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第7話 空から落ちた災厄

王城の裏庭は、ひっくり返された玩具箱のような惨状だった。

無残にへし折られた植木。えぐれた芝生。そして中心に立ち込める、鼻を刺すようなオゾンの臭いと、焦げた布の匂い。

それは焚き火の煙とは違う。魔力が空気中の成分を強制的に分解した際に生じる、独特の金属的な刺激臭だ。


「……くっ、重い……」


土煙の中、ベルナデットが苦悶の声を漏らす。

彼女の白銀の鎧は泥まみれで、自慢のマントも裂けている。けれど、その腕はしっかりと「落下物」を守り抜いていた。


「ベル! 大丈夫!?」


私が駆け寄ると、彼女は顔を上げ、安堵と痛みが混じった表情で頷いた。


「レティ様……。ええ、鎧のおかげで骨は無事です。ただ、この『爆弾』が……」


彼女の腕の中で、黒い塊が身じろぎした。

だぼだぼのローブを目深に被った小柄な影。

それがガバッとはね起き、猫が威嚇するように周囲を見回す。


「……っ、離せ! 感電するぞ!」


少年のような、ハスキーな叫び声。

同時に、バチバチッという不快な音が響き、青白い火花が散った。

静電気ではない。制御を失った魔力の残滓が、放電現象を起こしているのだ。


「うわっ!?」


ベルが反射的に手を離す。

「少年」は芝生の上に転がり、ふらつく足取りで立ち上がった。

フードの下から覗くのは、煤で汚れた白い肌と、ギラギラと光る大きな瞳。その色は、魔力中毒特有の鮮やかなアメジスト色。


「くそっ、実験失敗か……。おい、ここはどこだ。騎士団の敷地か? チッ、一番相性の悪い連中のところに……」


「彼」は悪態をつきながら、怯えたように自身の体を抱きしめる。

その仕草を見て、私の脳髄が、高速で情報を解析し始めた。


推定身長一五五センチ。骨格は華奢。

喉仏の隆起は見られず、骨盤の形状は明らかに女性的。

そして何より、焦げ臭い匂いの奥底に隠された、甘酸っぱいベリー系の香油の香り。

これは魔力消しに使われる安価な香油だが、同時に「自身の体臭」を隠すためのものでもある。


(……なるほど。男装、ね)


