捕まえられたのは
どれくらい時間が経っただろうか。
私の腕の中でぐすぐすと声を押し殺していたナスティさんが、ふぅ、と大きく息を吐き出した。
どうにか落ち着いてくれたかな? と私もほっと吐息を零す。
けれど、それからナスティさんは、身じろぎもせずに大人しく私の腕の中にいた。
え~っと。これは、どういう状況なんだ? なんでナスティさんは動かないの?
この状況、私はどうしたらいいんだろう……。
そんなことをぐるぐると私が考えていたら、クスクスとナスティさんが笑い出した。
……良かった、さっきまでの、どこか投げやりな笑い方じゃない。
なんて、安心するのはまだ早かった。むしろ、安心してはいけなかった。
「あ~あ……結局、タラされてもうた。
どないしてくれますのん、アーシャせんせ」
楽しげに、そして意地悪な色を滲ませて、ナスティさんがそう問いかけてくる。
うん、いつものナスティさんに近いな、とか安心したのもつかの間だった。
「……え。た、タラされ、た……?」
ナスティさんの台詞に、私は思わず固まってしまう。
そういえば、言ってた。ナスティさんが逃走する直前に、タラされてまうとかなんとか。
え、ちょっとまって、あれ本気だったの!? いや、よく考えたら何か仕掛ける余裕とか全くなさそうだったね確かに!
……もしかして私、またやっちゃいました……?
私の内心の嵐をよそに、ナスティさんはどこか吹っ切れたような声で笑っている。
「なんですのん、ま~た無自覚にタラさはったん?
あきまへんえ、そないなことばっかりしとったら」
「え、あ、す、すみません……?」
窘めるような声で叱られて、私はよくわからないけど謝ってしまった。
……いや、謝ること、なのかな……?
い、一応私、わざとじゃないんだよ!?
……わかってます、過失だって犯罪だってことはわかってます。
なんでだ、なんでこうなった!?
「すみませんとか言うて、どこがあかんかったとかわかってへんのでしょ?
そないなことやと、ま~た同じ事しはるんちゃうん?」
「え、えっと、はあ、それはまったくごもっともで」
ナスティさんの指摘に、私は頷くことしかできない。
正直なところ、どこでどうしてナスティさんをタラしてしまったのか、私は理解できていない。
でも多分、ナスティさんには何か決め手になることがあったんだろうな……。
それを無自覚にしてしまっている辺り、私も大概である。第三者的に考えたら。
でもでも、タラすつもりなかったんだから、わかりようがないと思うんだけどな!
そんな私の反応を楽しげに聞いていたナスティさんは、ふぅ、と小さく吐息を零した。
「ほんま、人のことばっか考えて……薬師の人ってみんなそないなんかな。
や、お人好しぶりいうか、首のツッコミ方はせんせの方が上かもやけど」
「多分褒められていないだろうことはわかりますが……ディアさんもやっぱり、お人好しだったんですか?」
この表現が適切かはわからなかったけど、私は敢えてそんな聞き方をした。
何となく、なんだけど。ナスティさんからしてみれば、お人好しなのが好ましいように聞こえたから。
「せやねぇ……お人好しはお人好しでしたわ。いっつも誰かの心配して、何くれとなく世話して……自分のことは後回し。
心配せんでええです言うても心配しはる、そんな人でしたわ」
答えてくれる声は、いつもよりも柔らかかった。
昔を懐かしんで、愛しんで……失われたそれを、しみじみと。
私が口を挟むことも憚られるくらい、それはナスティさんにとって大事な記憶なんだろうな、というのが伝わってきた。
「そうなんですね……確かに、薬師はお人好しが多いかな、とは思いますけど」
「この島に来はった薬師の人も、大概お人好しみたいですしねぇ。
そんなんでようやってこれたなぁって感心もしますけど。せんせはそれに輪を掛けて、ですわ」
「へ? わ、私、それ以上ですか?」
思わず、ちょっと声が変に裏返ってしまった。
いや、私そんなに言われるほどお人好しじゃないと思うんだけどなぁ……。
「そらそうですやろ。
例えばキーラはん。読み書きできるんやから、受付として使うだけでも良かったのに、あんなに開花させてもうて。
ドミナス様もやし、ノーラはんもせんせと知りおうてから活き活きしとるし。
どうせ、ゲルダはんにドロテアはんにも、色々してはるんやろ?」
「……え~っと。……それは、否定、できない、かなぁ……?」
確かに、キーラの『脱水』を活かしに活かしまくったのは私だ。
ドミナス様が自由に振る舞えるように画策したのも私だ。
