だったのか。爵位と領地を金で買ったという、あれは嘘だったわけだ」
マエダはこう言っているが、笑いながらなので決して怒っているわけではない。それからしばらく二人は雑談を交わしていたが、マエダが帝国宛に書状を認めるというので、イヌカイは城を去るのだった。




