第六話 ここにその子はいませんわ
「本当に心配したよ」
ユキたんが突然倒れた日の夜、彼女の部屋で俺はその細い体を抱きしめて髪を撫でながら言った。
「あの後ちゃんと側医師のクスモトさんに診てもらったけど、私もお腹の赤ちゃんも何ともないって。ただ妊婦は疲れやすいから無理しちゃだめって怒られちゃった」
「そうか。ごめんね」
「どうしてヒコたんが謝るの? 一緒に行くって言ったのは私だよ」
俺を見上げて申し訳なさそうにしている彼女が愛おしくて仕方がない。
「でも私一人での護衛はもうしない方がいいよね」
「一人じゃなくても護衛はだめかな」
「ええ! だってヒコたんと城下に出たりしたいもん!」
「それは構わないって。ただ護衛は別に付けるって話だよ」
最近のユキたんには第一王妃としての貫禄すら感じていたが、二人だけの時はこうして甘えてくれるから俺も嬉しい。
「そっか、二人きりのお出かけはお預けなんだ」
「その代わり子が産まれたら、ね」
「その時は三人だよ」
そう言って笑う彼女を、俺は再びしっかりと抱きしめる。
「ところでそのコバシとかいう子爵は追い詰められそう?」
「逃げた女にはモモチさんが張り付いてくれてるからね。どこに行ったかはすぐに分かるんじゃないかな」
「トドロキが殺されたのは残念だったね」
「せめてモスケの居場所くらいは吐かせたかったんだけど、あれは迂闊だったよ」
「私のせいだよね。ごめん……」
「ユキたんが謝ることじゃないさ。しかしトドロキは俺の陰になっていたはずなのにあの投擲の正確さ、相当の手練れと見るべきだろうな」
これについてはその道の専門家とも言えるスズネさんにも調査してもらっているところだ。彼女の話では、それだけの技を修得している者となるとそう多くはないはずとのことだった。ただ、たとえ正体が分かったとしても、手練れの忍者を見つけ出して捕らえるのは至難の業らしい。
ちなみにトドロキが受けた三本の苦無は、いずれも致命傷を負わせていることが分かっていた。つまり、どれか一つでも命中すれば彼を絶命させることが出来ていたというわけである。そんなものを三本とも食らった彼には、ほんの少しだけ同情するよ。もっともあそこで殺されなかったとしても、打ち首は免れなかっただろうけどね。
「ヒコたん色々大変だね。疲れてない?」
「うん? 大丈夫だけど……え?」
いきなりユキたんに押し倒された。
「ど、どうしたの?」
「今日は私がしてあげるから、ヒコたんは寝そべってるだけでいいよ」
そして朝を迎えた頃、モモチさんの報告が俺の耳に飛び込んできたのである。
「な、何で……」
「お前の顔はもう警備隊に知られてしまったからな。悪く思うなよ」
女の胸に根元まで突き立てられた苦無は、ほどなく彼女の命を奪い取った。王城の大食堂酒場に潜り込み、まんまと手入れの情報を聞き出した女は、仲間に殺される末路を辿ることとなったのである。
深編笠を被り、蓑に身を包んだ暗殺者は何のためらいもなくその場から立ち去ろうとする。だが彼はそこで異変に気づいた。誰かに見られている。ただ、そう感じても不用意に辺りを見回すようなことはしない。一瞬歩みに乱れは生じたものの、それと見なければ分からない程度のものだった。彼はそう自分に言い聞かせて、路地を曲がる回数を数えながら背後に細心の注意を払った。
曲がる回数を数える、というのは尾行の有無を確認する手段の一つである。例えば右に二回曲がって左に一回、そしてまた右に二回曲がってというのを繰り返せば、いずれは元の場所に戻ってくることも可能なのだ。こちらが尾行に気づいていることを覚らせないためには、進む距離や曲がる回数を加減すればいいだけのことである。
そしてそこそこの時間をかけて元の場所付近に戻った時、彼は尾行の存在に確信を持った。尾行者は二人、男と女だ。しかも二人ともかなりの手練れと見える。一対一ならまだしも、これほどの手練れが二人も相手となるとかなり厄介だ。一人ずつ片付ける他はないだろう。となれば先の標的は倒しやすいと思われる女の方である。そう思って彼が苦無を握りしめた時、突然尾行の気配が消えた。
「消えた……?」
見失ったというわけではない。さっきまではっきりと感じていた気配が、一瞬にして跡形もなく消えてしまったのである。彼はそれでもしばらく警戒を解かなかったが、小半刻ほどしても再び気配を感じることはなかったので、その場を立ち去ることにした。
「私もお供致しますわ」
スズネさんとモモチさんは、暗殺者に姿を見られる寸前でウイちゃんの霊気に包まれていたのである。いかな勘の鋭い暗殺者でも、さすがに幽霊の力には敵わなかったというわけだ。
「これで、決まりですな」
「そうですね。後はモスケとかいう子供の行方ですが……」
三人が暗殺者を追って辿り着いたのは、紛れもないコバシ子爵の邸だった。門の前には屈強そうな男が二人、邸の扉の前にも二人、そしてすぐ横にある詰め所のような所にはさらに四人ほどが控えているようだ。
「ここにその子はいませんわ」
しかしウイちゃんの言葉は二人の、いや、関わった者全員の希望を打ち砕くものだった。




