夜の一幕
※今回、三人称視点になります。
その夜。キルシュバウム、とある貴族の屋敷、その裏庭にて。
「旦那、また急なお呼びで」
「余計なことは言わんでいい。お前はこれを所定の場所に運べばいいだけだ」
「へいへい、あっしも余計なことに首を突っ込むつもりはござんせんよ」
つっけんどんな物言いの『旦那』に、情報屋の男はヘラヘラと愛想笑いを見せる。
『ああ、こいつは随分と機嫌が悪い。そのくせ、良いネタは掴んだらしい』
それなりの付き合いになっている彼の表情から、男は貴族の内心をおおよそ把握した。
情報を扱っている人間が重要視する情報の一つ。それが、『表情』だ。
顔の表情はもちろん、指先、足の組み方、なんなら肩の張り方まで。
人間の内心は、言葉にせずとも、存外身体の外に出てしまう。
彼のような仕事の人間であれば、特にその表情には敏感になってしまわざるを得ない。
気付かなければ次の瞬間には命がないかも知れない、そんな世界に生きているのだから。
向かい合う『旦那』とて、顔色一つで意味が変わる世界に生きているのだから、それくらいはわかりそうなものなのだが。
どうやら、彼の内心は読まれずに済んだらしい。
そんな彼の内心に、やはり気付いた様子も無く、『旦那』は話を続ける。
「今回は、特に気をつけろ。絶対に気取られるんじゃないぞ」
「……へい、そりゃ、あっしだって命は惜しいってもんですからね」
珍しい念の押しように、思わず下衆な勘ぐりをしたくもなったが、それを押し殺す。
好奇心猫を殺すとも言うが、まして相手は貴族様。
猫ほどの身軽さも無い身でそれは、自殺行為もいいところだろう。
彼の返答に少しだけ機嫌を直したらしい貴族が、鷹揚に頷いて見せた。
とはいえ、まだ直りきってはいない、ということも見て取れたのだが。
そこを突いても仕方が無い、と、示された手紙を手に取った。
一見粗末な羊皮紙に見えて、その実堅牢な作りになっている封筒。
施されている特殊な封蝋は、この業界が長い彼ですら偽造をためらわれる物。
少なくとも、リスクにリターンが見合わないと断言できる代物だ。
であれば、余計なことを考えずに言われたとおりにこなすのが無難だろう。
「他にご用命はよござんすね?
そんじゃ、あっしはこれにて失礼」
封筒を受け取ると、すす、と静かに退出していく。
彼相手に長居など、百害あって一利なし。そのことは、良く知っていた。
夜、ろくな明かりのない裏庭は、闇に閉ざされたも同然。
中でも特に濃い闇を選んで潜り込むように伝い、去って行く。
「ふん、相変わらずすばしっこい奴だ」
その様子を、依頼主である『旦那』、キルシュバウム貴族はろくな感慨もなく見送った。
それが、どれだけの技術であるかも理解すること無く。
「確実に届けろよ。そのネタは、それだけ重要だ」
あるのは、その行為の成否のみ。
ひいては、自身の利益のことのみしか頭になかった。
情報屋の彼は、闇の中を滑るように走って行く。
まるで闇の中を見通すように。足音を立てることもなく。
やがて辿り着いたのは、いつもの裏路地。
顔見知りの、ツナギと呼ばれる連絡員に落ち合えば、念のため符丁を確認してから封筒を渡す。
「何やら、妙にざわざわしてるな?」
「ああ、変わった客人が来たとかなんとか。
変に首を突っ込まねぇのが、賢い立ち回りってもんさね」
ツナギからの問いかけに、情報屋は肩を竦めて答える。
世の中には、首を突っ込んだ方が美味しいネタと、突っ込んだら首を絞めるネタのどちらかしかない。
そしてこれは、深く突っ込んではいけないネタだ、と彼は感じていた。
だから、あくまでも情報を流すだけに徹して、それ以上は探らない、と決めている。
「あんたがそう言うってことは、こいつぁやべぇネタってことだな」
「『旦那』が変な念押しするくらいだ、相当に。
その分、金は弾んでもらいやしたがね」
ツナギへと、彼の取り分を渡す。それは、いつもの倍はあろうかという重みだった。
「なるほど、あの『旦那』がこんだけ出すってことは相当だ」
「ざんしょ? ってことで、あっしはさっさと消えるんで、おたくも気をつけて」
「ああ、お互いに、な」
そう言い合って、互いに音も無く離れる。
互いの身のこなしから、ただならぬ相手だとわかっている。
だからこそネタも、その行く先もある意味大丈夫だ、とも。
その相手に渡し終えたのだ、これで一仕事終わり、後は酒でもかっくらって……。
しばし走って、そんなことを思った瞬間だった。
「うおっ!?」
突如右足に走る痛みに、バランスを崩して地面へと突っ伏す。
何が起こった、よりも先に、逃げねば、と脳裏に走る。
地面を突き飛ばすようにして立ち上がろうとする、が。
「堪忍え」
不意に、聞き慣れない少女の声が聞こえた。
柔らかくも軽やかで、どこか甘くさえある声。
なぜそんな声が、と思う間もなく。
ざくり、と彼の首筋に鋭い痛みが走る。
途端、地面に付いた腕から力が抜け、くにゃりと倒れ伏した。
何だ。誰だ。
そんな誰何の声を上げようとするも、言葉が出ない。
急速に失われていく力と、体温。
