第八話 妃殿下には何事もございませぬように
「タケナカ侯爵」及び「侯爵」との誤記を「タケナカ辺境伯」及び「辺境伯」と改めました。
「やはりイシカワでは役不足であったか」
「あの者には慎重さが足りませんでした。父のゴロウザエモンであったならうまくやっておりましたでしょうに」
オダ帝国の中枢とも言えるギフノ城より南東に位置するトヨタマ城で、キノシタ公爵は旅仕度を終えたタケナカ辺境伯と酒を酌み交わしていた。とは言っても呑むのはもっぱら公爵、タケナカの方は口を付ける程度である。間もなくタケダへ旅立つ身では、酔うほど呑むわけにはいかなかったのだろう。
「目先の褒美に我を忘れおって」
「直接お命じにならなかったのはさすがでございましたな」
「あのタケダの王はな、まだ若いのに何かと切れ者のようだ。いや、王妃や従者の中に切れ者がおるのかも知れん。いずれにしても一度はこの私を捕らえたのだ。イチベエ、心してかかれよ」
「はい。それにしても信じられませんな」
タケナカは飲み干されたキノシタの杯に酒を注ぎながら顔をしかめる。
「うむ。ハルノブ前国王はおそらく死んでいると見て間違いないはずだが、まるで生きている、いや、それ以上の国策を打っているのだからな」
「まさか我が方の領民がこぞってタケダに移り住むようになるとは……」
「考えられないほど低い商い税が商人を呼び寄せ、横暴な貴族の振る舞いを取り締まることで領民も暮らしやすいとなれば、至極当然となろうが」
「それで国の財政が立ち行くとは思えません」
「おそらくは背後でオオクボが手を貸しているのであろう」
キノシタ公爵は注がれた酒を一気に飲み干し、そこに注ぎ足そうとするタケナカを手で制した。
「だがそんなことは問題ではない。皇帝陛下は一刻も早いタケダとオオクボの滅亡をお望みなのだ。その二国が堕ちればいよいよもって全国制覇が実現する」
「そしていずれはキノシタ閣下が天下に号令するということでございますな」
「そうだ。よって此度のタケダ国への訪問にて、帝国への反逆の証を掴んで参れ」
「御意」
キノシタ公爵とタケナカ辺境伯は、共に口元に不敵な笑みを浮かべるのだった。
「よくぞ参られた」
謁見の間に通されたオダ帝国のタケナカ辺境伯とその一行は、恭しく跪いて俺の言葉に更に深く頭を下げた。
「タケダ・イチノショウ国王陛下には益々もってご健勝の由、お慶び申し上げます」
「各々方、面を上げられよ」
「はは!」
オダの使者はタケナカ辺境伯を真ん中に据えた三名だった。彼以外は従者とのことだったが、おそらく護衛も兼ねているのだろう。どちらかと言うとインテリ然とした細い体つきの辺境伯に対し、両側の二人はかなりガッシリとした体格の持ち主だった。ちなみに三人とも割と醜男に見えるので、こちらではそこそこモテるんじゃないかと思う。
「長旅で疲れておろう。会見は明日、今宵は其方らを歓待の宴に招待しよう」
「ご配慮の段、恐悦至極にございます。妃殿下方もご機嫌麗しく」
タケナカ辺境伯は俺の両隣に控えているユキたんとアカネさんにも一礼して挨拶を述べる。
「長旅大儀でした」
ユキたんがその場でにっこりと微笑んで彼らの訪問を労った。ところがそこで、突然彼女はふらふらしたかと思うと、目頭を押さえるようにして気を失ってしまったのである。咄嗟のことだったが、完全に倒れる前に俺が支えたので頭を打つようなことはなかった。しかしお陰で客人も含めて謁見の間は騒然となる。
「王妃殿下!」
「おお! これはどういう……」
ツッチーが叫び、タケナカ辺境伯も驚きの声を上げた。だが、当のユキたんはすぐに俺の腕の中で目を開く。
「陛下……申し訳ございません。立ち眩みで……」
「大事ないか?」
俺の手に伝わる彼女の体温が心なしか高いように感じられる。先日から続く微熱といい、何かの病気ではないかと物凄く心配だ。
「至急に医師を。タケナカ殿、相すまぬがこのような事態だ。貴殿は別室にて休まれるがよかろう」
「私に出来ることがございましたら何でもお申し付け下さい。妃殿下には何事もございませぬように」
それから俺はユキたんを抱きかかえると、担架を持ち込んだ衛士たちを制してそのまま彼女の部屋へと運んだ。途中で恥ずかしくなったのか、ユキたんは自分で歩けると言ったのだが、俺がそれを許すことはなかった。




