表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/64

第62回 / LA、虚飾の街



西海岸の太陽は、東海岸のそれとは別物だった。

ロサンゼルス、ハリウッド。

パームツリーが揺れる大通りには、突き抜けるような青空と、暴力的なまでの陽光が降り注いでいる。

しかし、その光景には奇妙な違和感があった。


「……誰も、景色を見ていませんわね」


私は『チャイニーズ・シアター』の前の広場で、日傘を回しながら呟いた。

観光客も、地元の人々も、全員が異様な姿勢で固まっている。

スマートフォンを掲げ、不自然な角度で顎を引き、口角をミリ単位で調整し、シャッターを切る。

そして直後に画面を睨みつけ、ため息をつき、またポーズを取り直す。


「ここは『街』ではありませんわ。……巨大な『撮影スタジオ』です」


「異常な空間磁場だね」

レンがスマートグラス越しに周囲をスキャンし、顔をしかめる。

「みんなの意識が『現実リアル』じゃなくて、『画面のバーチャル』に吸い込まれてる。……ほら、あそこのカフェ。誰も料理に手を付けてないよ」


レンが指差したオープンテラスのカフェ。

テーブルには、極彩色のスムージーや、過剰にデコレーションされたパンケーキが並んでいる。

しかし、客たちはそれを食べるのではなく、様々な角度から撮影し続けているだけだ。

アイスが溶け、クリームが崩れ始めても、彼らは気にしない。

「映える」写真を撮り終えた瞬間、その料理はただの「撮影済み小道具」へと成り下がっていた。


「……食べ物を粗末にするなんて、許せません」

マリアが静かに、しかし冷徹な怒りを滲ませる。

「あんな着色料だらけの料理……味覚も死んでいるのでしょうけれど」


「行きましょう。……この街の『フィルター』を、少しばかり剥がして差し上げなくては」


          ◇


私たちは、特に人だかりができている「ピンク色の壁」の前へと向かった。

そこは有名なインスタスポットらしく、長蛇の列ができている。

その最前列で、一人の少女がポーズを取っていた。


ジェシカ。金髪にブルーの瞳、完璧なメイクとスタイル。

彼女はこの街に星の数ほどいる「インフルエンサー」の一人だ。

彼女はスマホに向かって、弾けるような笑顔を作っていた。


「――Hi,みんな! 今日もLAは最高にハッピー! 私のライフスタイル、チェックしてね!」


カシャッ。カシャッ。

動画を撮り終えた瞬間、彼女の笑顔がスッと消えた。

能面のような真顔に戻り、血走った目で画面をタップし始める。


「……チッ、照明がダメね。肌のトーン上げなきゃ。……あ、フォロワーが減ってる。なんで? 昨日の投稿が地味すぎた?」


彼女は爪を噛み、苛立ちと不安を露わにする。

さっきまでの「ハッピーな少女」はどこにもいない。そこにいるのは、数字に追い詰められた孤独な作業員だった。


「ごきげんよう、お嬢さん」


私が声をかけると、ジェシカはビクリと肩を震わせ、反射的に「営業用スマイル」を貼り付けた。


「わぁ! こんにちは! ……えっと、一緒に写真撮る? タグ付けしてくれたらシェアするよ!」


「いいえ。……写真は結構ですわ」


私は彼女のスマホを覗き込んだ。

画面の中の彼女は、目が不自然に大きく、顎が尖り、肌は陶器のようにツルツルに加工されていた。

それは美しいかもしれないが、目の前にいる「彼女」とは別人のようだった。


「貴女、誰とお話ししているの?」


「え? ……フォロワーのみんなだよ。十万人いるの」


「そう。……でも、その十万人は、貴女の『どこ』を見ているのかしら?」


私は、彼女が加工修正している画面を指した。


「この加工されたピクセル? それとも、貴女自身?」


「……な、何よ。……みんなやってるわよ。可愛く見せなきゃ、誰も見てくれない。……『いいね!』がつかないと、私は透明人間と同じなの」


ジェシカの声が震える。

彼女は知っているのだ。フォロワーたちが愛しているのは、作り上げられた虚像であり、本当の自分ではないことを。

だからこそ、彼女は片時も「完璧な私」を演じることをやめられない。


「息苦しいでしょうね」


私は彼女の頬に触れようとした。

ジェシカが避ける。


「触らないで! ファンデが崩れる!」


「崩れればいいわ。……貴女のその完璧なメイクの下にある肌は、悲鳴を上げていますわよ」


「……うるさい! アンタに何がわかるのよ! ここはハリウッドよ! 見た目が全てなの! ブサイクは罪、地味は死刑! ……私はスターになるの! そのためなら……!」


彼女は叫び、再びスマホを構えた。

「フィルター……もっと強いフィルターをかけなきゃ……! もっと目を大きく……もっと足を細く……!」


彼女の指先は、自分自身を消滅させようとするかのように、画面上の自分を削り続けていた。


「レン」

私は短く呼んだ。


「了解。……ちょっと荒療治だけど、街ごと『スッピン』にしちゃうね」


レンが指を鳴らした。

『魔導ハッキング・強制現実回帰リアル・ロールバック』発動。


          ◇


ブツンッ。

周囲の人々のスマホから、異音が響いた。


「あれ? アプリが落ちた?」

「フィルターが……外れた?」

「うそ!? カメラが『ノーマルモード』で固定されてる!」


悲鳴が上がる。

彼らにとって、加工なしのカメラは、鏡よりも恐ろしい凶器だ。

画面に映し出されるのは、毛穴があり、シミがあり、少し疲れた顔をした「現実の自分」。


「いやぁぁぁ! こんなの私じゃない!」

