女神のスープ
※時間が変わって、4章終盤、世界征服が始まった時期のお話です。さらに、三人称視点となっております。
雨が、降っていた。
しとしと、しとしとと、絶え間なく、鬱陶しく。
降り続く雨は森の木々を濡らし、葉に染みわたり。
やがて溜まりきった雨が雫となって落ち、あるいは梢に弾かれ、あるいは別の葉を滑り。
地面へと降り注いでくるのはわずかだけれど、それでも確かに地面を濡らし、ぬかるませていく。
少女は、そんな様を椅子に座りながら、ぼんやりとした目で見ていた。
村の大人たちが山仕事の時に休憩所として使う粗末な小屋は、雨から彼女を守ってくれてはいる。
だが隙間風は入るし、何よりむき出しの地面は濡れて、彼女を足元から冷やしていく。
夏の終わり、秋へ向かうこの時期に降る雨は、ただでさえ体を冷やして良くない。
その上今は、心まで冷え切っているからなおさらだ。
「お父ちゃんたち、大丈夫かな……」
ぽつり、小さく小さく零れた声は、誰にも拾われない。
この掘っ立て小屋にいるのは、彼女一人だ。
魔王の軍勢が攻めてくる。
急にそんな話が広まったのは、つい先日のこと。
しかもどうやらその話は本当だったらしく、近隣の村だけでなくこの村の男達も領主である男爵によって徴用されてしまった。
「この村を、何より我が国を守るためにはお前達の力が必要なのだ!」
とか言っていたらしい。
大人達は誰一人として信じていなかったし、まだ十歳になったばかりの彼女ですらそうだったが。
男爵が、村のために何かしてくれるとはこれっぽっちも思えない。
あれやこれやと頭ごなしに命じ、そのくせ碌に金も出さず、自分一人で美味しいところを持っていく。
たとえどれだけ不作にあえごうとも、税を減らしてくれたことなど一度もない。
むしろ、何かあれば税を少しでも増やそうとしてくる始末。
そんな男爵に、まともにこの村を守ろうとする気概などあるとはとても思えなかった。
だから、彼女はここに居るのだが。
「ほんとに来るのかな、魔王……」
ぶるり、寒さ以外の理由で少女は身を震わせる。
男達が徴用された村に、ついに魔王の軍勢が向かってきていると聞かされたのは昨日の夕暮れ。
当然抵抗する力などない残された村の人々は、どうすべきか考えた。
そして出した答えが、せめて子供たちは守ろう、だった。
村の子供達は全員森の中の、こうした掘っ立て小屋だとか洞窟だとかに身を潜めさせられている。
いくら魔王の軍勢が暴虐だろうと、村を略奪して気が済めば、わざわざ森の中まで探しはしないだろう。
大人達は無理やり笑顔を作ってそう言っていたが、残念なことにその意味するところ、何が起こってしまうのかが分かる程度には彼女は聡かった。
そして、嫌だと言っても困らせるだけだし、他に何かできる事もない、ということも。
だから彼女は、今こうして、ぼんやりと掘っ立て小屋に置かれた椅子に座って、ぼんやりと外を眺めることしかできなかった。
何かを考えてしまえば、心が張り裂けそうになってしまうから。
けれど。
「……け、煙……?」
なんとなしに、木々の切れ間から村の方を見ていた彼女の視界に、降り続く雨に消されることなく立ち上がる煙が見えた。
この雨でもわかるくらいの煙が立つ、ということは、村は。
少女は、思わず立ち上がってしまう。
戻らなくちゃ。
戻っても何もできない。
でも。でも。
そんな感情がぐるぐると渦巻いていたせいか、何かが近づいてきていることに彼女は気が付かなかった。
ガサリ、と森の木々が揺れる。
はっと驚いてそちらへ視線を向ければ、姿を現したのは鎧を着こんだ、豚に似た顔をした人型の魔物。
きっと話に聞くオークだろう。そして、オークがやってきたということは、やはり村は。
小屋に身を隠していれば見つからなかっただろうか、いや、無駄だったかも知れない。
そんな今更なことが脳内で堂々めぐりとなって、彼女は体を縮こまらせて立ちすくむ。
動けない少女を見たオークの口が、つり上がったのは、笑みの形になったのだろうか。
そして、オークは大きく口を開けて叫んだ。
「要救助者1名発見~~~!!」
よく鍛えられた腹筋から発せられた叫びは、木々が複雑に立ちふさがる森の中を、ものともせずに広がっていく。
すると、それが聞こえたのかあちらこちらから「ワォーン!」という犬のような狼のような遠吠えが聞こえてきた。
その光景を、少女は硬直したまま目をぱちくりとだけさせつつ、見ているしかできなかった。
今このオークはなんと言った?
