広がる世界と閉じた世界
ルークがいない日、私はいつの間にか外を眺める時間が増えていた。
窓の向こうには、季節の花々が色とりどりに咲いている。図鑑を片手に、それらの名前を一つひとつ調べるのが最近の楽しみだった。
知らないことを知るたび、少しずつ、自分の世界が広がっていくような――そんな不思議な感覚に胸が弾む。
今日も窓辺に立ち、外を見つめた。
空は澄み渡るように晴れていて、ガラス越しにもあたたかな光が差し込んでくる。
(……直接、光に触れたらどんな感じなのかな?)
ふと、そんな考えが胸の奥に浮かんだ。
ルークは、私が一人でも安全に過ごせるようにと、この屋敷全体に強力な結界を張ってくれている。
「中には誰も入れない。だから安心して過ごしていい」――そう、優しく言っていた。
(……結界があるから、大丈夫だよね)
ほんの少しだけなら――。
そう思い、そっと窓に手をかける。
ギィ、と小さな音を立てて窓を開けると、やわらかな風が頬を撫で、あたたかな光が私の身体を包み込んだ。
(……きもちいい)
胸の奥に、じんわりとした温もりが広がる。
こんな感覚、初めてだった。
知らなかったことが、まだこんなにもあるのだと実感するたび、胸が少しだけ高鳴る。
――そのとき、ふいに目の前に影が差した。
「わっ!」
驚いて思わず一歩下がる。
視線を窓の外に向けると、そこには白い毛に金の瞳、ふわふわの耳を持つ小さな生き物がいた。
(……あれ、本で見た……ねこ!)
「にゃー」
小さな鳴き声に、胸の鼓動が跳ねる。
(……かわいい……!)
恐る恐る手を伸ばし、猫の背中にそっと触れる。
猫は逃げることなく、窓辺にちょこんと座って、ゴロゴロと喉を鳴らした。
「ふふ……かわいいな」
心が弾むように踊った。
そうだ、ごはん……! 何かあげてみよう――。
私はキッチンに駆け込み、干し肉をひとつ取り出すと、猫の前に差し出した。
猫はぺろりとそれを平らげ、満足そうに尻尾を揺らすと、ひょいっと身を翻して去っていった。
――その日を境に、晴れた日には毎日のように猫が窓辺に顔を出すようになった。
私はそのたびにごはんを分け与え、猫との小さな交流が密かな楽しみになっていく。
猫には名前もつけた。白いから“ブラン”。
呼ぶと「にゃー」と返事をしてくれるのが、なんだか嬉しかった。
――そんなある日のこと。
食事の席で、ルークがふと首を傾げた。
「なぁ、リシェル。……ごはん、足りてるか?」
「え? うん。ちゃんと、用意してもらったものだけ食べてるよ?」
「……そうか」
少しだけ間を置いたあと、ルークは何かを考えるように視線を落とした。その表情の意味は、そのときの私にはまだわからなかった。
そして数日後。いつものようにブランが窓辺に姿を見せた。
「ブラン! 今、開けるね!」
いつものように窓を開けようとした――けれど。
「あれ……? 開かない……?」
鍵は開いているのに、何かに阻まれるように窓はびくともしなかった。
(これ、魔法……?)
もしかして、ルークが......?
「......ごめんね。開かないみたい」
伝わったのか、ブランはこてんと首を傾げたあと、静かに去っていった。
部屋に残った静けさが、妙に重く響く。
(ルークが帰ってきたら......聞いてみよう)
***
夕暮れ。ルークが仕事から戻ってきた。
私はそっと裾を摘んで、彼の名を呼ぶ。
「ねぇ、ルーク」
優しい声で「なんだ?」と返され、少し安心する。
けれど、次の言葉で空気が一変した。
「あのね、今日......窓が開かなくて。どうしてかなって思って」
その瞬間、ルークの表情から音もなく感情が抜け落ちた。
「......やっぱり、誰かと会っていたのか?」
「え? 誰かって、私はただ、ブランと――」
「は? ブラン......?誰だ、そいつは」
低く荒い声。聞いたことのない響きに、喉が詰まる。
どうしてそんなに怒っているのかわからなくて、戸惑いが募る。
「ええっと、ルーク……? なんで、そんなに怒って――」
「リシェル。外は危険なんだ。俺がいない間は、窓を開けるのも禁止だ」
「でも、ルークの結界が守ってくれるじゃ――」
「いいから」
命令のような口調。
胸の奥に小さな痛みが走る。それでも、それ以上は何も言えなかった。
――嫌われたくなかった。
嫌われて、帰ってこなくなったら……それが一番怖い。
「……わかった」
「うん。いい子だ」
ルークはしゃがみ込み、私の頭を優しく撫でた。
穏やかな笑み――けれど、それはどこか張り付いたような笑みだった。
その違和感を悟った瞬間、私は思わずルークに抱きついていた。
「リシェル。いい子にしてるね」
「......ああ」
優しい声音だった。けれど、その奥には冷たい色が潜んでいた。
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