第十二話 間違っても斬るなよ
「第一陣、予定通り任務完了!」
報せを受け、直ちにシバタ軍の第二陣が丘を越える。そして国境のすぐ先にあるタケダの村に辿り着いて彼らが見たものは、おびただしい数の村人の死体だった。
「なんだ、この数は……こんな小さな村にこれほどの人間が住んでいたというのか……?」
第二陣の大将は更に、第一陣の姿がどこにも見えないことを不審に思った。彼らが任務を完了したとの報告を受けてから自分たちがこの地に辿り着くまで、それほどの時は経っていないはずである。確かに第一陣はこの村を制圧した後は次の村に進むことになっていた。しかし、三千の軍がこんなに早く足音も聞こえないくらいに遠ざかるというのはどう考えても合点がいかない。
「ま、まさか、これは罠……?」
その頃には第二陣もすでに大半が村に押し寄せていた。
「まずい、すぐに閣下に報せなければ!」
「ぎゃーっ!」
だが、大将がそう考えた時、背後の兵士たちが次々と悲鳴を上げて倒れていった。
「敵襲! 敵……襲……?」
思いっきり大きな声で叫んだ。叫んだはずなのに声が出ない。彼は更に何度も何度も叫ぼうとするが、自分の耳に聞こえてくるのは仲間たちの苦しみ喘ぐ悲鳴ばかりであった。
「き、貴様どこから?」
気づくと大将は何者かに首を鷲掴みにされ、恐ろしいほどの力で体を持ち上げられていた。手にしていた刀で相手の腕に斬りつけたものの、刀は素通りして全く手応えがない。そしてその者の顔を確かめようとした彼は、あまりの戦慄に失禁してしまったのである。
「顔が……ない……」
自分たちはこんな化け物を相手にしていたのか。薄れる意識の中で彼が見たもの、それは先ほどまで村人だったはずの骸が、全て第一陣のものに変わっていた光景だった。
「離せ! 離……せ……」
「バケモノトハショウシ。ワレラハアザイナリ」
声ではない、目の前の兵士の思考が直接彼の頭の中に流れ込んできた。
「あ、アザイ?」
意識が途切れる寸前、大将はかつてシバタ伯爵がアザイ王国を滅亡に追いやった張本人であることを思い出していた。そしてその時自分も伯爵の軍にいて、何人かのアザイ兵を殺した記憶があったのだ。
「これは……祟り……」
まずい、何も知らない本体はすぐこの場に来てしまう。祟りだとすればシバタ伯爵は無事には済まされないはずだ。来てはいけない、早く、早く報せなければ。しかし彼の思いが遂げられることはなく、両手両脚から力が失われた時、その死体は地面に横たわっていた。
「さすがに六万の軍隊ともなれば物凄い数ですね」
トリイ侯爵はエンザンとの国境から僅かに横に逸れた位置に軍を潜ませていた。敵の本体が完全に国境を越えたのを見てから、彼らはその背後に回り込む手筈となっている。その数約五千。
「コノミ、お前は何もこんな戦場に来ずとも、城で待っていてよかったのだぞ」
「何をおっしゃいます。閣下の側近として常に私は御身をお護りする立場にあるのです!」
侯爵と話しているのはマシタ・コノミ、女でありながら子爵位を持つ剣豪だった。まだ十九歳の若さにありながら、剣の腕ではトリイ領内において右に出るものはいないとさえされている。体つきは全体的に細く胸もそれほど大きくないが、こちらの世界では美人と見られる顔立ちだ。そのため領内では彼女のファンも少なくなかった。
「人と刀を交えたいだけではないのか?」
「私を苦戦させるほど、骨のある者がいればいいのですが」
コノミは柳眉を釣り上げながらも口元に笑みを浮かべている。それを見た侯爵はやれやれ、といった表情で彼女を見ていた。
「陛下からは嫌々戦闘に駆り出された者は極力殺さず、捕虜として捕らえるようにとのご命令を賜っておる。努々忘れるでないぞ」
「でも閣下、何故陛下はそんなに殺したがらないんですか? 普通なら侵略を受けたら皆殺しにせよ、くらいの勢いがあってもよさそうなのに」
「あのお方は情に厚いのだ。身分など関係なく、な」
「そんなもんですか」
「だが怒らせたら怖いのもまた事実。俺は短期間のうちに何人もの囚人を南西の牢獄送りにしたあのお方が恐ろしいのだよ」
「南西の牢獄?」
侯爵はそこで南西の牢獄について彼女に聞かせた。途端にコノミの表情が青ざめる。
「女は生きたまま食べられてしまう……」
「あのハルノブ前国王ですら、御在位の期間中あそこに送った囚人はいない。非情と恐れられたトラノスケ王子に至っても、あそこには誰も送らなかったのだ」
「そんなところに何人も?」
「陛下を怒らせたのは領民を苦しめた者たちだ。つまり陛下にとっては領民が何よりも大切なのだよ。そして領民とは平民や奴隷ばかりではない。あの方の許に集う全てなのだ。我々も含めてな」
「だからあのご命令……」
侯爵以下、今回の戦いに参加する者は、一人として命を落としてはならない。それが最初に下された命令だった。
「陛下だって戦をする以上、こちらに死人が出ないわけがないことくらい百も承知だろう。それでもあの方は誰が死んでも悲しまれるのだ」
「トリイ殿、そろそろ」
そこへアザイの兵士が現れて、彼に進軍を促した。無論伝令にきたのは顔のない兵士ではなく、普通に生きているように見える兵士である。
「承知した。皆の者、行くぞ!」
前方のシバタ軍に気取られないように大きな声を出さない代わりに、彼は微かに光るオーガライトを手にして振り上げた。その号令により、およそ五千の兵士たちが無言のまま立ち上がる。
「コノミ、あの中には総大将のシバタ・ゴンロクがいる。しかしシバタは生かして捕らえよとの陛下のご命令だ。間違っても斬るなよ」
「わ、分かりました!」
シバタ軍の本体約六万が完全に国境を越えて村に入った時、トリイ侯爵率いる約五千の兵は静かに彼らの背後に歩みを進めるのだった。




