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数と数字

 写真関連が大体一段落着いた頃。

 私は、グレース様にお時間を頂いてお会いする機会を得た。

 ちょっとね、こないだ気が付いて、相談したかったことがあったんだ。


 ということで、約束の刻限より少し早めについて、案内された部屋で待つことしばし。


「相変わらず休むということを知らぬようじゃなぁ、アーシャや」


 気さくに声を掛けてくださりながら、グレース様と一緒に、ドロテアさんを従えた魔王様が姿を表す。

 うん。半分以上の確率で来るかな、とは思ってたんだけどさ。

 まあ正直なところ、今日の用件は、理系っぽい魔王様にも聞いてもらった方がいいとは思ってた。

 でも、ここの所魔王様のお時間いただきっぱなしだったし、ね。主にドミナス様が分捕ってくれてたんだけど。

 ということで、まずは教育関係の責任者であるグレース様にお話を通したんだよね。

 そしたら、多分魔王様にも話がいくと思ってさ。


 私はそれを立ち上がりながら迎え、恭しく頭を下げた。


「ああ、よいよい、今更じゃろう。ここは謁見の間でもないしの」


 私を制するように手を振りながら、魔王様はソファへと腰かける。

 その隣にグレース様が座り、お二人の後ろにドロテアさんが控えるいつものポジション。

 そして、魔王様が手でソファを指し示してくださったので、私はもう一度頭を下げ、ソファに座った。

 

