第五話 少しむくれ顔のユキさんの手を取った
カシワバラさんの超スパルタ教育のお陰と言うべきだろう。アカネさんは期末テストを赤点ボーダーに一点加えたギリギリのところで補習回避という荒技をやってのけた。ただしその分、どうやら宿題を上乗せされたらしい。
「ご主人さま、ひどいと思いませんか?」
「何が?」
「赤点じゃなかったのに、他の人よりあんなにどっさり宿題増やすなんて。先生は鬼としか言いようがありません。バッサリやっちゃいますかね」
「こらこら。それはアカネさんが他の人に遅れないようにっていう先生の優しさなんだから」
「でも……」
「海から帰ったらまたみっちり教えて差し上げますね」
「ひぃ!」
口元に不敵な笑みを浮かべるカシワバラさんに、アカネさんは青くなって俺の後ろに隠れる。
「ま、まあ、カシワバラさんも苦無でトントンはやめてあげてよ」
「そうです! ご主人さま、もっと言って下さい」
「調子に乗らないの!」
「お嬢様、痛いですよぅ」
そこでアカネさんは、今度は後ろからユキさんにゲンコツを食らってしまった。ユキさんのゲンコツってかなり痛そうだから可哀想なんだけど、涙目で俺にしがみつくアカネさんはやっぱり可愛い。こんな彼女を見ていると、あの二刀流の使い手だということが嘘のように思えてくる。
その日の早朝に馬車で出発した俺たちはこんなやり取りをしながら、予定通り陽が沈む前には九十九里に到着した。宿はさほど大きな建物ではなかったが、手入れが行き届いていて清潔感に溢れている。男女分かれた浴場は小さな浴槽ながらも温泉が引かれていて、洗い場は広くゆったりとした感じだ。暑い夏でも温泉は嬉しいし、これなら冬にも来てみたいと思う。
部屋割りは俺が単独、ユキさんとアカネさんで一部屋、サトさんとカシワバラさんで一部屋となっていた。ひとまず自分たちの部屋に荷物を置き、夕食までまだ間があったので俺たちは海岸を散歩することにした。
「あら?」
「ユキさん、どうしたの?」
夕陽が沈みかけた波打ち際を歩いてしばらくした頃、ふと立ち止まったユキさんが不思議そうな声を出した。
「あんなところにあんな立派なお屋敷、いつの間に建ったのでしょう」
彼女の視線の先を追ってみるとお城とまではいかないが、三階建てくらいのかなり大きな洋風建築っぽい屋敷が見えた。
「男爵閣下が建てたんじゃないの?」
「いえ、あそこはうちの敷地ではありませんから。でも去年来た時までは雨風に打たれて朽ちかけた古い木造の建物があったはずです。私がまだ幼い頃からの空き家で、お化けが出るってよく母上に脅かされてました。きっと崩れると危険だから行かないようにってことだったと思いますけど」
ユキさんによるとあの建物の周囲一帯だけ、男爵閣下の領内にあって違う貴族の領地。いわゆる治外法権で、勝手に立ち入ることさえ出来ないらしい。
「それなら持ち主が建て替えたんじゃない?」
「そうですよね、きっとそうです」
ユキさんは言葉ではそう言いながらも、どこか腑に落ちない様子だった。それも分からないでもない。彼女が去年来た時は朽ちかけていた木造の空き家が、今年は立派な建物として生まれ変わっていたのだ。
もちろんそれだけならどうということはない。だが小さな民家程度ならいざ知らず、そこに見えるのは大きな屋敷である。元の建物を取り壊してあれを新築するには、一年の歳月はあまりに短すぎるということだ。
「そ、そろそろ宿に戻りませんか?」
見るとユキさん以外の三人がガタガタ震えながら俺に体を寄せてきていた。どうやらお化けが出るというところに怯えてしまったようだが、この柔らかい感触と女の子特有の甘い香りはたまらない。加えて露出した肌の部分に浜風になびいた彼女たちの髪が触れて、こそばゆいやら気持ちいいやら。
それはそうとカシワバラさんまでお化けが苦手というのは意外だったが、これは後で使えるかも知れない。俺は心の中でガッツポーズを決めると、少しむくれ顔のユキさんの手を取った。
「ユキさん、皆怖がってるみたいですし、そろそろ戻りましょうか」
彼女が自分だけ仲間外れでヤキモチを焼いているのはすぐに分かった。だから手を握って引き寄せたのだが、これだけで頬を赤く染めて機嫌が直るユキさんもやっぱり可愛い。そんな甘々な雰囲気で、俺たちは元来た道を引き返すことにした。その時屋敷のカーテンがわずかに揺らいだのだが、五人の中にそれに気づいた者はいなかった。




