第十七話 もう一度見せて下さい!
「ユキさん! 皆が見てるから!」
長い口づけからようやく解放された俺は、もう一度唇を近づけようとしたユキさんの肩を叩いて何とか思いとどまらせることに成功した。そして死にかけて朦朧とした意識から完全復活したところで、あまりの恥ずかしさに彼女は俺の腕の中で身悶えている最中である。
「イシダ先輩、この刀を抜かずに病院へ行って下さい。そうすれば命を落とすことはないでしょう」
スケサブロウ君はそう言うと、注意深く握った柄から手を放した。
「剣士の情けというわけか」
「家が取り潰しとは余程の事情があるのでしょうが、おナミちゃんを巻き込むのはやめて下さい」
「ふん! ブサイクなお前がナミと釣り合うとでも思っているのか?」
「スケサブロウ君はブサイクなんかじゃありません!」
おナミちゃんがそれまで隠れていたスケサブロウ君の後ろから出てきて叫ぶ。
「私にはイシダ先輩の方がブサイクに見えます!」
「おナミちゃん……」
「俺にも、スケサブロウ君の方が美男子に見えるよ」
俺の目にはそう映るのだからこれは本心だ。
「コムロか。聞きたかったんだが、陛下に密告したのはやはり貴様か?」
「そうですよ。先輩のお父君のお陰でこっちは命の危険にさらされたんですから当然でしょう」
「そうか。我が父は死罪となったよ。どうだ、これで満足か?」
「いいえ先輩、俺の大事なユキさんを殺そうとしたこと、決して許しはしないでしょう」
俺は抱いていたユキさんを放し、ウメチヨ先輩の腹に刺さった刀の柄に手が届くところまで歩み寄った。
「出来ることならこの柄を蹴り飛ばして、今すぐ先輩を殺してやりたいと思っています。ですがそれをしても誰も幸せにはなれない。だから俺の気が変わらないうちに、さっさとこの場から立ち去って下さい」
「生意気な、たかが騎士の分際で!」
「それでも、今の先輩より身分は上ですよ」
「黙れ!」
そう叫んだウメチヨ先輩は、あろうことか腹に突き立てられた刀の柄を自らの手で握りしめた。まさかそのまま割腹するのかと思ったが、どうやら刀を引き抜くつもりのようだ。
「ぐっ!」
「イシダ先輩、おやめ下さい! そんなことをしたら……」
「うるさい! 貴様ら全員地獄へ送ってやるから覚悟しろ! ぐはっ!」
ウメチヨ先輩が苦痛に顔を歪める。おそらく刃先が腸を切り裂いたのだろう。苦しみは尋常ではないはずだが、それでも彼は少しずつ刀を引き抜いていった。
「見るな!」
スケサブロウ君はおナミちゃんを抱きしめ、凄惨な状況から目を逸らさせる。ウメチヨ先輩のすぐ傍まで寄っていた俺は、飛び散った血をもろに浴びる結果となっていた。
「ぐ、うぐっ……」
完全に刀が抜けるまでわずかあと三寸ほどだった。そこでウメチヨ先輩は力尽きて膝をつく。痛みもそうだが、そもそも自分に刺さった刀を抜くには腕の長さが足りなかったのである。
「先輩、同情はしませんよ。あの世で父君と共に自らの所業を悔やむといいでしょう」
「呪ってやるぞ、コムロ」
「恨むなら、ご自分の境遇を恨むことです」
俺はそう言い捨て、先輩に背を向けてユキさんとアカネさんの許に戻るために一歩を踏み出す。その背後で、ドサッという音と共にもがき苦しむ先輩の悲鳴が聞こえていた。
「だ、誰か……誰か介錯を……」
「あの後ヒコザ先輩、気を失って倒れてしまいましたからね」
「いや、面目ない」
ウメチヨ先輩の血をたっぷり浴びた俺は、ショックで気を失ってしまったらしい。保健室で目を覚ました時、ユキさんとアカネさん、それにスケサブロウ君とおナミちゃんにまで看病されていた。
「後は私たちが看てますから、おナミちゃんとスケサブロウ君は戻ってもらって構わないですよ」
ユキさんにそう言われ、二人が小さく一礼して部屋を出ていく。俺が倒れた後の顛末はこうだ。
割腹はすぐに死ねるわけではない。腸を割かれた痛みや苦しみは並大抵ではなく、大の大人でも泣き叫んで介錯を願うほどなのである。ところが学校で帯刀している先生や生徒は少ない。また、たとえ持っていたとしても、好き好んで介錯を買って出る者などいるはずがないのだ。
結局ウメチヨ先輩はその後も半刻ほどもがき続け、ようやく駆けつけた一人の先生によって苦しみから解放されたということだった。
「それでウメチヨ先輩を刺したスケサブロウ君はどうなるのかな」
「分かりませんけど、あの状況でしたからそんなにきついお咎めは受けないんじゃないかと思いますよ」
「ならよかった」
「ウメチヨさんもあの時はイシダ家取り潰しの裁定が下りた後でしたからね。無礼罪もないと思いますし」
平民が貴族を傷つけると、場合によっては無礼罪が適用されることがある。しかし家が取り潰されるということは当然ながら爵位も剥奪される。つまりウメチヨ先輩はすでに貴族ではなくなっていたということなのだ。だからスケサブロウ君が無礼罪に問われることはないのである。
「ところで俺の体も洗ってくれたんだね。スケサブロウ君には後でお礼を言っておかないとだね」
「あ、いえ、その……」
「うん? ユキさんどうしたの?」
「ですからその……そのことで彼にお礼を言う必要はないと言うか……」
「ご主人さま、お礼でしたら私たちに言って下さい」
「ちょ、ちょっとアカネさん!」
何だ何だ、二人の様子がおかしいぞ。まさか俺の体についた血を洗い流して着替えさせてくれたのって、この二人じゃないだろうな。
「あの、二人共?」
「ご主人さまのお体、とてもたくましくて素敵でした!」
「アカネさん?」
ユキさん、どうしてそんなにモジモジしてるの。対照的にアカネさんは生き生きとしてるし。
「あ、あの、びっくりしました……」
「え? 何に?」
聞いた俺が馬鹿だった。下着まで替えられているのだ。二人が見たものなど容易に想像出来るじゃないか。気がつくとアカネさんが興味津々といった感じで俺の股間を見つめている。
「その……ヒコザ先輩のおち……おち……言えません!」
ユキさん、もうそれ以上言わなくていいから。それからしばらくの間、保健室が気まずい空気で満たされたのは言うまでもないだろう。アカネさんがこの一言を発するまでは。
「ご主人さま、もう一度見せて下さい!」




