第十二話 その子を頼んでもいいかな
「ムライ卿、お久しぶりです」
「マエダ殿には変わりはないようで何よりでおじゃる」
ムライ公爵は虫唾が走るのを必死に堪えながら、差し出されたマエダの手を握った。こんな男と握手しなければならないとは、一生分の不幸を味わった気分である。後で擦り切れるほど手を洗うことにしよう、とそんなことを考えていた。
「ところでタケダの変な部隊とやらが見えぬようでおじゃるが?」
「はい。それが先日引き上げていきまして。おそらくはエンザン側に回ったのだと思われます」
一方のマエダも、目の前の変な言葉遣いの公爵が気持ち悪くて仕方なかった。女でもないのにいちいち扇子で口元を隠して喋る姿は、その場で殴り倒したくなる程である。反吐が出るとは、まさにこのことを言うのだろう。こんな奴よりイヌカイの方がよっぽど男気に溢れていて好感が持てるというものだ。
「エンザン側に? ということは我にその姿を見せたくないということか」
「そうかも知れません。あれは滑稽な部隊にしか見えませんが、それだけにどのような力があるのか……」
「マエダ殿は見たことがおじゃるのか?」
「遠目には。しかしあまり詳しいことは分かりません」
「滑稽とは?」
「荷馬車でもないのに二頭立ての馬車が何台も」
「単に荷車を外していただけではないのか?」
「いえ、それらの姿は全くなく」
他には何だか平べったい板のような物がいくつもあったように見えたが、あえて言う必要もないだろう。マエダはそう考えて、それ以上タケダの部隊に関することを公爵に話すことはなかった。
その日城下に出た俺は、珍しくウイちゃんだけを供に連れていた。何だかんだと言って彼女とはあまり二人きりで出かける機会がなかったからである。それにウイちゃんが一緒なら、いざという時はアザイ王の兵たちが駆けつけてくれるので護衛の心配もないのだ。
「ウイちゃんは何か見たいものとかあるの?」
「私はこうしてヒコザ様と一緒にいられれば満足ですわよ。ですからヒコザ様が行きたいと思われたところに連れていって下さい」
言いながら俺の腕に巻きつく彼女の体温は、少々ひんやりしているが心地よい。本当は体温などというものはないのだろうが、これもウイちゃんの気遣いというのが分かっているから嬉しいものだ。
「行きたいところか……」
そう言われてしまうとこれといった場所がなかなか思いつかない。そんな感じであてもなく歩いていると、路地の奥でふらふらしながら井戸の水を汲み上げようとしている少女の姿が見えた。
「あれは……」
「労咳のようです」
「労咳か……」
労咳とは結核のことである。こちらの世界では特効薬は開発されておらず、治療法としては空気のきれいな場所で安静を保ち、十分な栄養をとるしかない。人に感染するのは稀なのだが裕福な者でなければ完治は難しく、死亡も珍しくない難病の一つだった。
俺としては助けてやりたいのは山々だ。しかし労咳に苦しむのはこの少女だけではない。それにいちいち手を貸していたら王国の財政は一気に破綻してしまうだろう。だから俺のやるべきことは、一日も早く労咳に効く薬を作らせることなのである。そのための研究開発費なら惜しむつもりはない。
「あっ!」
その時ウイちゃんが慌てたような声を上げた。彼女の視線の先を追うと、水汲みをしていた少女が手にした釣瓶を持ち上げようとして、バランスを崩し倒れてしまったのである。これはさすがに手助けしないわけにはいかないだろう。
「おい、大丈夫か?」
俺に付いて少女に駆け寄ったウイちゃんが彼女を抱き起こす。
「あ、はい、申し訳ございません」
「すごい熱ですわ」
少女は何とか返事はしたものの、目は虚ろで今にも気を失ってしまいそうだった。
「娘、しっかりしろ。お前の家はどこだ?」
どうにか力を振り絞って彼女が指差したのは、井戸と対角線上にある長屋の一番奥だった。三軒が並ぶ長屋は比較的大きめで、労咳を患っている少女には辛い距離かも知れない。
「水は俺が汲み上げて運ぶ。ウイちゃん、その子を頼んでもいいかな」
「構いませんわ」
それから俺は傍らに置かれていた桶に井戸から水を汲んで注ぎ、ウイちゃんと少女が待つ長屋の一室に向かうのだった。




