水際の攻防
翌日。
午前の診察を終えた私は、エルマさんのお店でキーラとお昼を食べた後、港に向かう。
どうやらまだ船は着いていなかったらしく、船着き場にはゲルダさんが一人立っていた。
と、私に気が付いたゲルダさんが、くるりと振り返った。
背後から近づいてたんだけど、足音で気が付いたのか、気配とやらがわかるのか……。
ともあれ、私を認めると途端に笑顔を見せる。
「ああ、アーシャ、お疲れ様。船はもう少しかかるようだ。後二時間程だろうか」
そう言いながら、ゲルダさんが海の方を指さした。
……弧を描く水平線以外、何も見えないのだけど。
あれか、ゲルダさんは超視力の持ち主なのか。
指さされた方を、目を細めながら眺める私に気づいたゲルダさんが、小さく苦笑した。
「すまない、人間だとこの距離はまだ見えないか」
「あ、やっぱり、見えてるんですね……」
そう言いながら、頷き返した。
ゲルダさんのような飛行できる魔族、魔物は視力が異様に良いと言われている。
まあ実際、時速100㎞以上出してすっ飛んでいくのだ、目が悪くてどうする、という話なのだが。
後二時間くらい。仮に時速5ノット、9㎞で航行しているとして二時間で18㎞。
その距離を見ることができる人間は、多分いないんじゃないだろうか。
鳥はそんな距離も見ることができると聞いたことがあるけど、実際どうなんだろう。
うん? 待てよ、そもそもそんな距離って、水平線に遮られないか??
それか、水平線の向こうに見えてるんだろうか。
まあとにかく、私の目では見えない程の距離にまだあるのは確かなようだ。
「うん、先程親父殿がおおよその方向を教えてくれたから見えたのだが。
ちなみに、武装などはほとんどないらしい。やはり、みたいだ」
「やっぱり、ですか……。
……うん? 親父殿?」
「ああ、言ってなかったか。哨戒部隊の長は私の父なんだ」
「そうなんですか!?」
ゲルダさんのお父さん。つまり、スカイドラゴンだ。
なるほど、確かにその飛行速度と攻撃力、耐久力に加え、ゲルダさんのお父さんなんだから頭もいいはず。
哨戒部隊を束ねるにふさわしい存在なのではないだろうか。
「そうなんだ。そういえば、アーシャ、あなたに一度会ってみたいと言ってたな。
先程、まだ来てなかったことに落胆していたよ」
「え。なんで私に会いたがるんですか。……ゲルダさん、お家で変に誇張したこと言ってませんよね……?」
思わず、ジト目を向けてしまう。
そんな私の視線に、ゲルダさんは涼しい顔だ。
……ちくせう、ドロテアさんとゲルダさんは表情から読めないことが多いなぁ……。
「いや、誇張したことは言ってないぞ?
海水と油から石鹸を作り、木材から紙を作り、ノーラさんとドミナスと協力して印刷機を作りカメラを作り……ありのままを言っただけだが」
「あ、すみません、ごめんなさい、私が悪かったです……」
ほんと今更だけど、改めてこう列挙されると酷いな、私のやらかし。
いや、そのおかげで豊かになっていきつつあるんだから、いいことではあるんだけど。
「ああ、そういえば母も会いたがっていたな。お風呂の礼を言いたいと」
「お風呂の礼? ……あ、ま、まあ、あれも私と言えば私ですね……」
あかん、本気で私のやらかし酷いな。
っていうか、まさにそのお風呂を今から公衆衛生のために使うわけだし。
思わず眉を寄せて悩んでいる私に、ゲルダさんが笑いかけてくる。
「あなたと言えば、どころか、あれは間違いなくあなたの功績だろう。
おかげで私も堪能しているし……どうだろう、女ぶりが上がっているだろうか?」
そう言いながら、いつかのドロテアさんのようにゲルダさんが髪をかき上げてみせた。
強い日差しの中、さらさらと流れていく藍色の髪は色の濃い夏の空に溶け込んでいくかのよう。
ああ、やはり空がとても似合うんだな、と改めて思った。
そして、背が高く凛としたゲルダさんが、ちょっとだけ照れながらそんな仕草をしてくれた、そのギャップ。
これがギャップ萌えというのか、と実感してしまう。
「……一瞬言葉を失うくらいでしたよ」
「ふふ、そうかな、そうだったら嬉しいのだが」
照れくさそうに笑うゲルダさんは、とても可愛い。
普段はむしろカッコいいとか美人とかそういう感じなだけに、この表情はかなり新鮮だ。
思わずまじまじ見つめてしまった私の視線に、ゲルダさんが困ったような顔になる。
「アーシャ、そんなに見つめられると、いくら私でも照れてしまうのだが」
「あ、す、すみません、ごめんなさいっ」
言われて、慌てて視線を外す。
と、ゲルダさんが一歩近づいてきた。
「いや、むしろ慣れさせてもらった方がいいのかな?」
そう言いながら、そっと私の頬に手を添えてくる。
え、ちょ、ちょっと待って何事!?
