言葉よりも雄弁に
「相談、ですか。薬師の方が、我々に一体何を?」
族長さんは、不思議そうにしている。
それはそうだろう。この世界の医療技術を考えたら、誰もそんなことは考えないだろうから。
前世だと、実は紀元前30世紀に行われたという記録があり、紀元前11世紀のミイラに縫合糸が残っていたという。
治癒魔術などない世界では、そんな昔から縫い合わせてなんとかしようとしてきた歴史があった。
こっちの世界では治癒魔術で治るわけだから、そういう技術を研鑽する考えはなかったのだろう。
でもその結果、治癒魔術を受けられる人間とそうでない人間との間には、大きく深い溝があった。
それを、なんとかしたいのだ。私一人の力なんてたかが知れているけれど。
それでも、ここでこうやって知識を形にしていけば、何十年後か、何百年後かに、実を結ぶかも知れないから。
もしも私の死後百年後くらいに、どこかの誰かの命を救えたとしたら、それはきっと素晴らしいことだろう。
そのために。私の専門外ではあるけれど、この技術も残しておくべきものだと思うから。
「はい、実は、ですね。
皆さんがお使いの、糸を使った治療行為がありまして。
それに、皆さんの糸をご提供いただけないかと思いまして」
私の言葉に、沈黙が落ちる。
周囲で見ている人たちは何を言ってるんだ? と言った顔だし、族長さんは私を探るように見ていた。
その反応は、一々ごもっとも。
ただ、クラウディアさんだけは、何だか感心したような顔をしているんだけど……クリスに何か吹き込まれたのだろうか。
「糸を使った治療行為、と言われても、それは一体どんなもので?
虫歯でも抜きますか?」
冗談めかした族長の声に、周囲からクスクスと笑い声が響く。
嘲笑、まではいかないけど……まあ、あまりいい感情は感じないなぁ。
ここまで来たらもう引けないし、周囲の声なんて知ったこっちゃないんだけどね。
ゲルダさんやノーラさんは何か言いたげな顔をしてるけど、何も言わないでくれている。
つまり、私がなんとかするって信じてくれてるんだよね、きっと。
だったら、その信頼には応えないとなぁ。
だから、私は族長さんに向かってニッコリと笑顔を向けた。
「あなたがたの貴重な糸を、そんなつまらないことになんて使いませんよ。
まさか、その程度の価値しかない、なんてお思いでもないでしょう?」
どこか挑発するような私の返答に、笑い声がなくなり、場の空気が固くなる。
向けられてくる視線は、「なんだこいつ」って感じの若干敵意があるものと「何を言おうとしてるんだ?」って感じの興味を持ってくれてるものが半々、くらいだろうか。
そんな空気の中、私は平然と立ちながら……そっと、左手首から指三本程度下にあるツボを右親指で押さえていた。
ここのツボは、胃腸の痛みに効くと言われる内関というツボだ。
西洋医学を学んだ私だけど、東洋医学も、よくわかってないけどなんか効果ある気はする? 程度には思っている。
特にこの内関は、実際胃が楽になる気はするのだ。
だから、患者さんに対しての治療には使わないけど、自分では使っている。
まさか、こんなとこで役に立つとは思わなかったけどさ……。
つまり私は、向けられる視線のプレッシャーに笑顔を返しながら、内面では必死に痛みなどを抑え込んでいる状況だった。
どこまで誤魔化せてるか、族長さんの表情からは伺えない。
「面白いことをおっしゃる。
確かに我々の糸は、様々な意味で我々の命を支えるもの。
それをつまらないもの、などとはとても申せませんね」
「ですよね。獲物を捕獲する、という狩りの道具としてですとか、移動手段としてですとか。
その糸を使って、他の人の命も支えられるとしたら、どうでしょうか」
族長さんの表情は変わらない。
