決着の時
『原初の混沌』は困惑していた。
つい先程まで甘美な感情を降り注いでいた地上から、全くそれらが降りてこなくなった。
それどころか、彼にとって忌々しい、落ち着いた波動や未来に向かう明るい感情ばかりが降りてくる。
これでは、まだ思うに任せない身体で体力を使って揺らすだけ、損ではないか。
おまけに、彼が戸惑っている間に体勢を立て直した小さき者どもは、先程よりも激しい攻勢に出ている。
「反撃が弱ってきておる、ドミナス、ゲルダの防御支援よりも火力支援に比重をおけ!
ドロテアはドミナスの警護最優先にはしつつ、援護射撃を実施せよ!」
「了解、どかんとぶちかます」
「かしこまりました、仰せのままに!」
シュツラウムの指示にドミナスが頷けば、先程までとは違った詠唱を始めた。
その隙を守りながらも、ドロテアは衝撃波をゲルダの周囲に蠢く触手へと放ち、砕いていく。
防御に回す手数が減った分、ゲルダの暴威は純粋な攻撃力へと変換され、『混沌』の表面は砂か何かのように削られ、抵抗も功を為さない。
「……あの、あたしはどうしたら」
「そなたはしばしそこで待機じゃ。もうじきドミナスの魔術が……ああ、来るな、微動だにするでないぞ!」
「は、はいぃ!?」
シュツラウムの声とともにユーリィが身を縮こまらせたその時、背後に強烈な光と熱が発生したのを感じた。
だが、振り向くことができない。
振り向くなと言われたのもあるが、何より、生物としての本能が彼女に告げていた。
見てはいけない、と。
「『反復詠唱』起動。『連鎖術式・炎弾舞踏』」
静かに響き渡る、ドミナスの声。
途端。彼女の背後に生まれ出でた、数十、いや数百もあろうかという炎の矢がゲルダを避けて『原初の混沌』へと降り注ぐ。
灼熱の弾丸が大量に通過する、それだけでも周囲の気温が上がってしまいそうだというのに。
光と熱は、また生まれた。
そして、間髪入れず再び降り注ぐ炎の矢。
繰り返し響く山びこのように、幾度も、幾度も、数百の炎の矢が生まれ、降り注ぐ。
「ちょ、こ、これ、なんなんですか!?」
「ドミナスの得意魔術の一つじゃな……あやつめ、ここが勝負所と見て奮発しよったか。
であれば、妾とて負けるわけにはいかぬな」
動かないように言われたユーリィは、まさに微動だにせず、というかできず、雨のように降り注ぐ炎の矢が『原初の混沌』の表面を撃ち抜き焼き焦がしていく様を愕然とした顔で見ていた。
そのすぐ近くでシュツラウムが詠唱を開始すれば、周囲の空気が一瞬止まる。
と思えば、空気中の魔力が急速に彼女の元へと、さながら馳せ参じるかのように流れ出し、まばゆい光を放ち始めた。
「『多層詠唱』展開。『増幅術式・轟雷閃華』」
詠唱が完了した瞬間に轟き渡る、鼓膜が破れんばかりの轟音。
数多の稲妻を束ねた光の柱が『原初の混沌』に打ち付けられれば、そこから数百の雷光が花開くように走り、無残に切り裂き焼き焦がしていく。
全身が、脳が震えるような音と目もくらむような強烈な光。
広がった稲妻はその先でもまた閃光の花を開かせ、『混沌』の全てを焼き尽くさんばかりにその表面を覆っていく。
「ひ、ひえぇ……何、これ……」
呆然と呟くユーリィの目の前に広がる、神話のような光景。
人間からは想像もつかない魔術がこれでもかとばかりに繰り出され、それは確実に『原初の混沌』を削っていた。
そして、それらの魔術による援護を受けているゲルダの猛威も未だ健在。
いや、むしろその威力は上がってすらいた。
『アーシャ……アーシャァァァ』
間近に寄る事がもしもできたら、ゲルダがひたすらアーシャの名前を呼んでいるのが聞こえただろう。
『原初の混沌』が怯んだ、地上から降り注ぐ感情。
それは、最も間近にいるからか、あるいは『混沌』の破片を浴びすぎたせいか、ゲルダにも感じ取れていた。
降り注ぐその感情達の中心にある存在。
その存在を感じ取れた時、ここで散っても構わぬと竜族の破壊衝動を解放したゲルダの心に、理性が戻り始めていた。