彼女がなぜ性別を偽り、攻撃的な態度で武装しているのか。

それは周囲を見れば明らかだった。


「おい! なんだ今の爆発は!」

「魔術師塔の『厄介者』だ!」

「囲め! また暴走したぞ!」


バルコニーの騒ぎを聞きつけた衛兵たちが、槍を構えて殺到してくる。

彼らの目は「人間」を見ている目ではない。処理すべき「猛獣」を見る目だ。恐怖と、排除の論理に支配された冷たい眼差し。


「……っ、来るな! 吹き飛ばすぞ!」


「少年」が右手を突き出す。

掌に赤い魔法陣が明滅するが、その光は不安定で、今にも自壊しそうだ。

《《彼女》》の手が震えている。

恐怖で。孤独で。


「化け物が! 捕らえろ!」


衛兵の一人が槍を突き出す。

その切っ先が彼女のローブを切り裂こうとした――その瞬間。


「お待ちなさい」


私は扇を閉じ、凛とした声を響かせた。

戦場に似つかわしくない、夜会用の優雅なソプラノ。

その違和感に、衛兵たちの動きがピタリと止まる。


「ロ、ローゼンタール侯爵夫人……? 危険です、お下がりください!」

「危険? 何がかしら」


私はゆっくりと歩み寄る。

槍の穂先と、暴発寸前の魔法陣の間へ。

泥で汚れることも厭わず、深紅のドレスの裾を引きずって。


「どけ! あんたも黒焦げになりたいのか!」


「少年」が叫ぶ。

私は彼女の目の前、五十センチの距離で立ち止まり、微笑んだ。


「あら、元気な挨拶ね。空から降ってきたにしては、五体満足で何よりだわ」

「は……?」

「それに、綺麗な色。……貴女のその瞳、アメジストの宝石よりも透き通っていて素敵よ」


文脈を無視した称賛。

彼女がぽかんと口を開ける。

その隙に、私はポケットからハンカチを取り出し、彼女の煤けた頬をそっと拭った。


「……っ!?」


ビクリと彼女が身を竦める。

放電が私の指先を弾くが、私は構わずに触れ続けた。

ピリピリとした痛み。それは彼女が発している「寂しさ」の信号だ。


「触るなって言ってるだろ! 俺の魔力は不安定なんだ! あんたみたいなひ弱な貴族なんて、一瞬で消し炭に……」

「怖くないわ」


私は彼女の言葉を遮り、その細い手首を握った。


「……え?」

「手が、こんなに冷たいじゃない。……ずっと一人で、怖かったのでしょう?」


私の体温が、彼女の冷え切った皮膚に伝わる。

彼女の瞳が揺れた。

「俺は男だ」「俺は危険だ」という虚勢の鎧が、私の「理解」の前で音を立てて崩れていく。


「お、俺は……男だ……怖くなんか……」

「ええ、そうね。勇敢な男の子ね。……でも、今はただの『迷子』でしょう?」


私はベルに目配せをする。

私の意図を汲んだベルが、素早く衛兵たちの前に立ちはだかった。


「下がりなさい! この者は現在、ローゼンタール侯爵家の管理下にあります!」

「なっ、ベルナデット殿!? 何を勝手な!」

「聞こえなかったのか? レティ様が『拾う』と仰っているのだ。所有権は我が方にある!」


ベルの強引な論理展開。素晴らしいわ。

私は呆然とする「少年」の背中に手を回し、優しく抱き寄せた。


「さあ、行きましょう。うちには温かいお風呂と、美味しいお菓子があるわ」

「は、離せよ……! 俺は塔に戻らなきゃ……実験が……」

「あんな煙たい塔より、私の屋敷の方が実験には最適よ。……私が、貴女の『新しいスポンサー』になってあげる」


耳元で囁く。

「スポンサー」。研究資金と場所の提供。

魔術師にとって、これほど甘美な誘惑はない。


「……ほんと、か?」

「ええ。貴女のその有り余る才能、私が全額出資で買い取るわ」


彼女の体から、力が抜けた。

放電が収まり、代わりに甘えるような重みが私にかかる。

チョロい……いいえ、素直で才能豊かな原石だわ。


「待ってください! その魔術師を引き渡していただきたい!」


背後から、衛兵隊長が怒鳴る。

私は振り返り、優雅にカーテシー(膝礼)をして見せた。


「ごきげんよう、騎士様。この『落とし物』は、私が責任を持ってリサイクルさせていただきますわ。……王宮の庭を壊した修繕費は、後ほど請求書を回してくださいませ」


言うなり、私はマリアを呼んだ。

いつの間にか馬車を回していた有能なメイドが、扉を開けて待っている。


「どうぞ、奥様。……また随分と、手のかかりそうな『猫』を拾われましたね」

「ふふ、可愛いでしょ?」


私たちは泥だらけの魔術師を馬車に押し込み、呆気にとられる衛兵たちを残して、夜の闇へと走り去った。


車内で、魔術師の少女――男装のボク(俺?)っ娘――は、私の膝に顔を埋めて、泥のように眠ってしまった。

魔力の枯渇による気絶だ。

その寝顔は、あどけない少女そのもの。


「……さて。この子の泥を落として、中身を確認するのが楽しみね」


私は彼女のローブのフードを完全に下ろし、短く切りそろえられた髪を撫でた。

ベルが向かいの席で、複雑そうな顔をしている。


「……レティ様。その子、本当に危険なのでは?」

「ええ、知っているわ。……だからこそ、誰かが抱きしめてあげないと、爆発してしまうのよ」


爆発するのは火薬ではなく、孤独。

それを解体処理できるのは、水でも魔法でもなく、私の「甘やかし」だけ。


馬車はローゼンタール邸へと急ぐ。

今夜は長い夜になりそうだわ。


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