第54話 失敗は許されないピッチ大会
シリコンバレーの中心部にある、巨大なカンファレンスセンター。
今日は、年に一度の「スタートアップ・デモ・デイ」。
選ばれた起業家たちが、世界中の投資家(VC)たちの前でプレゼンを行い、数億ドルの資金を奪い合う、現代の「コロシアム」だ。
会場の空気は、真空のように張り詰めていた。
スポットライトがステージ中央の一人の若者を照らし出す。
アレックス。二十代前半。Tシャツにジーンズ姿だが、そのTシャツは冷や汗で背中に張り付いている。
「……えー、僕たちのサービス『スリープ・シェア』は、……その、人々の安眠を……」
「――結論から言え」
闇の中に座る審査員席から、鋭い声が飛んだ。
声の主は、伝説のVC、ミスター・ゴードン。
「ユニコーン・ハンター」の異名を持つ彼は、獲物をいたぶる鮫のような冷たい目でアレックスを見据えていた。
「君のアイデアは『昼寝を共有する』? ……ゴミだ。スケーラビリティ(拡張性)がない。
ユーザーが寝ている間、どうやって広告を見せる? どうやって課金させる?
睡眠時間は『無駄なダウンタイム』だ。我々が求めているのは、24時間365日、ユーザーの脳をハックし続ける仕組みだ!」
「で、でも……人間には休息が……」
「休息? それは『死んでから』やれ。
ここにいる投資家たちは、10倍、いや100倍のリターン(見返り)しか求めていない。
……成長か、死か。君はどっちだ?」
ゴードンの言葉に、会場中から嘲笑が漏れる。
アレックスの膝が震える。
彼の夢は、ただ「みんなにゆっくり寝てほしい」という優しい願いだったはずだ。
しかし、この場においてそれは「成長意欲のない怠慢」という罪になる。
「……すみません……僕には……」
アレックスがマイクを落としそうになった、その時。
「――異議あり、ですわ」
凛とした声が、嘲笑を切り裂いた。
ステージの袖から、カツカツとヒールを鳴らして現れたのは、眼鏡(伊達)を光らせたソフィアちゃんと、その後ろで優雅に日傘を差した私だった。
◇
「なんだ君たちは? ピッチの邪魔だ」
ゴードンが不快げに眉をひそめる。
ソフィアちゃんは、アレックスの隣に立ち、怯える彼の背中をポンと叩いた後、不敵な笑みで投資家たちを見渡した。
「貴方がたの投資理論は、古臭くてカビが生えていますわ。
『成長か死か』? ……そんな強迫観念で駆動する経済は、もう『バブル』ですのよ」
「はっ! 小娘に経済がわかるか。我々は数字しか信じない」
「ええ。では数字でお話ししましょう」
ソフィアちゃんがタブレットを操作すると、ステージ上の巨大スクリーンに、右肩上がりのグラフが表示された。
しかし、それは売上のグラフではない。
「これは『限界効用逓減の法則』と、貴方がたの『ストレス指数』の相関図です」
ソフィアちゃんがレーザーポインターで指し示す。
「貴方がたは、社員を馬車馬のように働かせ、ユーザーの時間を奪い、無理やり数字を作らせています。
ですが、見てご覧なさい。……『生産性』は頭打ち。逆に『メンタルヘルス・コスト』と『離職率』は指数関数的に増大しています。
つまり、貴方がたがムチを打てば打つほど、実は『資産(人間)』を毀損しているのです!」
「な……!」
ゴードンが言葉に詰まる。
「これからの時代、最大の資源は『データ』でも『オイル』でもありません。
……『健やかな精神(サンity)』ですわ!」
ソフィアちゃんは高らかに宣言した。
「疲れ切った人間は、新しいものを生み出せません。消費する元気もありません。
だからこそ、このアレックスさんの『スリープ・シェア』のような、人を『回復』させる事業こそが、次なるブルーオーシャンなのです!
……『持続可能な怠惰』こそが、最強の成長産業ですのよ!」
会場がざわめく。
論理の逆転。
「休むこと」が「利益を生む」という新しい方程式。
「ぐぬぬ……! 詭弁だ! そんな『ぬるい』経営で、誰が責任を取るんだ!」
ゴードンが立ち上がり、机を叩いた。
「失敗したらどうする! 我々の金が溶けるんだぞ!」
「あら、失敗?」
私が一歩、前に出た。
扇を閉じ、震えるアレックスと、青筋を立てるゴードン、両方を見つめた。
「失敗してはいけないのですか?」
「当然だ! 勝者だけが正義! 敗者は去れ!」
「……可哀想なゴードン様」
私はステージを降り、審査員席へと歩み寄った。
彼の周りには、成功者の証である高級スーツと時計、そして分厚い「鎧」が見える。
「貴方は……一度でも負けたら、自分の価値がゼロになると思っていらっしゃるのね」
「……っ」
「だから、若者たちにも完璧を求める。……自分が許されなかったから、彼らも許さない」
私は彼の手元にある、×印がつけられた採点表をそっと取り上げた。
「ゴードン様。……貴方、昨夜はよく眠れましたか?
株価が気になって、夜中に何度も起きたのではありませんか?」
「う……うるさい! これはビジネスだ!」
「いいえ。……これは『恐怖からの逃走』ですわ」
私は彼の手を取り、その冷たい指先を包み込んだ。
「もう、走らなくていいのよ。
100倍にならなくてもいい。
今日、貴方がここに座って、若者の話を聞こうとした……その意欲だけで、貴方は十分立派ですもの」
「……俺は……」
ゴードンの目が揺れる。
「俺は、ただ……すごいものが見たかっただけだ……。世界が変わる瞬間を……」
「ええ。……でも、世界を変える前に、まずは貴方が服を着替えて、温かいスープを飲むべきだわ」
私はステージ上のアレックスに目配せをした。
アレックスは意を決して、マイクを握り直した。
「……ぼ、僕のアプリには……『ゴードンさん専用・子守唄モード』も実装可能です……!」
会場から、くすりと笑いが漏れた。
それは嘲笑ではなく、温かい笑いだった。
「……ふん」
ゴードンが椅子に深く座り直した。
張り詰めていた肩の力が、すっと抜けていく。
「……悪くない提案だ。……シードラウンド(初期投資)、検討してやってもいい」
「えっ!?」
「ただし! 俺を3分以内に寝かせることが条件だ! ……今の俺は、かなり手強いぞ……?」
ゴードンは、少し照れくさそうに、しかし確かに笑っていた。
「契約成立ですわね」
ソフィアちゃんがパチンと指を鳴らすと、ステージ上にレンが開発した「即席コタツ・ピッチ会場セット」が出現した。
投資家たちも、起業家たちも、靴を脱いでコタツに入り、蜜柑を食べながら「夢」を語り合い始めた。
「君のアイデア、全然スケールしないけど、なんか好きだよ」
「本当ですか? 実は僕も、自信なくて……」
「いいさ。失敗したって、命までは取られないよ」
殺伐としていたコロシアムは、いつの間にか「世界一意識の低い交流会」へと変貌していた。
「……やれやれ。ここも陥落しましたわね」
私はアレックスの頭を撫でてあげた。
彼は泣きながら、何度も「ありがとうございます」と繰り返している。
失敗してもいい。
大きくならなくてもいい。
ただ、そこに「好き」という情熱があるなら、それは立派な事業の種なのだから。




