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たかが糸、されど糸

 幸いなことに。

 クリスのような超絶的に芸術性の高いものではなかったため、一目惚れされるということはなかった。

 言うなれば、アラクネーさん達にとってクリスのあれは宝塚、私のはいぶし銀の小劇団、という感じみたい。

 万人向けじゃないし、華やかさもない。だから、一撃でハートを射抜くところまではいかなかったらしい。

 幸いなことに。大事な事だから二回言うけど。


 ……まあ、そういう小劇団にハマる人ってずっぶずぶにはまりこむらしいんだけど、さ……。

 幸いなことに、今回目撃した人達の中にはいなかったらしい。

 幸いなことに。四回目だよ、もう。


 それくらい、今回のやらかしで危ないことになるところだったことは理解しているのだ。

 楚々とした美人に見えるクラウディアさんですら、あの発言と行為である。

 これが、もっと肉食系丸出しのお姉さん達に包囲された日には……私がこの森から出ることはできないかも知れない。


「もしもの時は、私がなんとかするから」


 なんてゲルダさんは言ってくれるけど、できればそれは避けたい。

 そんなことで、同じ国民に対して実力行使をさせるのは、気が咎める。

 だから、今回はなんとか色恋沙汰のトラブルに発展しなかったことは本当に幸いなことだと思う。


 その代わり『異様に強い尊敬』は獲得してしまったけど……。


「我らアラクネーの一族、アーシャ先生のためならばいくらでも協力いたしましょう」


 なんて一族がずらりと並んで頭を下げられた日には、気が遠くなりそうになっても仕方ないだろう。

 おかげで、色々な面での協力を得られるようになったことは有難いのだけども。


 なお、クラウディアさんはクリスという超絶技巧の持ち主とラブラブなためか、そこまでには至らなかったらしい。

 でも、向けてくる視線は畏怖とかそういうものに近い気がする……。


 この件に関しては複雑な思いもあるけれども、協力が得られるのならば、ありがたい。

 早速、糸について色々尋ねることにした。


「糸って、どれくらいの細さまで出せるものなんですか?」

「そうですね、これくらいのものでしたら」


 そう言いながら、族長さんが出してくれた。

 ……やっぱりお尻から出すんだ。


 とか思いながら見てたんだけど。

 出された糸は、最初、出ていないように見えた。

 でも、目を凝らすと、確かに糸があるのがわかる。

 それはもう、ほんっとうに、目を凝らさないと見えないものなんだけど。


「こ、こんなに細く出せるものなんですか!?」

「ええもう。どこまで細く、どこまで均一に糸を出せるか、はアラクネーにとって自慢のタネですからね」


 な、なるほど、そういうものなのか……。

 あれかな、米粒にどこまでびっしり字を書くことができるか、みたいな、そういう世界なのかも知れない。


 それにしても、この細さは……学生時代、座学の時間に見たマイクロサージャリー用の糸並みだ。


 マイクロサージャリーとは、文字通り、微小領域での手術。

 顕微鏡を覗き込み、細かいところを操作できる特殊な機械で行う手術の総称だ。

 私が今日使った血管よりもさらに細い血管だとか、リンパや神経まで繋ぐことができる。

 扱う糸の細さは0.001mmにも達するため、扱うのはとことん難しい。

 当然相当な訓練が必要であり、私はそれを習得していないから、ここまでの細さは不要、ではあるのだけど。


 いつか、のために、ここまでの糸があることは嬉しいなぁ。

 なんて思ったりもする。


 でも、それは未来の話。現実的には……。


「欲しいのは、髪の毛くらいの太さのものから、その半分くらいのものなんですよ。

 かえって中途半端で難しいかも知れませんが……」

「何をおっしゃいます、それくらい簡単なものですよ」


 そう言うと、族長はまた糸を出す。

 その太さを見た他のアラクネーさん達も、我も我もと糸を出し始めた。

 何この光景。なんか、凄いことだけはわかるのだけど。

 ともあれ、ほとんど同じくらいの、均一な太さで糸を出そうと思えば出せることは確認できた。


 大量に使う物は、規格が統一されていることが好ましい。

 使う側からすれば、太さが常にどうなるかわからない糸など怖くて使えない。

 他の分野でもそうだろう。味が毎回違う塩を料理に使いたいと思うだろうか?

