Scene:13 裏切りの凶刃(2)
「……!」
背中に激痛を感じたが、伽魅琉は、気を失うことなく、歯を食いしばり、立ち上がろうともがいた。
「あと五分後からデータ書き換え作業が始まります。時間までにログアウトされなくとも強制的にログアウトされますが、プレイヤーのデータが破損する恐れがあります。プレイヤーの皆さんは安全のため、事前にログアウトされるようにお願いします」
ゲームのアナウンス音声が流れた。
「あと五分だって。それだけあれば、データも揃うでしょ?」
「そうだね。もう、ログアウトしても良いかな?」
「訊いてみようよ」
小夏と小梅は、床に倒れたままの紗魅琉と伽魅琉には、もはや興味は無いように、紗魅琉達に背を向けるようにして、音声メールを作成しているようだった。
二人が背中を向けている間に、伽魅琉は、ふと痛みを感じなくなった。
それに併せて、体が軽くなった気がした。
小夏達に気づかれないように右腕を微かに動かしてみると、何の不自由なく腕が動いた。
小夏と小梅が、伽魅琉に向けて完全に背を見せた瞬間、伽魅琉は勢いを付けて立ち上がり、小梅に突進すると、その背中を容赦なく切り捨てた。
悲鳴を上げて倒れた小梅を放っておいて、伽魅琉は、小夏に斬り掛かったが、小夏は素早く刀を抜いて、伽魅琉の刀を受け止めた。
伽魅琉は、刀を払って、一旦、間合いを取ると、小夏のステータス画面を開いてみた。
小夏の武力は、それまでの六十八から、何と百五十になっていた。
「どうやって武力を上げた? しかも百五十などと?」
「さあね。それより、どうして立ち上がることができたの? それに痛みは?」
「私が直しました」
小夏と伽魅琉が声をした方を見ると、紗魅琉が立っていた。
「紗魅琉! 無事か?」
「はい。私の痛みも消し去りました」
「痛みを消し去った?」
伽魅琉が不思議そうな顔をして紗魅琉を見たが、紗魅琉は、表情を変えることなく、つかつかと小夏に近づいていった。
「最初から、こんなチートが含まれていたんですね。でも、私がプログラムを変えました」
紗魅琉が右手を小夏に向け突き出すと、突然、小夏が床に這いつくばった。
「そ、そんな馬鹿な!」
小夏はうつぶせのまま、体を動かそうともがいたが、立ち上がることはできなかったようだ。
「小夏さん、どうして、こんなことをしたのですか?」
紗魅琉が這いつくばっている小夏を見下ろしながら訊いた。
「し、知らない!」
「知らないはずがありません! 言えないのでしょう?」
「ああ! そうだよ! 言える訳ないだろ?」
「リアルのお二人の身体は誰かに見張られていて、本当をことを少しでも話すと、現実の体の息の根を止められるような状況なのでしょうか?」
「ど、どうして、それを?」
「図星ですか?」
紗魅琉は、小夏が右手に握ったままの刀を取り上げると、おもむろに這いつくばったままの小夏の背中に突き刺した。
「きゃああああ!」
「痛いでしょ? 私だけならまだしも、私が大好きな伽魅琉にも、こんな痛みを与えたあなたへの罰です!」
「紗魅琉! 私のことはもう良い!」
「もう一分もすれば、強制ログアウトが始まります。少しは、お灸をすえないとです」
「ただいまよりゲームデータ書き換え作業を行います。現在、ログインしているプレイヤーも強制的にログアウトされます」
ゲームのアナウンス音声が響くと、倒れていた小梅と小夏の体が小さな光の点で包まれるようになると、その光の粒がまき散らされるようにされながら消えていってしまった。
紗魅琉と伽魅琉の体も同じようにきらめき始めた。目の前が光の粒に覆われて、眩しく感じられるようになると、一瞬の暗闇を挟んで、二人はキャミルの部屋に戻っていた。
「帰ったのか? 現実の世界へ」
ヘッドバンドを外しながら、キャミルは、隣に座っているシャミルに話しかけた。
「はい。帰ることができました」
「……シャミル。体調はどうだ?」
「さっきまで感じていた苦痛が何となく体にまとわりついているような感覚ですけど、おそらく精神的なもので、身体的には何もなっていないと思います」
「そうだな。……しかし、いったい何がどうしたんだ?」
「どうしたんでしょうね」
シャミルが笑いながら立ち上がると、キッチンまで歩いて行き、勝手に冷蔵庫を開けた。
