第59回 / 1%対99%のティーパーティー
ニューヨーク、五番街。
世界の富の象徴であるこの大通りは今、かつてない緊張と憎悪の熱気に包まれていた。
「金持ちは豚だ! 俺たちの金を返せ!」
「強欲な1%を許すな!」
道路を埋め尽くすのは、数万人規模のデモ隊。
彼らはプラカードを掲げ、怒号を上げ、一部は火炎瓶を手にしている。彼らは「99%」――格差社会の底で喘ぐ、怒れる市民たちだ。
対して、高級ブティックや銀行を守るように展開しているのは、重装備の機動隊(SWAT)と、民間軍事会社の傭兵たち。
彼らの背後には、タワーの高みから不安げに地上を見下ろす富裕層「1%」の姿がある。
「これ以上近づけば発砲する! 下がれ!」
「俺たちの生活を壊す気か! 暴徒どもめ!」
一触即発。
アスファルトの上には、見えない「分断線」が引かれている。
そこを越えれば、血が流れる。ニューヨークが炎に包まれる。
「……悲しい光景ですわね」
ビルの屋上からその様子を見下ろしていた私は、扇をパチンと閉じた。
「あちら側は『奪われた』と怒り、こちら側は『奪われる』と怯えている。
……どちらも、同じ『恐怖』という名のコインの裏表ですのに」
「人間は、自分と違う属性の相手を『敵』とみなすバグがありますから」
レンが冷ややかに分析する。
「対話のチャンネルが完全に切断されてる。……物理的な衝撃(衝突)でしか、接触できなくなってるよ」
「では、コネクタを繋ぎ直してあげましょう」
私は立ち上がり、スカートを翻した。
「ただし、銃弾や火炎瓶ではなく……もっと温かくて、甘い液体で」
◇
地上。
デモ隊のリーダー、マイク(昨日の配達員とは別人)が、バリケードに向かって石を投げようとした瞬間だった。
「――お待ちあそばせ」
空から、白い花びらが舞い降りた。
そして、デモ隊と機動隊の中間地帯――「ノーマンズランド」に、私たちが優雅に着地した。
「な、なんだ!?」
「女!? 危ないぞ、下がれ!」
双方から怒号が飛ぶ。
しかし、私は動じずに、マリアに指を鳴らした。
「マリア、レン。……『壁』を『橋』に変えなさい」
「イエス・マム。……空間再定義、開始」
レンが地面に手を触れる。
魔法陣が展開し、五番街のアスファルトが波打った。
ズズズズズ……!
バリケードとして積まれていた鉄柵やコンクリートブロックが、分解され、再構築されていく。
それは瞬く間に、通りの中央を貫く、果てしなく長い「一本の長テーブル」へと変貌した。
「なっ……!?」
さらにマリアが、テーブルクロスを風に乗せて広げた。
純白の布が、デモ隊の目の前から、機動隊の足元まで、数百メートルにわたって覆い尽くす。
「さあ、皆様。……武器を置いて、お掛けになって?」
テーブルの上には、すでに湯気の立つティーポットと、山盛りのスコーン、そして色とりどりのマカロンが並べられている。
「ふ、ふざけるな! 俺たちは遊びに来たんじゃない!」
リーダーのマイクが叫ぶ。
「俺たちは怒ってるんだ! あいつらが、俺たちの未来を食い潰したから……!」
「ええ。怒鳴りすぎて、喉が渇いたでしょう?」
私はティーカップを一つ手に取り、マイクに差し出した。
「まずは潤しなさい。……叫ぶのは、その後でもできますわ」
マイクは戸惑った。
目の前にあるのは、怒りの対象である「贅沢品」。
しかし、漂ってくるアールグレイの香りは、彼の暴力的な衝動を優しく撫でる。
「……くそっ……」
彼はカップを受け取った。一口飲む。
温かい。
「……機動隊の皆様も」
私はくるりと振り返り、銃を構える隊長を見た。
「その重いヘルメットの中で、汗びっしょりではありませんか?
