元同級生たちと、言い訳
「どうした? ほら、何とか言ってみろよ」
加藤がそう言った時、なぜか玲奈が立ち上がった。とことこ歩き、彼に近づいていく。
加藤の前で立ち止まると、何を思ったか手を伸ばした。彼の右手を、自分の小さな両手でしっかりと握った。
少女の手は小さく、けれど確かな熱があった。
「何だ? 何か用か?」
加藤は困惑し尋ねた。しかし、玲奈は無言のまま彼を見つめている。手は掴んだままだ。
少女の瞳は澄んでいた。綺麗な目で、こちらを見上げている。幼い頃の自分も、こんな目をしていたのだろうか。
ふと、幼い時の記憶が蘇る。まだ、父も母も生きていた時のことだ。
家族で山に行き、草原に座っておにぎりを食べた。父、母、そして自分……楽しそうに笑い合っていた。
クソ、くだらねえこと思い出させやがって!
加藤は苛立ち、思わず荒い声を出す。
「何か用があるなら、さっさと言え! 耳ついてんだろうが! 聞こえねえのか!?」
その時、美鈴も立ち上がり加藤に近づいていく。しゃがみ込んで玲奈の手を離させると、キッと加藤を睨む。
「そんな言い方やめて! この娘は耳が聞こえないのよ!」
聞いた瞬間、加藤は顔をしかめる。
一方、美鈴の鋭い表情は変わらない。震えながらも、加藤を睨みつけている。
玲奈も、まっすぐに彼を見ている。その眼差しに、怯えや怒りよりも強いものがある。何かを訴えようとする静かな力があった。
その両者に圧倒され、加藤は思わず──
「ごめんな。実は、俺も左耳が聞こえないんだ。こいつらが耳元で爆竹鳴らしやがったせいで、鼓膜を潰された。本当にごめん」
そう言って頭を下げていた。
すると、美鈴が玲奈に向かい手を動かして見せる。どうやら、手話で加藤の言葉を通訳しているらしい。
玲奈はこくんと頷くと、同様に手を動かして見せる。これも手話なのだろう。
娘の動きを見て、美鈴は怪訝な表情を浮かべた。だが、玲奈はまた同じ動きを繰り返した。
両者のやり取りを見て興味を感じた加藤は、美鈴にそっと尋ねる。
「この子、何を言ってるんだ?」
「助けてくれてありがとう。でも、あなたの胸には大きな穴が空いてるね……って言ってるの」
「えっ?」
意味不明の言葉に戸惑う加藤だったが、その時どこからともなく声が聞こえてきた。
「中にいる者に告ぐ! 貴様らは、我々を敵に回した! 外に停めてある車は、全て破壊したぞ! もう逃げられん! その中で、己の無力さを嘆きながら死ぬがいい! ただし、浅田親子を引き渡せば命だけは助けてやる!」
加藤は、チッと舌打ちした。先ほど立て続けに聞こえてきた音は、駐車場の車を爆発させたものだったのだ。
車なら、ここに一台ある。そう、奴らが突っ込んで来た車だ。だが、車があるからといって逃げられるとは思えなかった。
その時、口を開いた者がいる。高山弘だ。この男はコンパスで加藤の足を刺した後「お前のリアクションは面白くない」などと言っては、加藤の後頭部を画用紙で作ったハリセンでひっぱたいていたのだ。
「ちょっと待ってくれよ。ここで何が起きてんだ? 加藤が俺たちに復讐するのはわかるよ。けど、今の連中は何なんだ? それを教えてくれよ?」
「簡単だ。あいつらは頭がおかしい。俺たちを殺そうとしている。だから戦う、それだけだ。他に理由なんか必要ねえだろ」
すました顔で加藤は答えた。だが、直後に表情が一変する。
「お前らは、熊に襲われた時にいちいち理由を尋ねるのか? 理由がなくても襲ってくるアホなんざ、世の中に幾らでもいる。そもそも、俺はお前たちに何もしていなかった。けど、お前たちは俺をイジメていた。それと同じだ。いちいち理由なんか聞くな。お前たちは、知らなくてもいいんだよ」
「そんなの無茶苦茶じゃねえか! だいたい、イジメったってもう十年以上前の話なんだぞ! いつまで被害者面してんだよ!」
言ったのは北条栄一だ。野々村の取り巻きのひとりで、我慢大会と称して加藤の体をライターの火で炙っていた男である。
そんな北条の発言に、加藤はすぐさま反応した。彼に近づき、低い声で毒づく。