キャミルが部屋の時計を見ると、ゲームを始めてから、八時間が経っていた。
「少しお腹が空きました。キャミル、何かないですか?」
「シャミルと一緒に買いに行こうと思って、買い置きはしてなかったんだ」
「それじゃあ、食料を買いに行きましょうか? ずっとソファに座っていたから、何だか体が固まってるような気がしますし」
「そうだな。長時間のゲームが体に良いはずはないな。近くに小さなスーパーマーケットがあるから、歩いて行こうか?」
「はい」
シャミルとキャミルは外に出た。
明るい日差しが燦々と照りつけていたが、風が涼しく感じられる気持ちが良い午前だった。
辺り一面が軍職員の宿舎で、公園のような広場では、小さな子供を連れた親子連れや若者のグループが思い思いの遊びに興じていた。
「はあ~、やっぱり、現実の世界が良いです」
シャミルが胸を張って深呼吸をした。
「そうだな。……それで、シャミル。さっきの続きなんだが」
「はい?」
「『私がプログラムを変えた』みたいなことを言っていたが、あれは、どう言う意味だったんだ?」
「キャミルが急に動けなくなったでしょ? あれは、私達のアバターを動かすためのプログラムが無効にされたからなんです」
「ゲームプログラムを走らせながら、そんなことができるのか?」
「そんなプログラムをあらかじめ仕込んでいたのでしょう。スイッチ一つで、私とキャミルのアバターが動けなくなるようにしてたのです」
「じゃあ、動けるようになったのは、シャミルがプログラムを書き換えたからだと? どうやって、そんなことができたんだ?」
「実は、よく分からないのですが、刺された痛みに耐えていると、頭の中にプログラム配列が見えてきたんです」
「はあ? どうして?」
「私に訊かれても分かりませんよ。でも、私もコンピュータプログラムは少しかじってますから、頭に浮かんだプログラムの中に、指定するアバターの動きを司るプログラムを無効とするサブルーチンが追加されていたことが分かったので、それを削除するように、頭の中で念じたら、その記述が消えたんです」
「小夏さんには、その反対をしたのか?」
「ええ。その時に、小夏さんがゲームに入る前に見ていたと思われる光景がぼんやりと見えたんです。顔までは分かりませんでしたが、男性から銃を突きつけられていました」
「小夏さんや小梅さんは、それでやむなく私達を襲ってきたということか?」
「いえ、あの二人の身のこなしは、とても素人とも思えません。ちゃんと訓練を積んだ人のような気がしました」
「初めから私達を襲うつもりだったということか?」
「そうかもしれませんね」
「何てことだ! ……レンドル大佐だな。こんなことをするのは?」
「まあ、どう考えても一番怪しいですよね」
「でも、何のために?」
「小夏さんが『データ』という言葉を使ったのです。私達に痛みを与えて、負荷を掛けた状態で、何かの検査をしたかったのかもしれませんね」
「私達を検査?」
「あのヘッドバンドを詳しく調べてみましょう。おそらく、ゲームデータのやり取りだけじゃなくて、私達の身体データも送信していたのではないでしょうか?」
「くそっ! 今度、レンドル大佐に会ったら、今日のことを問い質してやる!」
「どうせ、いつものおとぼけですよ」
「悔しいが、そんな気はするな」
シャミルとキャミルがスーパーマーケットに着くと、その入口の所で、大きな紙袋を抱えた丸顔の男性と、その母親らしき二人連れとすれ違った。
「ソーマ! ちゃんと歩きなさい!」
「勘弁してえな。こっちは、ずっとゲームしてて、体がボロボロなんやから」
「三日間も食事もせずにゲームするなんて! ちょうど、お母さんが様子を見に来たから良かったものを! もう、ゲームは禁止! しばらく、お母さんはこっちにいるから、罰として、これから毎日、お母さんの買い出しに荷物持ちとしてついてきなさい!」
「ひええ~」
シャミルは立ち止まり、振り向いて、駐車場に止めていたエアカーの助手席に乗り込む男性の後ろ姿を見つめた。
「どうした、シャミル?」
キャミルも立ち止まって、シャミルの視線の先を追った。
「あっ、いえ。……大店の旦那様も色々と大変だなって思って」
「へっ?」
「ふふふふ、何でもありません。キャミル、今日は、お味噌汁を作ってみましょうか?」