……市民に銃を向けるなんて、本当は怖くてたまらないのでしょう?」
「……!」
隊長の肩が震える。
彼らだって、家に帰れば良き父であり、市民なのだ。仕事のために「敵」を作らされているだけ。
「座りなさい。……ここには暴徒はいません。ただの『喉が渇いた隣人』がいるだけよ」
私の言葉に、隊長はゆっくりと銃を下ろした。
彼はヘルメットを脱ぎ、テーブルの椅子に腰を下ろした。
それを見て、デモ隊の最前列にいた若者たちも、恐る恐る反対側の席に座った。
◇
奇妙な光景だった。
五番街のど真ん中で、デモ隊と警官隊が、テーブルを挟んで向かい合っている。
最初は睨み合っていた。
しかし、マリアが配る絶品のスコーンが、沈黙を破った。
「……おい、そのジャム、取ってくれ」
一人の警官が、目の前のデモ参加者に声をかけた。
「……あ、ああ。……これ、イチゴか?」
「いや、ラズベリーだ。……うまいぞ」
小さな交流。
それが波紋のように広がっていく。
「あんた、どこの分署だ?」
「ブロンクスだ。……昨日は24時間勤務でな」
「マジかよ。俺もだよ。バイト掛け持ちで寝てねぇんだ」
「……お互い、しんどいな」
敵だと思っていた相手が、自分と同じように疲れ、悩み、甘いものが好きな人間だと気づく。
「1%」と「99%」というレッテルが、紅茶の湯気の中で溶けていく。
「……ねえ、見て」
ソフィアちゃんが、ビルの入り口を指差した。
そこから、恐る恐る出てきたのは、高級スーツを着た銀行家や、ドレスを着たセレブたちだった。
彼らもまた、この甘い匂いと、平和な空気に釣られて出てきたのだ。
「……殺されないだろうか」
震える初老の銀行家。
デモ隊の青年が、彼に気づいた。
「おい、アンタ! ……アンタの銀行のせいで、俺の奨学金金利が上がったんだぞ!」
一瞬、空気が凍る。
銀行家が身を竦める。
しかし、私が青年の肩に手を置いた。
「そうね。……でも、彼の手を見てごらんなさい」
青年が見る。
銀行家の手は、小刻みに震え、爪はボロボロだった。
「彼もまた、株主という名の別のボスに追い詰められ、胃薬を飲みながらサインをしているだけの、哀れな中間管理職よ」
「……」
青年はため息をつき、自分の皿にあったマカロンを一つ掴んだ。
「……食えよ。じいさん」
「え……?」
「手が震えてるぞ。……低血糖じゃねぇのか? 甘いもん食って、しっかりしろよ。……金利の計算くらい、まともにな」
乱暴だが、そこには気遣いがあった。
銀行家は涙目でマカロンを受け取った。
「……すまない……。ありがとう……。……美味しい……」
バリケードが消えた。
分断線が消えた。
そこにあるのは、ただの巨大なピクニック会場。
「……これが、革命ですか」
ベルナデットが、剣の代わりにティーポットを持って給仕しながら苦笑する。
「血を流すより、よほど効率的だな」
「ええ。……『同じ釜の飯』ならぬ、『同じポットの紅茶』を飲んだ仲になれば、もう石は投げられませんわ」
私は五番街を見渡した。
数万人が、路上で茶を飲み、笑い合っている。
怒りは消え、代わりに「あー、疲れた」「休もうぜ」という、健康的な怠惰が充満している。
「1%対99%なんて、数字遊びに過ぎませんわ」
私は空を見上げた。
摩天楼の頂上。そこにはまだ、誰よりも孤独で、降りてこられない人々がいるはずだ。
本当の「1%」の中の、さらに一握りの成功者たち。
「……マリア。とびきり甘いケーキを残しておいて。……まだ、招待していないお客様がいますもの」
「タワーの上の住人たちですね」
「ええ。……彼らは自分たちが『神』だと思っているけれど、本当はただの『高所恐怖症の子供』かもしれないわ」
お茶会の喧騒を背に、私は次なる標的――雲を突くようなタワーマンションの最上階を見据えた。
物質的な豊かさの極北にある、精神的な砂漠。
そこに、最後の一滴を注ぎに行かなくては。