 私は、嫌だ。

 

 嗜好品の類だったら、そういうブレもまた楽しい、ってケースもあるんだろうけどさ。

 ワインなんか、仕込んだ年によって味が違うことを楽しんだりすると言うし。

 私はそこまで飲んでないから、違いはわからないけど。


 ……「嘘つけこの飲兵衛」とかいう声が聞こえた気がするけど、気にしない。


 ともあれ、これで糸は相当量が確保できるはずだ。

 正直、そこまでは使わないって程に。

 かなり滑らかだから、もうちょっと細く出してもらって撚り合わせてもらってもいいかも知れない。

 撚り合わせた糸の方がしっかり止められるので、そっちがいいケースもあるんだよね。

 ただしその場合、撚り合わせるから、3倍とかそれ以上の長さがいるわけなんだけど……。


「これ、一人の方でどれくらい出せるものなんですか?」

「1秒に30mくらいは軽く出せますよ」

「ほ、ほほう。そんなに出せますか……」


 秒速30m、時速108㎞。野球のストレートだったら、早い部類ではない。

 とはいえ、狩りの道具として使うなら十分実用に耐えるし、もしかしたらもっと早く出せる可能性は十分にある。

 そういう意味での実用性も十分だけど、生産性っていう意味でも、十分。むしろオーバースペックなくらい。


 だって、1秒で30m糸が出るんだよ?

 普通の裁縫用ので30mから、刺繍用で200mとかあったかな?

 ともかく、そんなくらいだから、数秒で製品一個レベルの長さを出してくれるわけだ。

 それも、もしかしたら一族総出で。


 ……私一人だったら、一生かかっても使いきれないと思うな、うん。

 っていうか、使わないに越したことはないし、さ。


 おまけに、その糸を出した人だったら、少し離れたところから糸に溶けるよう命令を出せるらしい。

 これは本気でチートだと思う。

 例えば、血管を縫ったら、皮膚を閉じた後から抜糸などできはしない。

 そのために前言ったカットグットみたいな、動物性で、体内で分解される素材もあったくらいなんだけど。

 これ以上ないくらいに理想的な素材を手に入れたのかも知れない……。


「後は……そういえば、振動を伝えるのはわかりましたけど……地面に着いたり木に巻き付いたりしても伝わるんですか?」

「そうですね、表現が難しいのですが……私達は、振動を魔力の波とでも言えるものに変換することができまして。

 その魔力の波を、この糸を通して伝えて、受け取る側で再度振動に戻して、音として聞きとるわけです」

「なるほど。

 ……は?? ちょ、え!? 振動を、そんな風に伝えられるんですか!?」


 まじか。ほんっとうにまじか。

 こくりと頷く族長さんの表情を見ても、嘘を吐いていないらしいことは伝わってくる。

 それって……その変換さえ何とかできたら、あれができちゃうじゃないか!


 思わず、ごくりと唾を飲み込んでしまう。

 これ……陛下にも相談しないとだけど、とんでもないことができちゃいそうだ。

 どうせ陛下の事だから、ノリノリでやるんだろうし、さ。


 それから……。


「あの、ということはこの糸って、魔力の伝導性が高い、ってことですか?」

「ええ、それはもう。かつては魔法陣の材料などにも使われていたくらいですから」


 その言葉に、私の頭の中で色々なことが組み合わさって。

 まさか、あれが作れるのか? と思い至る。


 私は振り返って、ここまで話を興味深そうに聞いていたノーラさんへと向き直る。

 真剣な目で、じっと見つめてしまいながら。


「ノーラさん。……世界をひっくり返す覚悟、あります?」


 唐突な私の問いかけに、ノーラさんは一度だけ瞬きして。


「アーシャ先生とだろ? だったら聞くまでもない。いくらだってやってやるよ!」


 にんまり、頼りがいのある笑顔を見せてくれた。

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