と混乱しているうちに、ゲルダさんの方を向かされた。
「考えてみれば、船が来るまで、後二時間。
それまで、あなたと二人きりなんだな」
「そ、そうっ、で、ですねっ!?」
何やら意味深に言ってくるゲルダさん。その視線の色に、今度は私が真っ赤になってしまう。
また、二時間という時間がね、前世知識からこう、いかがわしいことを連想させてしまってですね。
うわあぁぁぁぁ!! 私のムッツリスケベ! エロス!
でもでも、そんなことを匂わせて迫ってくるゲルダさんも悪いと思うんだよな!
なんて混乱している私を意に介さず……むしろ、そのことを理解した上で付け込むかのように、ゲルダさんはじりじりと体を寄せてくる。
あ、やばい、今抱きしめられたら私っ。
と、色々覚悟してしまった瞬間。
ピピー!!! と、鋭くも軽やかなホイッスルの音が鳴った。
「ゲルダ、一応今は業務中。それ以上はやりすぎ」
「残念、後少しだったのだが。なるほど、お目付け役、というわけだなドミナス」
ゲルダさんの視線を追えば、ここまで走って来たらしく息が切れているドミナス様がいた。
突然の乱入に呆気に取られてる私をそっちのけで、接近に気づいてたらしいゲルダさんは何事もなかったかのように会話を続ける。
「一応、そちらはついで。
入国者の顔を撮影する試みを」
「なるほど、それは確かに必要そうだ」
手にしたカメラを示すドミナス様に、ゲルダさんが頷いて返す。
住民情報台帳に本人の写真を載せる試みは、私も魔王様から聞いていた。
確かに、本人確認などで間違いが減るし、今後例えば、身分証なんかを作るのにも使えるかも知れない。
「しかし、撮影だけなら入浴させて一通りの検診も終わってからで良かったろうに」
あ、若干拗ね気味なゲルダさんとかレアなもの見た。
……いや、こないだも見たな。……いや、うん、私がらみだと見せるんだなとか、そんなこと思ってないんだからねっ。
「それだと危険な獣を放置することになる」
「言ってくれるじゃないか、ドミナス」
まって、なんで急に緊張感高まってるの、ちょっと待って。
「そして、共闘も可能」
「ほほう」
まって、なんで急に和解して、こっちを二人して見るの。
なんでにこやかに握手してるの。
「まって、ちょっと二人とも、他の人もそろそろ来るから! 船も来るから!
お願い自重してくださいぃぃぃぃ!」
私の叫びは、空しく夏の青空に吸い込まれて消えていった。
※7/7に加筆修正。
感想掲示板にて、18㎞という距離は大地が球形であった場合、水平線に遮られて見えないのではないか、とのご指摘をいただきました。
検証してみたところ、港湾施設+身長で海面から3mの高さに目があった場合、6㎞程度先の海面が水平線となることがわかりました。
その水平線の向こうにマストの先端がギリギリ見える距離は?と計算してみたところ、海面から30mのマストだった場合、水平線から20㎞程度の距離で捉えられるようです。
現代帆船のマストで海面から46mというものがありましたので、30mのマストは外洋航行用の船であれば、あり得ない高さではないみたいです。
ということで、合計すると25~26km先であれば視線は通るようなので、ゲルダの視力さえ十分であれば捉えられないことはない、という計算になりました。
とはいえ、ギリギリであることは変わりがございませんので、その旨追記しております。
ご指摘いただきまして、ありがとうございました。




