第十一話 すまん、大丈夫だ
「我はキノシタ帝国公爵、ムライ・キチベエなり! タケダ王国国境守護、イヌカイ殿に申し渡す。速やかに城を出て我に跪け! さすれば我が軍は慈悲をもって刃を振るわず、領民の安全も約束してやるでおじゃる!」
しかしムライの言葉に応えたのは風の音だけだった。彼らの前には人っ子一人おらず、広い大地が広がるばかりである。
「我らの突然の出現に恐れを成したか、それとも兵の準備が出来ておらぬのか」
「申し上げます!」
「何じゃ」
「付近の村にはほとんど人がおりません。確認出来たのは数名の弓兵のみにございます!」
「捕らえますか?」
遠見の報告を聞いたムライの側近ハタノ・サクタが、彼の耳元でニヤつきながら囁いた。
「数名の弓兵など捨て置いて構わん」
「イヌカイ殿は尻尾を巻いて逃げ出したのでしょうか」
「申し上げます」
「許す。申せ」
「イヌカイ殿、城より遠見鏡でこちらを窺っている由にございます!」
「ハタノ、どうやらイヌカイは籠城を決め込んだようでおじゃるぞ」
「であるとするならば厄介でございますな」
「兵の数のことを申しておるのか?」
「はい」
そこでハタノは小声になる。これからの話は軍の士気に関わることだからだ。
「おそらく城の規模からして城兵は千に満たないでしょう。あれならば落とせはしますが、城攻めではこちらの被害も大きいかと」
「構わん。義兄上はここを落とせばマエダを寄越すと言われたのじゃ。それにすぐにでも皇帝軍十万が駆け付けてくる」
「まるで我らは捨て石のようですな」
「案ずるでない。いずれ帝国は我のものとなる」
「ま、まさか公爵閣下は……」
「皆まで申すな。申せば其方とて斬らねばならなくなるでおじゃるぞ」
言うとムライは軍の先頭に出て、馬上から号令した。
「皆の者、敵は城に籠もった! これより我らは城攻めに入る! 死を恐れるでない! 我ら勝利の暁には、帝国は其方らに十分な報いを約束しよう!」
「おおーっ!」
「いざ、進むでおじゃる!」
八千の軍隊は足並みを乱すことなく、国境を越えてタケダ領への進軍を開始した。
「とうとう国境を越えたか」
「はい」
俺はその日、執務室に六人の妻とツッチーのみを集めていた。衛兵やメイドさんは扉の向こう側に待機している。そんな中でウイちゃんから国境の様子を逐一聞いているというわけだ。
「間もなく敵軍が予定の地点に入りますわ」
「そこが彼らの死地となる。敵とはいえ、弔ってやらねばならんだろうな」
「父上が霧をかけるようです」
いよいよ作戦行動の開始である。この霧を合図にイヌカイの部隊は敵の背後に回り込む。それと共に芸羅快翔部隊の馬車が凧を引き、彼らの頭上からオーガライトの雨を降らせるのだ。視界を霧に遮られたムライ軍は、もはや為す術はないということだ。
「この霧は何でおじゃる?」
「分かりません。このような場所に霧など、不自然でございますな。いったん止まりますか?」
「馬鹿を申すな。この霧は我らを隠す絶好の隠れ蓑でおじゃる。これでは城から矢を放つことも出来まい」
「なるほど。確かに矢の雨に晒されないというのは、我が軍に有利!」
しかし、そこでハタノは不審な表情を浮かべる。
「この音は何でございましょう」
「音? ん、んん? 蹄じゃ! 蹄の音が近づいてきているでおじゃる!」
「敵襲! 敵襲!」
「どこだ、どこからだ!」
すでに視界は一寸先も見通せないほど霧に覆われていた。彼らは右往左往を始めるが、蹄の音がきこえるばかりで敵の姿を捉えることが出来ない。
「待て、慌てるでない!」
騒ぎ始める軍を鎮めるため、ムライは大声を上げた。
「敵の攻撃は?」
「ありません!」
「野馬か?」
「しかし野馬は警戒心が強く、このように人が大勢いるところに現れるでしょうか」
「いってぇ!」
「何事だ!」
「な、何かが空から降って……いてっ!」
そこかしこからボタボタという音が聞こえる。ムライは一瞬投石かと身構えたが、鎧に当たったそれは思いのほか軽く、石ではないことが分かった。しかしこれは何だ。そう思って足元に落ちた物を手探りで広い上げた途端、彼の顔から血の気が引いた。
「皆の者、下がれ! 下がれ!」
しかし公爵の声は熱気と共に聞こえてくる悲鳴にかき消される。
「ぎゃーっ!」
「熱い、熱い!」
「た、助けてくれ!」
ムライがこの世の最期で見た物、それは自分の足元に飛んできた火矢の先端が、付近に散らばったオーガライトに引火して燃え上がる瞬間だった。
「終わったか」
「はい」
ウイちゃんの報告では、こちら側の被害は十名に満たないとのことだった。ムライ軍の一番後方にいた何十人かが迫り来る火を逃れ、逃げ出そうとしたところでイヌカイの部隊と衝突したのである。この時の戦闘で敵兵を逃すことはなかったが、こちら側にも若干名の死者が出てしまったのだ。
「ヒコザ様、大丈夫ですか?」
一瞬のうちに八千もの人の命が消え去った。俺はそのことを考えて軽く目眩を催してしまったのである。
「ヒコたん……」
そんな俺をユキたんや他の妻たちが優しく支えてくれた。こんなことでどうする。俺は曲がりなりにもこの国の王だ。
「すまん、大丈夫だ」
俺はそう言うと椅子に深く腰を埋め、目を閉じて深呼吸するのだった。