でも、周囲の空気は少し変わった。
自分の力で他人を救えるかも知れない、と聞いて反応が変わるような人達で良かった、と内心で思う。
彼女達は蜘蛛。基本的に捕食者であり、奪う側なのだから、それ以外に関心がなくても仕方ない。
でも、それ以外の事もできるという可能性に、こういう反応をしてくれるなら。
「それが事実なら、面白いことですが。
実際、どうやって他人の命を支えられると?」
「それを、今からご覧いただこうと思いまして。
ああ、でも作業するような台なりテーブルが必要なんですけど、どこか適当な場所にご案内いただけませんか?」
私の返答に、族長さんは少し考えて。
「でしたら、ここまで運ばせましょう。
クラウディア」
指示に、クラウディアさんがこくりと頷き、お家の中へと入っていく。
それからすぐに、テーブルを抱えて出てきた。
……見た目は楚々とした美人さんなのに、中々の力。
やっぱり人間とは違うんだなぁ、とそんなことを思いながら。
「すみません、わざわざありがとうございます」
と、持ってきてくれたクラウディアさん、それから指示してくれた族長さんへと頭を下げる。
ちなみに、椅子はない。
多分、アラクネーの体型だと座れないし、必要もないんだろう。
「いえいえ、これくらい大したことは。
しかし、手間をかけた分のことはお見せいただけるんでしょうね?」
先程のお返しだろうか、族長さんの問いかけも若干挑発的な色がある。
それに対して私は、にっこり笑って返した。
「もちろん。そのつもりで、今日は来ました。
テーブル、使わせていただきますね」
一言断りを入れ、族長さんが頷いたのを見ると、私はテーブルの上に道具を広げる。
ノーラさんお手製の各種手術道具。今日まで何度も練習して、随分手に馴染んでくれた。
そして、本日の主役……白く細長い管を取り出す。
「……それは、一体?」
「ああ、牛の血管です」
不思議そうな声で聞いてくる族長さんに、その管を持ち上げて見せ、答える。
注がれる視線は、興味深そうなものが多い、かな。
もしかして、牛とかも狩って食べるんだろうか。まあ、それはまた今度聞くとして。
これは、ビーフジャーキーを作ってもらおうとキーラのとこに肉を持ち込んで来る業者の人にお願いして用意してもらった。
正確には、血管付きの部位を持ってきてもらって、後は私が取り出して洗浄している。
この作業自体は学生時代にやったっきりだったけど、なんとかできた。
血管、の中でも結構細めの物を今回は用意してる。
「牛の、血管? そんなものを……まさか」
「ふふ、では、ちょっとご覧いただきましょう」
そういうと私は、この日のためにノーラさんに用意してもらった、眼鏡のような形状の拡大鏡をかけた。
数回しか使ってないのに全く違和感なく馴染むのは、さすがノーラさんとしか言えない。
逆に言えば、今回扱うのはそれくらい細い血管ってことだけど。
ともあれ、それを掛けた私はまず、剪刀、つまり手術用のハサミで血管を真ん中付近でパチンと切る。
そして、切った口それぞれの近くを、鉗子と呼ばれる挟み込む道具で挟み、固定。
ついで左手に持ったピンセットで針を持ち、右手に持った持針器で掴む。
ステラさんとこから購入した、一番細い木綿糸をセット。
すぅ、はぁ、と一回深呼吸して。
「では、始めますね」
と前置きしてから目を見開くと、作業開始。
最初は、私から見て反対側というか、一番遠いところにある血管の壁から。
ピンセットを血管の切断面から少し差し入れて血管の壁と壁がくっつかないよう浮かす。
切断面から遠すぎず、組織が切れたり崩れたりするほどには近すぎない位置に針を血管の上から刺して、切断面へと向けて通した。
出てきた針の頭をピンセットで掴み、持針器を解放、針を引っ張っていく。
