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グレース様との問答

「さて、改めまして、アーシャ。

 今日来てもらったのは他でもありません。

 あなたの受けてきた教育について話を聞きたいのです」


 あれからしばらく、ああだこうだとバタバタした後に、まるで何事も無かったかのように落ち着いた声でグレース様に言われた。

 内容そのものは予想通りの物だったので、こくりと頷いた。

 ……随分ぎくしゃくと首が上手く動かなかったのは、きっと待たされ過ぎたせいだ、そうに決まってる。


「はい、私もそうではないかと思い参上いたしました。

 少しでもご参考になりましたら幸いでございます」


 と、改めて頭を下げる。

 うん、正直なところ、本気で光栄だと思うね。

 物凄い美人さんっていうのはあるけど、むしろそれはおまけですらある。

 こうして魔王様と対等に渡り合える存在感、カリスマ性。何よりその毅然とした態度。

 でありながら、威圧感を与えない柔らかな雰囲気。

 ああ、きっとこんな王様に治められたら幸せなんだろうな、と思ってしまう。


 ……あっ、魔王様だって立派な王様だよ、それも間違いないよ!

 ちょっとタイプが違うだけ、ほんとほんと!

 と、どこかに向かってフォローしながら。

 ……あぅ、ドロテアさんがくすっと笑ったのは、私の心情を読み取ったからだろうか。


 ともあれ、教育に関して話ができるのは、私としてもありがたいことであるのは間違いない。

 どこかで石鹸や衛生について話ができたらいいなぁ、と思ってるし。

 一応、話すべき内容も考えてきたしね。


「私こそ、あなたに会えて嬉しく思います。

 陛下から伺いましたが、あなたの受けてきた教育はとても興味深いもの。

 本日は、どんな教育を受けてきたかを詳しく教えてもらえたらと思います」


 そう言いながら、穏やかに微笑みかけてくださる。

 ……うん、くださる、って自然に思っちゃう。やっぱり、魔王様とは違うタイプのカリスマ性だ。


「はい、かしこまりました。

 長い話になりますが、そこはご容赦いただけますでしょうか」

「もちろんです、是非ともじっくり聞かせてください」


 と、私とグレース様の間で話が進む傍らで。


「のぉドロテア。もしかして妾、ここにおらんでも良かったのか?」

「とんでもございません、責任者としてアーシャの話を聞いていただき、承認していただかねばなりませんから」

「なるほど、それもそう……いや待て、何ゆえ無条件でアーシャの話が通る前提になっておるのじゃ」

「これは異なことを。アーシャが陛下にご満足いただけない話などするわけがないでしょう」

「それはまあ、そうなのじゃが……」


 ぼそぼそ、魔王様とドロテアさんの主従漫才が繰り広げられていた。

 っていうか、私いつの間に、そこまでの信頼をドロテアさんから獲得してたのかなぁ……。


 何より、そこまで信頼されていると、下手な話はできないぞ!?

 頑張れ私。頑張るんだ!


「それでは、私の受けていた教育の仕組みからご説明させていただきます。

 基本的には、国民全員、六歳になったら学校に入ります。

 というか、入れられます。学校に行かせるのが、親の義務として規定されていました」

「……はい? 六歳から、ですか? 国民全員、つまり庶民も、しかも、それが、義務……?」


 うんうん、のっけから強烈だよねぇ、多分。

 こっちの世界では、そもそもまともな教育制度など、ない。

 特に平民は、碌に字も書けない読めないのが割と当たり前だ。

 この辺りは多分、最大のギャップ、と言ってもいいかも知れない。


 正確には、あっちの世界でも中世から近世くらいは似たような状況だった。

 日本では江戸時代の寺子屋が始まるのが17世紀か。

 西欧では17世紀から18世紀に、キリスト教の聖人、ジャン・バティスト・ド・ラ・サールというキリスト教の聖人が庶民に学校的な形で教育を施したのが先駆けと言われている。

 まあ、そのラ・サール様、当時は貴族が庶民に教えるなんて! 的な迫害を受け、隠棲した先で司祭職を剥奪されて亡くなっているのだけど。

 その評価が改められるまで百年以上かかったみたいだから、決してこっちの人にどや顔できるような歴史は辿っていない。

 この辺りの話は、ラ・サール会という修道会が運営する学校に行ってた従兄が熱く語ってくれたので覚えていた。

 

「はい、六歳からです。正確には、もっと幼い……三歳くらいから、さらに基本的な教育や、社交性を身に着けるための保育園、幼稚園というところに通うこともできます」

「……三歳? まだヨチヨチ歩きが終わったくらいの頃ではないですか……」

「もっと言えば、生後数か月で預かってくれる施設もございましたが……それはさすがに、教育機関とは言い難い場所だとは思います」

「そうですか……もう、この時点で十分に衝撃的なのですが」


 くらくらしているかのように、額に指を当てながらグレース様がぼやく。

 実際、眩暈にも似た感覚に襲われているのだろうな、とも思う。

 良くも悪くも、想像と全く違っただろうから。


「話を続けさせていただきますね。

 六歳から十二歳までが初等教育。

 十二歳から十五歳までが、中等教育。ここまでが、義務教育です。

 国の一員として要求される最低限の知識教養を、ここで学びます」

「……もはや驚く気すらしませんが……十五歳まで十分に教育を受けられたのですね……。

 しかもそれが、最低限とは……。

 そして、その次が高等教育、選ばれたものだけが受けられる教育ですか」


 うん、そう思うよねぇ。

 こっちでは、16歳が成人。

 5、6歳くらいから手伝いだとかをはじめ、15歳ともなれば、もう一人前に働いてる人が大半だ。

 でも、ねぇ……。


「申し訳ございません、実は……確かに、十五歳から十八歳までが高等教育の期間なのですが……。

 私の時代には、もう、ほとんど義務教育に近いものがございました。

 高等学校に行く者は、九割を越えていたかと」

「待ってください、高等教育なのですよね?