要救助者。難しい言葉だが、助ける必要がある人ということ?
どうやらそれが自分を指し示しているらしいと段々理解して、また混乱する。
なぜ、この魔物は、自分を助けようとしているのか。
そもそも、魔物が人間を助けるとはどういうことなのか。
困惑したまま硬直している少女を見て、オークは笑って見せる。
「ごめんなさいねぇ、驚かせちゃったよねぇ。襲ったりしないから安心してちょうだい。
村の人達から、あんた達を森に隠したって聞いたから、慌てて探しに来たのよ」
オークの言葉に、更に硬直してしまう。
あれ? と思いながらオークをよく見れば、なんとなく体つきが丸みを帯びているように見えなくもない。
「え、お、女の人……?」
「うん? あ~、この格好だし、人間だとあたしらの性別もわかんないか! いやぁうっかりうっかり……っても仕方ないかぁ。
ほらね、あんたみたいな女の子もいるって話だったから、野郎どもに任せるのはちょっとあれじゃない?
だからあたしらが森の中を回ってんだけど……そっかぁ、見た目じゃわかんないよねぇ」
人間の女性と比べたら低めだが、確かに女性っぽい声。
しゃべり方など、近所のおばちゃんのそれに似ている。
なるほど、確かにオークにだって性別はあるだろう、と今更なことに気が付く。
そして、ちょっとだけ笑ってしまった。
「ごめんねぇ、間抜けな救助隊で」
「う、ううん、そんなことは……」
申し訳なさそうなオークに、小さく首を振って応える。
どうやら、良い人、というか良いオークのようだ。
ちょっとだけ、安心して。
気が緩んだせいか、体が寒さを思い出して、ふるりと身震いしてしまった。
「おっと、この雨だもんね、冷えてるよね。ほら、これ羽織って。村は大丈夫だから、戻って休もうね?」
「う、うん……」
促されるままに、革製のフード付きマントを羽織る。
どうやら防水仕様になっているらしく、それは冷えた体を雨から守ってくれた。
案内されるままに、オークの後ろについて歩く。
魔物相手だというのに、何故だか彼女は信じていい気がした。
歩いていくうちに、あちこちから彼女より小型の魔物が集まってくる。
犬の顔をした彼らは、恐らくコボルトなのだろう。
くりくりとした目を輝かせ、ハッハと舌を出しながら少女の顔を覗き込み、どうやら大丈夫そうだと確認したらすぐにまたどこかへと走っていく姿は、近所の犬を彷彿とさせる。
どうにも、さっきから調子が狂ってばかりだ。
これが、魔王の軍勢だというのだろうか。いや、確かにこのオークも、コボルト達も、鎧を身に着けてはいるのだが。
しかし、こんな軍勢が来たのであれば、きっと村は。
彼女が村にたどり着けば、抱いた希望の通り、村は無事だった。
救助された少女の姿を見て、母をはじめ村の大人たちが駆け寄ってきて、口々に無事を喜んでくれる。
その光景を見ていたオークが鼻をすすったように見えたのだが、気のせいだろうか。
すぐに笑顔になった彼女が、バンバンと手を叩く。
「さ、無事を喜ぶのもいいけど、その子もあんたらも体が冷えて腹も減ってるだろ?