新しいものを作る喜びをノーラさんに味わってもらったのも、私がきっかけのものが多い。
ゲルダさんは私と絡むうちに、風竜王になってしまった。
ドロテアさんは、最初に会った頃に比べて、すごく優しく笑うようになったと思う。
……それらを、全部私の手柄だと言うつもりはないけども。
全く関わりが無い、とも、当然言えない。
私が反論できないで居ると、もぞり、ナスティさんが私の胸元で、顔を上げた。
にんまり、それはもう悪戯で、得意げな笑みで。
「ですやろ? 流石のディアはんも、ここまではしてへんかったですわぁ。
先生はお人好しな上に、お節介。それも、とことんまで踏み込んでくるお節介」
「いっ、お節介、でした? 余計なことしてたんだったら……」
思わず謝ろうとした私の口元を、ちょん、とナスティさんが人差し指で押さえた。
突然そんなことされて、私はびっくりして固まってしまう。
「余計、やのうて。そんなお節介さんやから、うちも絆されてもうたんです。
これが全部下心なしの天然なんやから、ほんに罪なお人やわぁ」
楽しげに、ちょっとだけ拗ねたように。そんな笑みを見せた後、ナスティさんは人差し指を自分の唇に当てた。
ついさっき、私の唇に触れたそれを。
「えっ、ちょっ、ナスティさん!?」
「んふっ、せやから言うたやないですか、タラされてもうた、って。
ほんに、どないしてくれるんやろか、せんせは」
「え、どない、って、どないもこないも……」
え、どうしよう。
そんな言葉ばかりが私の脳内を駆け巡る。
私としては急転直下、よもやの事態に頭がついて行っていない。
間違いないのは、私がまたやらかした、ということだけだ。
「ま、ええですわ。せんせのことやから、無責任なことだけはせぇへんやろし、ね?」
するり、私の腕から抜け出したナスティさんは、それはもう得意げな、満足げな笑みを見せてくる。
こんな笑顔を見せられて、逃げることなどできるだろうか。いや、できない。
「せ、責任の取り方に関しましては、しばし検討するお時間をいただきたく……」
「あはは、そらまぁ、キーラはん始め、奥さん達との話もあるやろし、ねぇ。
まあ、そない強ばらんと。こう見えて、うちは待ってるの苦手やないし、ね」
そう言って、ナスティさんが笑う。
……多分、こう言ったら私が気にしないわけがない、とわかって言ってる。
その顔を見れば、わかる。めっちゃ挑発的な顔してるんだもの。
でもまあ、それでナスティさんの気持ちが軽くなるなら安い物だ。
……いや、この後のことを考えると、気が重くなるけどさ……。
「ああ、すっかり日が傾いてきてもうた。せんせ、そろそろ帰りましょ。
……こないなところまで探しに来てくれて、ありがと」
にっこりとした笑顔を見せながらナスティさんは立ち上がり……最後にぽつりと、小さく呟く。
その言葉に、私は思わず胸元を押さえた。
ずるい。こんなタイミングでいきなり素直になるのはずるいと思うんだ!
あ~……これは、本格的にまずい。白装束を用意しておく必要があるかも知れない……。
そんなことを思いながら、私も立ち上がろうとして。
「……あれ?」
足に力が入らず、ぺしょ、と尻餅をついてしまった。
そんな私を不思議そうに覗き込んでくるナスティさん。
「あら? アーシャせんせ、どないしたん?」
「え、ど、どないしたん、って……あ」
私はふと思い至って、思わず間抜けな声が出た。
この王都シュツラムブルグは主要部だけでも5km四方、最大10km四方の大きな街だ。
その街の比較的端の方にある、しかも小高いところにある墓場まで、全力疾走してきたのだ。足にこないわけがない。
ナスティさんを見つけた時は精神的に高揚してたから気付かなかったけど、私の足はとっくに限界に来てたのだ。
「なんやせんせ、ちょっと走ったくらいでそれって、しょうのない」
「い、いやっ、人間だとこれくらい割と普通だと思うんですけどもっ!」
むしろ頑張った方だと思うんだけどな!
そう主張するも、ナスティさんははいはい、とスルー気味である。解せぬ。
「ほな、そういうことにしときましょ。
しゃあないし、うちが肩貸しますよって」
「うう、すみません、お手数をおかけします……」
謝りながら私はナスティさんの手を借り、そして肩を借りた。
うう、我ながらかっこつかないなぁ……。
しょんぼりしながら、ナスティさんに支えられつつ街へと向かって歩く。
「……ほんに、しょうのない人」
大事そうにぽつりと呟かれた言葉を、歩くのに必死だった私は聞き逃していた。




