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【完結済】感情を知らぬ王女と、彼女を愛しすぎた魔導師  作者: ゆにみ
王女の場合

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8/21

広がる世界と閉じた世界

 ルークがいない日、私はいつの間にか外を眺める時間が増えていた。



 窓の向こうには、季節の花々が色とりどりに咲いている。図鑑を片手に、それらの名前を一つひとつ調べるのが最近の楽しみだった。

 知らないことを知るたび、少しずつ、自分の世界が広がっていくような――そんな不思議な感覚に胸が弾む。



 今日も窓辺に立ち、外を見つめた。

 空は澄み渡るように晴れていて、ガラス越しにもあたたかな光が差し込んでくる。



 (……直接、光に触れたらどんな感じなのかな?)



 ふと、そんな考えが胸の奥に浮かんだ。



 ルークは、私が一人でも安全に過ごせるようにと、この屋敷全体に強力な結界を張ってくれている。


 「中には誰も入れない。だから安心して過ごしていい」――そう、優しく言っていた。



 (……結界があるから、大丈夫だよね)



 ほんの少しだけなら――。

 そう思い、そっと窓に手をかける。


 ギィ、と小さな音を立てて窓を開けると、やわらかな風が頬を撫で、あたたかな光が私の身体を包み込んだ。



 (……きもちいい)



 胸の奥に、じんわりとした温もりが広がる。

 こんな感覚、初めてだった。

 知らなかったことが、まだこんなにもあるのだと実感するたび、胸が少しだけ高鳴る。



 ――そのとき、ふいに目の前に影が差した。



 「わっ!」



 驚いて思わず一歩下がる。

 視線を窓の外に向けると、そこには白い毛に金の瞳、ふわふわの耳を持つ小さな生き物がいた。



 (……あれ、本で見た……ねこ!)



 「にゃー」


 小さな鳴き声に、胸の鼓動が跳ねる。



 (……かわいい……!)


 恐る恐る手を伸ばし、猫の背中にそっと触れる。

 猫は逃げることなく、窓辺にちょこんと座って、ゴロゴロと喉を鳴らした。



 「ふふ……かわいいな」


 心が弾むように踊った。

 そうだ、ごはん……! 何かあげてみよう――。


 私はキッチンに駆け込み、干し肉をひとつ取り出すと、猫の前に差し出した。

 猫はぺろりとそれを平らげ、満足そうに尻尾を揺らすと、ひょいっと身を翻して去っていった。



 ――その日を境に、晴れた日には毎日のように猫が窓辺に顔を出すようになった。

 私はそのたびにごはんを分け与え、猫との小さな交流が密かな楽しみになっていく。



 猫には名前もつけた。白いから“ブラン”。

 呼ぶと「にゃー」と返事をしてくれるのが、なんだか嬉しかった。



 ――そんなある日のこと。

 食事の席で、ルークがふと首を傾げた。



 「なぁ、リシェル。……ごはん、足りてるか?」


 「え? うん。ちゃんと、用意してもらったものだけ食べてるよ?」


 「……そうか」



 少しだけ間を置いたあと、ルークは何かを考えるように視線を落とした。その表情の意味は、そのときの私にはまだわからなかった。



 そして数日後。いつものようにブランが窓辺に姿を見せた。



 「ブラン! 今、開けるね!」


 

 いつものように窓を開けようとした――けれど。



 「あれ……? 開かない……?」



 鍵は開いているのに、何かに阻まれるように窓はびくともしなかった。



 (これ、魔法……?)



 もしかして、ルークが......?


 

 「......ごめんね。開かないみたい」



 伝わったのか、ブランはこてんと首を傾げたあと、静かに去っていった。

 部屋に残った静けさが、妙に重く響く。



 (ルークが帰ってきたら......聞いてみよう)




 ***




 夕暮れ。ルークが仕事から戻ってきた。

 私はそっと裾を摘んで、彼の名を呼ぶ。



 「ねぇ、ルーク」


 

 優しい声で「なんだ?」と返され、少し安心する。

 けれど、次の言葉で空気が一変した。



 「あのね、今日......窓が開かなくて。どうしてかなって思って」



 その瞬間、ルークの表情から音もなく感情が抜け落ちた。



 「......やっぱり、誰かと会っていたのか?」


 「え? 誰かって、私はただ、ブランと――」


 「は? ブラン......?誰だ、そいつは」


 

 低く荒い声。聞いたことのない響きに、喉が詰まる。

 どうしてそんなに怒っているのかわからなくて、戸惑いが募る。


 「ええっと、ルーク……? なんで、そんなに怒って――」

 

 「リシェル。外は危険なんだ。俺がいない間は、窓を開けるのも禁止だ」


 「でも、ルークの結界が守ってくれるじゃ――」


 「いいから」



 命令のような口調。

 胸の奥に小さな痛みが走る。それでも、それ以上は何も言えなかった。


 ――嫌われたくなかった。

 嫌われて、帰ってこなくなったら……それが一番怖い。



 「……わかった」


 「うん。いい子だ」



 ルークはしゃがみ込み、私の頭を優しく撫でた。

 穏やかな笑み――けれど、それはどこか張り付いたような笑みだった。


 その違和感を悟った瞬間、私は思わずルークに抱きついていた。



 「リシェル。いい子にしてるね」


 「......ああ」



 優しい声音だった。けれど、その奥には冷たい色が潜んでいた。

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