「被害者面だと?」
と同時に、加藤の頭突きが飛んだ。北条の顔面に当たり、彼はよろめく。
だが、それだけで許してはくれなかった。北条の髪の毛を掴み顔を上げさせ、さらなる頭突きを叩き込む──
「おい、誰が被害者面なんだ? ほら、言ってみろよ。でないと、お前の面がピカソの『泣く女』みたいになっちまうぜ」
言いながら、また頭突きを入れる。北条の鼻と前歯がへし折れ、血がダラダラ流れていた。それでも、加藤にやめる気配はない。さらに、頭突きを入れるつもりなのだ。
その時だった。
「もうやめて!」
美鈴の声だ。加藤の動きが止まり、彼女の方を向く。
「お願いだから、やめて!」
声を震わせながらも、美鈴はキッパリと言った。
「何あんた、俺に逆らうの?」
言いながら、加藤はニヤリと笑った。だが、美鈴は引かなかった。震えながらも、言い返す。
「玲奈の見ている前で、暴力をふるわないで!」
その瞬間、加藤の表情が微かに変わった。そっと目を逸らす。
少しの間を置き、北条を放りだして立ち上がる。奥の扉を開けると、廊下の突き当りにある部屋を指差した。
「じゃあさあ、この子を連れて向こうの部屋に行ってなよ。ここの従業員が使ってた休憩室だ。俺は今から、こいつらと話し合いをするからさ」
「話し合い?」
訝しげな表情の美鈴に、加藤は訳知り顔で頷いた。
「ああ。この状況じゃ、復讐どころじゃねえよ。もう、ここは囲まれてる。だが、向こうもこっちが手強いことは理解したはずだ。だから、今は様子見ってとこだろうな。その間に、俺はこいつらと次の手を考える」
自信たっぷりの表情で語っていく加藤に、美鈴は頷いた。玲奈を連れ、部屋を出ていく。
元同級生たちですら、今の言葉にホッとしていた。どうやら、復讐する気はなくなったらしい。この男に従っていれば、生き残れるのでは……という希望すら生まれていた。
だが、次の言葉でその希望は吹っ飛ぶ。親子が消えると、加藤は残忍な表情で周りを見回し口を開く。
「こんな状況だからこそ、足手まといになる奴は今のうちに殺しておきたい。特に、ここにいる一年C組のみんなは、もともと全員殺す予定だったしな。それに、死体を入口にでも立たせておけば、カカシとして使える」
言いながら、加藤は元クラスメートたちを見回した。
少しの間を置き、再び尋ねる。
「で、どうなんだ? お前ら、なんか出来ることはあんのか? それと、もうひとつ聞きたいことがある。俺に対し、償う気はあるのか?」
「も、もし、ここから生きて出られたら、俺は一生かけて償う」
言ったのは、大沢満だ。ボコボコにされ倒れていた加藤に「お前、さっさと死んだ方がいいよ。早く自殺しろ」と毎回言っていた。
今は、銀行に務めているらしい。その表情は真剣そのものであり、体は震えていた。
しかし、加藤は鼻で笑った。
「そんな口約束、信じられるわけねえだろうが。そもそも、償うって何をどうやって償うんだ? まず具体例を言ってくれよ。お前、銀行に務めてるそうだが、よく採用してもらえたな」
容赦のない言葉に、大沢は下を向き拳を握りしめる。怒っているのだろうが、何も言い返せないのだ。
一方の加藤は、空気の変化を感じていた。先ほどまでは、恐怖がクラスメートたちを支配していたが、今は違う。恐怖が和らぎ、体が動くようになってきた。他のことを考える余裕も出てきた。
となると、そろそろヤケを起こし暴れ出したり、逃げ出したりする者が出てくる。
ひとりで逃げて信者たちに殺られるのは構わないが、この中で暴れ出されたら厄介だ。
この中で、暴力の被害者になりやすいといえば……浅田親子なのだから。
そろそろ、こいつらの気を引き締める時だな。
そんなことを思いつつ、加藤は再び尋ねる。
「で、他の連中はどうだ?」
そう言うと、皆の顔を見回す。その時だった。
「う、うわああぁ!」
奇声を発しながら、飛びかかってきたのは大山智だ。クラスでは暗くて印象が薄く、その存在すら忘れられがちな男である。
もっとも、加藤へのイジメには参加していた。こういう弱い者ほど、自分より弱い人間のイジメには加わりたがるものなのだ。