「見ないで! 撮らないで!」

「ブサイクすぎる! こんなのアップできない!」


広場は阿鼻叫喚の地獄と化した。

人々は顔を隠し、逃げ惑う。まるで太陽の光を浴びた吸血鬼のように。

ジェシカもまた、自分のスマホを見て凍りついていた。


「……うそ……。クマが……シワが……。……終わった……。こんな顔……誰にも見せられない……」


彼女はスマホを落とし、その場に崩れ落ちた。

絶望。

彼女のアイデンティティである「完璧な私」が死んだ瞬間だった。


「……終わってなどいませんわ」


私は地面に落ちたスマホを拾い上げ、ジェシカの前にしゃがみ込んだ。


「見てご覧なさい」


「いや! 見たくない!」

「見なさい。……そこに映っているのは、お化けではなくてよ」


私はスマホの画面を、鏡のように彼女に向けた。

そこには、涙でマスカラが滲み、髪が乱れ、鼻の頭を赤くしたジェシカが映っていた。


「……ひどい顔……」


「そうかしら? 私には、さっきの作り物よりも、ずっと素敵に見えますけれど」


「はぁ? バカにしないでよ……!」


「バカになんてしていないわ」


私はハンカチを取り出し、彼女の滲んだアイラインを拭ってあげた。


「この目の下のクマ。……貴女が毎晩、動画編集を頑張った証拠でしょう?

少し荒れた肌。……ストレスと戦いながら、この街で生き抜いてきた勲章でしょう?」


私は彼女の素顔を、愛おしむように撫でた。


「傷も、疲れも、不完全さも。……それ全部含めて、『ジェシカ』という一人の人間じゃないの。

……完璧な人形なんて、ショーウィンドウの中にいくらでもいるわ。

でも、泣いて、怒って、必死に生きている貴女は……世界に一人しかいないのよ」


ジェシカの瞳が揺れる。

彼女はずっと否定してきた。弱い自分を、醜い自分を。

それを隠すために、厚いメイクとデジタルの鎧を纏ってきた。

でも、目の前のこの女性は、その「隠したかった部分」こそが美しいと言う。


「……本当に……? こんな私でも……価値があるの……?」


「ええ。……フォロワーの数なんて関係ない。貴女が貴女であるだけで、百点満点ですわ」


私はマリアに合図した。

マリアが差し出したのは、いつもの紅茶と、そして何の飾り気もない、素朴なパウンドケーキ。


「お食べなさい。……映えないけれど、とびきり美味しいわよ」


ジェシカは震える手でケーキを受け取り、口に運んだ。

クリームもフルーツも乗っていない、茶色い塊。

でも、噛み締めた瞬間、バターと卵の優しい風味が広がった。


「……おいしい……」

「でしょう?」

「……なんか……味がする……。久しぶりに……味がする……」


ジェシカは泣きながらケーキを頬張った。

口の周りに粉がついても、もう気にしない。


「……ねえ。写真、撮ってもいい?」


彼女はおずおずとスマホを手に取った。

フィルターなし。加工なし。

泣き腫らした目と、口いっぱいにケーキを詰め込んだ、少し間抜けで、でも最高に幸せそうな顔。


カシャッ。


彼女はその写真を、震える指でSNSにアップロードした。

キャプションは一言だけ。

『これが本当の私。……ケーキ、おいしい』


投稿ボタンを押した瞬間、彼女は息を吐き出した。

処刑台から降りたような安堵感。


数秒後。通知音が鳴った。

ピコン。ピコン。ピコン。


「……え?」


ジェシカが目を見開く。

通知が止まらない。


『ジェシカ、どうしたの? でも、なんかいい笑顔!』

『今までで一番かわいくない?』

『実は私も疲れてたんだ。その写真見てホッとした』

『リアルな君のほうが好きだよ』


いいねの数が、爆発的に伸びていく。

それは「憧れ」のいいねではなく、「共感」と「応援」のいいねだった。


「……うそ……。みんな……怒ってない……。……受け入れてくれてる……」


「人は、完璧なものには『憧れ』を抱くけれど、不完全なものには『愛』を抱くものよ」


私が言うと、ジェシカはスマホを抱きしめて、くしゃくしゃの笑顔で笑った。


「……ありがとう。……私、やっと息ができる気がする」


周囲の人々も、ジェシカの様子を見て、恐る恐るスマホを覗き込み始めた。

「……フィルターなしでも、案外いけるかも?」

「俺のシワ、渋くない?」

「このスムージー、溶けちゃったけど……飲んだらウマいじゃん!」


広場に、加工されていない「生身の笑顔」が戻り始めた。

誰かのためではない、自分のための笑顔。

虚飾の街のメッキが剥がれ、その下から、人間味あふれる素朴な地肌が見え始めた。


「……ふふ。少しは空気が美味しくなりましたわね」


私は日傘を差し直した。

ソフィアちゃんがタブレットを見ながら報告する。

「ジェシカさんの投稿をきっかけに、全米で『#NoFilterノーフィルター』タグがトレンド入りしましたわ。……LAの化粧品売上が下がり、スイーツの売上が上がっています」


「上出来ですわ」


私はハリウッド・サインのある山を見上げた。

この街には、まだまだ巨大な虚像スターたちがいる。

彼らもまた、重たい仮面の下で窒息しかけているはずだ。


「さあ、行きましょう。……次は、この国が誇る『スーパーヒーロー』の仮面を剥がしに」


虚構の都に、真実の鐘を鳴らす。

甘い革命は、スクリーンの向こう側へも手を伸ばす。

主役は完璧なヒーローじゃない。

弱くて、情けなくて、愛おしい、貴方たち一人一人なのだから。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