戻りたい。
帰りたい。
彼女を、抱きしめたい。
破壊衝動を上回る、強烈な感情。
『原初の混沌』を破壊したいという衝動はそのままに、その動機が『ただ破壊したい』というものから置き換わる。
帰るために、戻るために。
であれば、もっと効率よく、技術を使い、狙いを定め。
己の持つ技量全てを注ぎ込んで、敵を破壊すべし。
衝動に任せて居た攻撃でも十分に驚異的だったものが、狙いを絞り効率的に力を振るうことを覚えれば、その効果は何倍にも跳ね上がる。
更に、周囲の触手はドミナスとシュツラウムの援護攻撃で沈黙し、攻撃だけに専念できるとなれば、なおのこと。
ゲルダは『原初の混沌』を凄まじい勢いで掘り進めていく。
「ユーリィ、どうじゃ、奴の神核は!」
「あっ、はいっ……捉えました、奴は、あそこに!」
シュツラウムの問いかけに、ユーリィがピタリと剣先を『原初の混沌』へと向けた。
それは、ゲルダが暴れている場所の、さらに向こう。
その指し示す先が、何故かシュツラウムにもわかった。
「よし、ならば道先案内人の出番じゃな。
ゲルダ、聞こえるか! 聞こえるのならば、そこをどけ!!」
ダメ元のつもりで掛けた声に、しかしゲルダが僅かに頷き、その場を即座に離脱する。
一瞬だけ驚いたシュツラウムは、しかし即座に詠唱を開始、完成する。
「『多層詠唱』展開。『増幅術式』開始。
風よ流れよ、時よ流れよ。全ては無から生じて無へと返る。
時の流れは我が意のまま、全ての無も意のままに。
朽ちよ、溶けよ。『風化』」
詠唱が終わった瞬間、一瞬、全ての音が失われたような感覚。
ついで、シュツラウムが魔力を向けた先にある『原初の混沌』の身体が、溶けるように消えていき、大きなトンネルが穿たれていく。
「『加速』……ユーリィ、いっといで。通常の三倍くらいにしといたから」
ドミナスがユーリィへと、動きを速くする魔術をかけ、促す。
「あと少しです、頼みます!」
その傍で、ドロテアが力強い笑みを見せながら応援の声を上げる。
そして。
「道は開いた。後はそなたじゃ、ユーリィ。
行って、あの時代遅れな寝ぼすけにとどめを刺して参れ!」
「は、はいっ、行ってきます!」
シュツラウムの言葉に頷いたユーリィは、文字通り矢のように飛び出した。
通常の三倍、の言葉に嘘偽りなく、とんでもない速度で飛び出したユーリィはゲルダの傍を一気に通過して、トンネルの奥へ。
再生しようとする『混沌』と溶かそうとする『風化』がいまだせめぎ合う中を、決意を固めた顔で飛んでいけば、その視線の先に見える、闇を塗り固めたような色の巨大な結晶。
流石の『風化』もこればかりは砕けなかったらしく未だ健在のそれは、近づいて見ればその結晶の中でドロドロとした何かが渦巻き流れていて、何とも悍ましく見える。
と、かなり近づいたところで、手にした神剣が震え、強い光を放った。
来る、とユーリィ自身も感じ取れば、途端に『神核』から闇色の触手が幾本も放たれる。
「今更、こんなので止まるかぁぁぁ!!」
叫びながら目にも留まらぬ速度で神剣を振るえば、あっという間に触手は霧散した。
ならばとばかりに『神核』の表面に魔力が集まり、強烈な魔力の閃光が放たれるも、かざした神剣がそれを切り裂いていく。
「これで、終われぇぇぇぇ!!」
『原初の混沌』の最後の抵抗も掻い潜り、『神核』へと肉薄したユーリィが、ついに神剣を突き立てた。
刃は、思ったよりもあっさりと結晶の中へと吸い込まれるように突き刺さる。
そうすれば、途端に力強く震える神剣。
まさに、今、この時のために。
本懐を遂げんとその力を振り絞った神剣は、目が焼けそうになるほどの強烈な光と共に、その神力を注ぎ込む。
それは、一瞬だったかも知れない。あるいは、数分だったかも知れない。
いずれにせよ、強烈な光が収まった後。
パリン、と小さな音を立てて、『神核』は砕け散った。