 それを、ほとんど全員が受けられた、と?」

「左様でございます」


 信じられないものを見る目で見てくるグレース様に、こくり、と頷く。

 っていうか、本当に事実なんだから、仕方ない。申し訳ないけど。

 まあ、全員が卒業できるわけでもないけれど……そこは割愛。


「そこから、さらに高度で専門的な教育を受けられる大学校に進学できるのですが……これはさすがに、全員ではございません」

「そ、そうですよね、いくらなんでもそれは……」


 ごめんなさい、グレース様、ごめんなさい。


「それでも、過半数がその大学校に進学している、との情報がございました」

「過半数!? あの、アーシャ……いえ、その顔はからかっている顔ではありませんね」


 さすが魔王様の奥様、人を見る目は確かみたいだ。

 こくり、重々しく頷いて返すしかないけれど。


「大学校に行くものが、おおよそ5割。それ以外に、もう少し習得にかかる時間が比較的短い分野を学ぶ短期大学校や専門的な技術を学べる専門学校がございまして、それらを入れたら、8割を越えていたかと。

 大学校が四年から六年。私の学んでいた医学など専門性の高い学問は六年学ぶことになっておりました。

 それ以外の学校も二年程度。全て学べば、二十歳から二十四歳になりましょうか。

 正確には、そこからさらに研究者として残ることもできます。

 それはもう、上限はないと言っていいでしょう」


 もちろんそれは、浪人しなければ、だけど。

 そこまで話をしたら長くなるから、ここでは割愛。


「そこまでの長い期間学ぶのですか……であれば、相当に高い学識を得られるのでしょうね」

「……理論上は。残念ながら、行くのが当たり前になりすぎて、形骸化している部分もありました」


 そうなんだよねぇ……多分、高等教育を受けずに職人的な技術を身に着ける方が向いている人たちもいるんだけど、そういう人達まで行っちゃうし。

 ドイツとかは確か、割と早期にそうやって役割分担してたはずだ。

 そう、役割分担、でしかないんだけど……どうにも日本じゃ、大卒っていう肩書が幅を利かせすぎていた。

 何ができるのか、じゃなくて、どういう肩書を持つのか、どういう地位にいるのか、っていうのが重視されすぎな気がするんだよね。

 今更言っても仕方ないけど。


 私の言葉に、グレース様はなんとも複雑な表情だ。


「なんと……それは、なんとも……もったいない話ですね」

「はい、誠におっしゃる通りかと存じます」

 

 高等教育、あるいはそれ以上の教育は、あの世界を形作っていた理論の入り口とその先だ。

 それを学び、活かしていけば、可能性は色々と広がっていく、はず。

 だけど、そう思わずに漫然と過ごす人は、多かった。とても、もったいない、と思う。


「ともあれ、ここまでで大よその仕組み、どれほど教育に力を入れていたかがおわかりいただけたかと思います」

「そうですね、もうこの時点で十分すぎるほどに。

 ですが、まだ肝心の中身について全く触れられていませんよね?」

「左様でございます。

 中身につきましても、恐らく相当に驚いていただけるのではないかと」


 こくりと頷き返すグレース様。

 さて、続きを、と思ったところで、ふと視界にドロテアさんの姿が目に入った。


「失礼いたします。

 グレース様、アーシャ、長話で喉が渇いていませんか?

 お飲み物などいかがでしょう」


 と、一区切りつくタイミングで声をかけてくる。

 しかも、多分淹れたてのお茶をお盆に乗せて。 

 ……待って、いつの間に!? これが、有能秘書の実力か!?

 と、お茶を置いてくれる横顔をまじまじと見つめていたら、なんだか照れたような微笑みを見せてくれた。

 ……うん、きりっとした美人のこういう可愛い顔は反則だと思うんだ。


「ところでドロテア、妾の分はないのかえ」

「ああ、申し訳ございません。陛下はまったく発言されていませんでしたので、不要かと思っておりました」

「扱いがぞんざい過ぎぬかえ、さすがに!」


 うん、魔王様も本気で怒っているわけではない。多分親しい人の前でだけ見せる姿なんだろう。

 私の前でそれを見せてくれるのは嬉しいのだけど。

 ちょっとだけ哀愁も感じたのは、なんでかな。


 魔王様の言葉に、ドロテアさんは静々と頭を下げた。


「申し訳ございません、すぐに淹れてまいります」

「う、うむ……妙に素直じゃのぉ……」

「ところで、出がらしでもよろしゅうございますか?」

「良いわけないであろう!?」


 そ、そっか、ドロテアさんって、こういう冗談も言える人だったんだ……かなり意外。

 そう思いながら見ていると。


 お茶を淹れにいこうとしたドロテアさんが、ぺろ、と小さく舌を出して、片目をつぶって見せてきた。

 ……ちくせう、可愛いなぁ! とか思っても、言葉にも顔にも出せなかった。

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