簡単だけど飯を用意したから、食っちまってくれよ!」
見れば、村の広間に大きな鍋が複数設置され、中で何かが煮られていた。
どうやら、森の中で見えたのはこの煙だったらしい。
そういえば、何やら食欲をそそる匂いも漂ってきている。
いつの間にか簡単なテントが張られ、そこにテーブルとイスも用意されていて。
あれよあれよと村人たちは案内され、座らされた。
「うちらの行軍食だから、あんたらの口に合うかはわかんないけど、まあ勘弁してくんな?」
そう断りを入れてから提供されたのは、麦粥だった。
村でもよく食べるものだが、ここまで白く濁ったスープは初めてだし、この匂いも初めてのもの。
浮かんでるのは干し肉をもどしたものだろうか。
そんなことを考えながら、少女はスプーンで一掬い、粥を口に運んだ。
そして、言葉を失った。
美味しい。
ひたすらに、美味しい。
気が付けば少女は、いや、他の子どもや大人達も、一心不乱に粥を食べていた。
村で作られる麦粥は、ただお湯で煮た物。少し味付けに塩を入れる程度だ。
だが、この麦粥は違う。
初めて口にするその味は舌を柔らかく優しく包み込むようであり、その舌全体から様々な味が染み込んでくる。
塩気もあるし、甘い、ような違うような、そんな感覚もあり。
それが胃に流れていけば、その温かさと味で、ほっと体の芯が緩んだような気がした。
「どうだい、美味いだろ? これはうちの女神様がお作りになったスープでねぇ、戦地でも簡単に作れる優れものなんだ」
「め、女神様……?」
思わぬ言葉に、村人達は口々に聞き返す。
どうして魔王の軍勢が、女神などと。
しかしお湯で溶かすだけで作れるのにこれだけ美味しいこのスープは、確かに女神のものでも不思議ではない。
「ありがたいことに、干し肉なんかも女神様のおかげで簡単に手に入るようになってねぇ。
折角だから、しっかりと食べておくれよ?」
と、太っ腹なことを言うオーク。
言われてその干し肉を噛み締めれば、体が喜ぶ感覚がする。
この村では、年に数回、貴重な労働力である牛を潰した時に肉が食べられることもある、程度。
干し肉も貴重な保存食であるため、滅多に食べられない。
その干し肉が、贅沢に入っていた。それを、噛み締める。
舌が、口が、肉の感触と味を喜ぶ。
さらにそれが肉や骨の滋養が溶け込んだスープとともにお腹へと入ってしばらくすれば、体を巡る血まで喜ぶような感覚。
満たされる。満たされていく。
体が欲しがっていたものが与えられた、そんな幸福感に包まれ、少女は思わずほろりと涙を落してしまう。
ああ、食べることは、幸せなことなんだ。
生まれて初めて、そんなことを実感した。
「はは、いいねぇ、いい食べっぷりだ! おかわりもあるから、たんと食べな!」
「おかわり!」
楽し気に笑うオークへと、反射的に少女は皿を突き出してしまった。
そのことにはっと気が付いて、思わず顔を赤くしてしまうのだが、オークは実に楽しそうに笑って。
「いいねぇ、元気なのはいいことだ! たっぷり食べて、しっかり大きくなるんだよ!」
たっぷりとおかわりが盛られた皿を受け取りながら。
「うん!」
と、少女は、涙を滲ませながらも、満面の笑みを浮かべた。
その後。
この村の領主だった男爵は囚われ、新たな領主が来たりだとか、教育も行き届くなど村の生活は大きく変わり。
やがて一人の女性が料理研究本を出版することになるのだが、それはまだまだ先の話である。
また、こうして様々な地域で人々の胃袋を掴んだ「女神様のスープ」効果もあって魔王シュツラウムによる占領支配は驚異的な速度と治安の高さでもって進められていくことになる。
この雨自体は城攻めにあたっての演出による余波だったのだが、それがより一層温かな食事の効果を高めていたらしい。
後にそれが明らかになって、「またそなたは……やっぱり何か神から聞いておるのではないかえ」などと問われた某女性が「いや、ほんっとにたまたまなんですってば!」と言い返したりしたという一幕もあったりしたそうだが、これもまた別の話である。