抜き出したところでもう一度針を持針器で掴み、ピンセットで反対の血管を浮かせ、今度は切断面から血管の中へ。
中から外へと針を刺し、針の頭が血管の外に出たところでピンセットで掴み、引っ張る。
血管が擦り切れない程度の速さで針を引いて、糸を通し。
糸の端が近づいたところで針を離し、ピンセットと持針器を使って糸のわっかを作って、そこに端っこの糸を通し、強すぎず弱すぎずの加減で引っ張って結び目を作った。
それを繰り返すこと、三度。最初の結び目が作られ、その糸を別の小さな鉗子で少し引っ張る。
今度は、手前側で同様の作業。
できるだけ早く、できるだけ丁寧に。
矛盾したことを何度も脳内で繰り返し言って、自分にプレッシャーをかけていく。
プレッシャーが一定のラインを越えた瞬間。
ふ、と私の頭が軽くなったような感覚が訪れた。
針が、血管が良く見える。
糸にかかるテンションの強さも、どこまで引っ張っていいか考える前に指先が動く。
この感覚が来たら、後は早い。
手前側に結び目ができたら、上側にも一つ。
三点で結んで、それぞれを引っ張り切断面で三角形を作って、直線的に血管の壁と壁を合わせる。
後はそれぞれの三角形の一辺一辺を、組織に負担をかけない程度に細かく縫い合わせていく。
針を刺す。出す。引く。
縫い合わせていくほどに見える範囲は狭まるのに、リズムよく針は動き、縫い目が形成されていく。
見えないところまで見えているような、変な感覚。
血管を挟んでいた鉗子をくるりと返して、最後の一辺も縫い合わせていって。
三辺とも縫い合わせ終わったら、最後に剪刀で余分な糸を切ってピンセットで取り除き、終わり。
それが終わったところで、ふぅ、と息を吐き出す。
かなり集中してたのか、普通に呼吸しようとしても整わない。
いやしかし、まだこれで終わりじゃない、と気を引き締め直し。
「こうやって血管を繋ぐことで、ですね」
と前置きしてから、ごく細い口を持つ漏斗のような器具を血管の端に刺しこむ。
その漏斗を使って血管に色を付けた水を流し込んだら……うん、繋いだとこから水は漏れてない。
かつ、流れが詰まることもなく、反対の端から流れ出していく。
なんとか、成功だ。
「それ以上の出血を防ぐだけでなく、血管の機能を復活させることができるんです。
で、今回は木綿の糸を使ったのですが……植物から取れた糸よりも、皆さんの糸の方が身体への負荷が小さいのではないかと考えまして。
これは試してみないとはっきりとは言えないんですけど、ね。
その実験も含めてご協力いただけないかと」
と、息が整うのを待つことなく、族長さんへと問いかけた。
問いかけたんだけど、返事がない。
……あれ?
そういえば今気づいたけど、なんかやたらと静かだな?
族長さんの顔を見ると、どこか茫然とした顔。
周囲を見回せば、他の人達も同じような顔だ。
「なるほど、これが、たらしのアーシャ……」
一人、クラウディアさんだけが身を守ろうとするように自分の肩を抱きしめるポーズになり、真剣な顔でそんなことを言う。
「まってください、だから、たらしってなんですか、たらしって!」
思わず抗議の声を上げるけど。
後ろから、ぽん、と肩を叩かれた。
「アラクネーの習性を考えるに、今回ばかりは仕方ないと思うぞ?」
ゲルダさんの言葉に、思わず「え」と声が漏れる。
「いやぁ、道具を作った甲斐があるってもんだねぇ、あんだけ使いこなしてもらったら!」
と、ノーラさんはとてもご機嫌だ。
ノーラさんから太鼓判を押されるくらいの作業を見せられたらしい。
しかし、ということは……。
「ええ、実に見事な手技でした……」
うっとりとしたような族長さんの声。
それを聞いて私は、どうやらまたやらかしたらしいことに、今更気が付いた。