「さて、では……ああ、ここから先はグレースに任せた方がよいじゃろうな」

「わかりました、それでは。

 アーシャ、私に相談と提案をしたいことがある、とのことでしたが、どういう用向きですか?」


 一度魔王様へと軽く頭を下げたグレース様が私へと向き直る。

 その表情は、既に真剣だ。

 ……私の話に対して、これだけ真剣な気持ちを向けてくださるのだから、その気持ちに応えるだけの話をせねば、と気を引き締める。


「はい、本日は、数字の取り扱い、と言いますか、計算の仕方と言いますか……そのことについて、ご相談、提案をしたいことがございまして」

「数字、ですか? 唐突なことですね……?」


 うん、まあそうだよね、そういう反応になりますよね。

 今まで私がやらかしてきたことに比べれば、そんなこと? って思われるだろう。

 あれ、魔王様は何やらわくわくした顔になったぞ? ドロテアさんは何か期待してる顔してる。

 その信頼が重くも嬉しい。


「ほほう。もしやそなたの暗算能力に何か関係があるのかえ?」


 あ、なるほど、そっか、そもそもそこで魔王様には勘付かれたんだった。

 グレース様も、言われてそのことを思いだしたらしい。なるほど、という顔になる。


「そうですね、関係は大きいかと思います。

 かなり地味なところではあるのですが……でも、とても重要なことでして」


 そう前置きしながら、私は頭の中で考えていたことを整理していく。

 多分、ちゃんと説明出来たら魔王様とグレース様なら理解してくださる。ドロテアさんも。

 理解してもらえなかったら、私が悪いんだ。そう自分に言い聞かせながら。


「例えば……リンゴは、一つ、二つと数えますよね。それを、数字で一、二、と表します。

 でも、リンゴがない、という状態を表す数字は、ございませんよね?」

「それはそうじゃろう。表す必要がないのじゃから。

 ……うん? いや、待てよ……?」


 何を当たり前のことを、と言わんばかりの顔をしていた魔王様が、急に真顔になった。

 うはぁ……ほんと、流石だよなぁ……。こういう話になると滅法強い。

 流石に、グレース様もドロテアさんもそこまでは付いていけてない様子。

 たったこれだけで気付く魔王様がとんでもないのだとつくづく思う。


「はい、この概念を導入すると、数字というものが表す事象が、一気に変わるんです。

 『ただ数を数える』というものから、『ない状態からどれだけ違うのか』というものに」

「つまり、ある基準点からの差異、という扱いになるわけじゃな?」

「左様でございます。その基準点を、前世ではゼロと定義しておりました」


 確か、前世では5世紀かそこらにインドで発明された概念、というのが有力な説だったと思う。

 そこからイスラム文化圏に流入し、ゼロを組み込んだアラビア数字、算用数字とも呼ばれるそれが生まれ、ヨーロッパに伝播した、と言われている。

 残念ながらこちらの世界にインドはなく、同じくらい数学的センスを持った人は現れてなかったらしい。

 この概念を組み込むことにより、計算というものが大きく進化したと思われる。

 特に、大きな桁の足し算引き算は、凄く楽になったはずだ。


「この概念を組み込むと、千二十四は1024と表すことができまして」


 そう言いながら、こっちで使われている数字の一から九までを紙に書き、それに対応する算用数字を1から9まで描いて、その上で1024という数字を書いてみる。

 対応表と1024の数字を見比べることしばし、三人とも頭の中で整合性が取れたようだ。

 ……凄い理解力だなぁ、つくづく……。

 十進法について詳しく解説する必要があるかと思ったけど、どうやらその必要はないらしい。

 なので、私はそのまま説明を続けた。


「そこに200を足す、という計算を、このように表記していました」


 と、1024の下に足し算の記号と、200を書き加えた。

 いわゆる、足し算の筆算だよね。

 それだけで理解できたらしく、グレース様とドロテアさんは目を見張り、魔王様は実に満足そうにうんうんと頷いている。


「なるほどの、これならば千二百二十四になる、というのが一目でわかるわけじゃ」

「その通りでございます。この方式により、計算の速度が随分と上がったように思います」


 実際、ゼロの概念は革命的だった、みたいだ。それが当たり前にある時代に生まれた私にはいまいちピンとこないんだけど……理屈としてはわかる。

 例えば、ソロバンで計算する時、千二十四を「千飛んで二十四」と表現する。

 百の位に数字が無い、ということを、そうやって表現してたわけだ。

 ソロバンはそうやって桁を表現できてたけど、これを帳簿に書き記すと、途端に混乱の元になる。

 なんせ、四桁の数のはずなのに三つしか数字がないわけだから、他の数字と桁が揃わないんだ。

 けれど、ゼロの概念を取り入れた算用数字ならば、桁を揃えて表記ができる。

 多分、出納関係は一気にやりやすくなったんじゃないだろうか。


「また、掛け算に関しても重要な部分がございまして……。

 例えば、一つ銅貨二百枚の物を六個買った場合、というのを、こう表しまして」


 やっぱり同じく掛け算の筆算の式を書いて見せる。

 それだけで魔王様はぴんと来たらしい。


「この書き方であれば、二と六を掛けて十二を作り、それにゼロとやらを二つくっつける形になる。

 即座に千二百と計算できるわけじゃな」

「ま、まさしくそのように説明するつもりでございました……流石でございます」


 理解の速さに舌を巻く。

 う~ん……数学の参考書とかもしあったら、魔王様一気に凄い数学者になったんじゃなかろうか。

 残念ながら手持ちにはないし、そもそも魔王様はお忙しいから、数学に没頭する時間はないし、してもらっても困るのだけど。

 また、ゼロの概念があるから、比例式なんて考え方も生まれたんじゃないかな、多分。

 そういったところの話もおいおいしていければ、きっと魔王様はさらに興味を引かれることだろう。

 ……いやだめじゃん、そこまで興味引いたら。

 

 そんな私の心配を裏付けるかのように、魔王様は実に楽し気だった。


「なるほどの、計算にどれだけ有用かはようわかった。

 また、この表記であれば数字の大きさを掴みやすく、そこからの思考もしやすそうじゃな」

「教える側としても、違う数字を教えるという障害を乗り越えさえすれば、教える負担が減るように思います」


 魔王様はもう、新しいおもちゃを見つけたかのようにうっきうきだし、グレース様は納得したように幾度も頷いている。

 お二人の反応にほっとしながら、私はもう少しだけ説明することにした。


「ご理解いただけて、ありがたく存じます。

 それから、『ない状態』を表せるようになりますと……『足りない状態』も表せることに気が付いた者がおりまして」


 そう言いながら私は、紙に数直線を書き記した。

 紙の真ん中付近にゼロを取り、そこから右方向に正の整数を書いていく。

 

「……『足りない状態』とな?

 ああ、なるほど、そういうことかえ」


 魔王様の視線が、ゼロの左側へと向けられる。

 そう、まさにそこの話をしようとしていたのだ。ということで、線を左側につぎ足して、-1、-2と数字を打っていく。


「表記としては、このようにしておりました。

 こうすることで、10本必要なのに9本しかない状態を-1と表現して、過不足のあるなしとして捉えることができるわけです。

 で、例えば……一日に枝を10本集める必要があったとして」


 と言いながら、9、11、13、8、7という数字を縦に並べていく。


「一日目は一本足りないので-1、二日目は一本多いので+1と表記していきまして……」


 と、その数字の横に-1、+1、+3、-2、-3と並べた。


「そうすると、五日間で二本足りない状態にある、ということを、過不足の数字の足し算引き算で計算することができるわけです」


 この感覚自体は、現代日本人であれば大体の人が持っているものだ。

 けれど、正負の数の概念がないこっちでは、一々全部足して、本来欲しいものから引き算して、とやって、ようやっと把握できることになる。

 すると、数字が大きくなればなるほど、処理の煩雑さが加速度的に酷くなっていくわけだ。

 これは、帳簿だとか会計処理だとか、そういったものの処理に大きな影響がある、と思われる。


「うむ、それはようわかった。しかし、じゃな……」

「ええ、そうですね、ここまでの考えを一気に広めるのは難しいでしょう」


 と、グレース様は考え込んでいる。

 うん、この場の三人が滅茶苦茶頭が良いからわかってくれただけで、普通の人はそんなすぐに飲み込めるもんじゃない。

 まして、計算処理までできるようになるには、だ。


「はい、ですから、先日申し上げました初等教育ではゼロの概念とこちらの、普通の数の話だけに絞っておりました。

 『足りない状態』については中等教育でようやっと、ですね」

「ふむ……明日からすぐにでも導入したい考え方じゃが、致し方あるまい。

 グレース、まずはゼロと新たな数字の普及から、じゃな。頼めるか?」


 魔王様がグレース様に視線を向けると、グレース様はそれはもう頼もしい笑顔で頷かれた。


「はい、もちろんです。この考え方には、ただ計算がしやすくなる、以上の可能性を感じますから」


 うん、やっぱりグレース様も、有用性を既に相当理解してくださったみたいだ。

 あ、早速、ちょこちょこと簡単な計算して確認してる。

 この分だと、遠からず教えられるところまで理解されるんじゃないだろうか。


 私としても満足していた、その時。

 ドロテアさんがぽつりと私に向かってつぶやく。


「アーシャ。……これでまた、あなたが忙しくなるかも知れない、ということはわかっていますか?」

「……あ」


 言われて初めて気づいた私に、ドロテアさんは困ったような笑顔を向けていた。

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