ああ、しくじったか、と妙に冷静な頭でそう考える。
せめて、どんな奴が、と思って目を動かすも、気配はあれど姿は見えない。
それもそうか、と妙に納得したような感情が沸いてくる。
自分を狙って仕留めるような奴だ、簡単に見つかるような場所に居はすまい。
納得すれば、少し愉快にもなった。
やはり、自分はそれなりだったのだ。良くも悪くも。
それが、彼の最期の思考だった。
「中々、はしっこいお人やったわぁ」
男を仕留めた少女……に見える存在は、小さく呟く。
僅かに差し込む月明かりに浮かぶ影。
小柄な、少女としか言えないその姿は、しかし人一人を殺害した現場に、妙に馴染んでいた。
「ナスティの姉御、あっちの方も終わりましたよ」
「ああ、おつかれさんやねぇ。あっちも中々やったけども」
『後片付け』をしているところにやってきた、グラスランナーの女性に労いの言葉をかけながら。
回収された手紙を渡され、その封を切る。
さっとその文面に目を通して、ふぅ、とため息を一つ。
「ほんに、お偉いさんやのにアホなこと考えるんは、どこにでもおるんやねぇ」
その中身は、隣国へと今日の会談の内容をリークするものだった。
そんなことをしても、当然キルシュバウムのためにはならない、のだが。
だからこそ、得られる利益もあるのだろう。
それは酷くハイリスクな賭けなのだが……往々にして、自分だけは大丈夫だ、と思うものだ。
その結果が、これなのだが。
「そんじゃ、後は手はず通りに?」
「せやね、それで大丈夫やろ」
死体の処分、手紙の処遇。それらは事前に打ち合わせていた。
こくり、とうなずいたグラスランナーの女性は、ふと王城の方を見やり、小さくため息を吐く。
「あら、どないしたん?」
「いえね、あたしらがこうして夜中駆け回ってるのに、アーシャ先生達はお城でご馳走かぁ、なんて思いましてね」
「あはは、せやね、気持ちはわかるけども」
愚痴るような言葉に、ナスティも笑って応じる、けれども。
「せやけど、随分と美味しなさそうな顔してはったえ。
まあ、お貴族様に囲まれてのお食事やなんて、どんな味がするかわかったもんやないしねぇ」
「あ~、それもそうですねぇ……あっちはあっちで、か」
そう言われて、納得したように頷くも。不意にまた顔を曇らせる。
「でも、こうしてるのを知られてないってのも、ちょっと釈然としないものがありますねぇ」
「それもわかるんやけどねぇ。変に知られて、アーシャせんせとかの態度に出てもあかんし。
アーシャせんせもノーラはんも、頭はよう回るんやけど……根本的にお人好しやからねぇ」
「なるほど、こういうのは確かに不得意そうです」
「せやろ?」
うんうん、と頷かれて、ナスティも頷き返す。
ナスティ達は、渡ってきた船の船倉に隠れてこっそりと同行していた。
恐らく、他国と通じる者もいる。あるいはアーシャ達に対して裏で手を回そうとする者もいる。
そうシュツラウムが読んでのことだ。
まだ正式な国交がなされていない他国での活動、秘密裏で動いてもらわざるを得ないのもまた事実。
やっと納得したらしい女性が、今度は不思議そうな顔を見せた。
「でも、姉御もよくこんな仕事受けましたね?」
「そらまあ、ほんとは面倒やったけどねぇ。
陛下にあないな顔で頼まれたら、いやとは言えへんやろ」
そう答える脳裏に、あの時のシュツラウムの顔が浮かぶ。
「……こないなことを、あないな、泣きそうな顔で苦しそうに頼む王様、初めてやったしなぁ」
それは、汚れ仕事を頼むことに苦痛を感じて、ではない。
ナスティ達に、汚れ仕事をさせてしまう、そのことに苦痛を感じていた。
何しろ、魔族の部隊を動かすわけにはいかない。
となれば、こういった『仕事』に向いているのは、グラスランナーである彼女たちが一番ではある。
だが、その手を汚してくれ、などと頼むことは、シュツラウムには辛かったようだ。
だからこそ、ナスティ達はこの防諜活動を請け負ったのだけれど。
「ほんと、ですよねぇ。あんな王様ばっかりだったらいいのに」
「ほならいっそ、魔王様に世界征服でも頼もか?」
「それも悪くないって思いますけど、絶対魔王様嫌がるでしょ」
「せやね、もっともやわ」
お互いにそう言い合い、笑い合う。
汚れ仕事には慣れている。もっと酷い仕事だっていくらでもあった。
今は、幾分か、いや、大分ましだ。だから、こうして笑っていられる。
お互いに似たような人生を送ってきたからこそ、痛いほどによくわかった。
「んじゃ、あたしは向こうの片付けに戻りますね」
「ええ、あんじょう頼みますえ」
言葉を交わし、去って行く彼女を見送って。
ナスティもまた、現場の処理を終える。
ふぅ、と一つ小さな吐息をこぼして。ふと、自分の手に目を落とした。
「知られたら、あかんやん。もう、うちの手を握ってくれへんかもやし」
夜の闇の中、血の一滴も付かないほど鮮やかに処理した、というのに。
ナスティの目に、その手は随分と汚れているように見えていた。
後に、この夜の手紙が切っ掛けで幾人かの貴族が処分されるのだが、それはまた別の話である。