そんな大山が、加藤につかみかかっていったのだ。皆は唖然となり動けずにいた。
だが、加藤は冷静だった。むしろ、こういう事態を待っていたのだ。
「やっぱりな。こうやって、パニクるバカがでてくんだよ」
言った時には、加藤は襟首を掴まれていた。だが、臆することなく頭突きを叩き込む。先ほどの北条と同じく、額を大山の鼻柱に打ち付けたのだ。
鈍い音がした。強烈な一撃に、大山の顔が歪む。だが、加藤は容赦しない。さらに、追撃の頭突きを放つ。その顔には、笑みが浮かんでいた。
追加の一撃で、大山はよろよろと後ずさりしていた。鼻骨が折れて血が吹き出し、脳震盪を起こしている。放っておいたら、立っていられず倒れるだろう。
しかし、加藤の攻撃は終わらない。大山の首に片腕を巻きつけると、一気に投げ落とした。首投げという技だ。
大山は床に叩きつけられ、苦痛の呻き声を漏らした。
それが、大山の最後の言葉となった。加藤は足を振り上げ、彼の首を思いきり踏みつける──
大山は頚椎をへし折られ、一撃で絶命した。
場内の空気は凍りついていた。元同級生たちには、何が起きたのかすら理解できていない。なにせ、大山が加藤に襲いかかり死ぬまでの時間は、十秒ほどしかなかった。
一方、加藤の表情は変わらず息も乱れていない。他の者を見回すと、ニヤリと笑った。
「おい、こいつ死んだからな。嘘だと思うなら、誰が確かめてみるか?」
軽い口調である。その軽さが、クラスメートたちに再び恐怖を与えた。この男は、人を殺した後に平気で笑える男なのだ……。
だが次の瞬間、加藤の顔つきは真面目なものになっていた。
「はっきり言うぞ。今、外にいるのが何者かは知らねえが、本当にヤバい連中だ。単なる金目当てじゃねえ。たぶん、頭おかしい陰謀論系思想団体か宗教団体だ。そんな集団を、俺たちは敵に回しちまったんだよ」
「だったら、話は簡単だ。あの親子を渡そうぜ。そうすりゃ、俺たちは助かるんだろ?」
言ったのは高橋俊樹である。明るくスマートな体育会系の少年だったが、今は余分な脂肪が付きすぎていた。中学生時代に、加藤の給食に「ふりかけ」と称して大量のアリを放り込み、無理やり食べさせた男でもある。
そんな高橋に向かい、加藤は溜息を吐いた。
「お前、呆れ返ってびっくり返ってそっくり返っちまうレベルのバカだな。さっきの襲撃で、これだけの人間が死んでるんだ。たとえ親子を渡したとしても、助けてくれるわけねえだろうが。口封じに殺され、山のどこかに埋められるのがオチだ」
言いながら、隅に積まれた死体を指さす。
見るも無残な光景だった。流れ出た血が床を赤く染めており、かつて同級生だった者たちが倒れている。大半の者は、目を大きく見開いたたままだ。
それを見た瞬間、元同級生たちは崩れ落ちた。加藤の言葉の正しさが理解できたのだ。
中には、吐いている者までいる。
「そ、そんな……」
呻いたのは田辺陽一だ。クラスでも、一番成績のいい男であった。しかし中学の時は、加藤の体を的にしたダーツ大会に参加したことがある。
今年、司法試験の短答式試験に合格したと吹聴していたらしいが、今の状況ではその頭脳も発揮できない。絶望の淵にいるようだ。
他の者たちも同様である。表情や仕草はまちまちだが、共通するものはひとつ。もうダメだ……という思いに打ちのめされている。
当分、この状態でいてくれた方がありがたい。加藤は、すました表情で口を開く。
「さて、どっぷりと絶望感に浸っている皆さんには悪いが、俺は今から向こうの部屋で飯を食べさせてもらう。お前ら、どうするか自分で決めろ。一か八か、全速力で走って逃げるって手もあるぞ。走って山に逃げ込めば、助かるかもしれないぜ。足に自信のある奴は試してみなよ。まあ、俺なら絶対やらないけどな。出た瞬間に殺されるのがオチだよ」
そう言うと、加藤は大広間を出た。
もちろん、飯など食べない。次は、あの親子に事情を聞かねばならない。加藤は、突き当りの休憩室に向かい歩きだした。




