第43話 黄金のパンケーキと溶ける財政規律
「増税!(増税!) 増税!(増税!)」
「欲しがりません!(欲しがりません!) 孫の代まで!(孫の代まで!)」
廊下を埋め尽くす官僚たちのシュプレヒコールは、もはや呪詛のようだった。
彼らは目を血走らせ、ソロバンを楽器のように打ち鳴らし、ソフィアちゃんの論理を物理的な音量で掻き消そうとしている。
「……耳障りですわね」
私は優雅に一歩進み出た。
ソフィアちゃんを背に庇い、扇子をパチンと閉じる。その乾いた音は、不思議と彼らの怒号を切り裂いて響き渡った。
「カンジョウ奉行様。……貴方たちは、『将来』のために『今』を犠牲にせよと仰るのね?」
「いかにも! 借金を残すのは罪悪! 我慢こそが美徳!」
奉行が唾を飛ばして叫ぶ。
「では、伺いますけれど。……貴方たちは、いつ幸せになるのですか?」
「な、なんだと?」
「今日を我慢し、明日も我慢し、明後日も我慢する。……そうやって死ぬまで我慢し続けて、棺桶の中で『ああ、よく節約した』と笑うおつもり?」
私は冷ややかに微笑んだ。
「そんな干からびた顔をしたお爺様を、お孫さんが愛してくれると思いまして? ……私なら、泣いて逃げ出しますわ」
「ぐっ……! 無礼な! 国家の話をしているのだ!」
「いいえ、人生の話ですわ。……お金も、愛も、カロリーも。使ってこそ意味があるのです」
私はマリアに指を鳴らした。
合図と共に、レンが空間魔法を展開する。
廊下の風景が一変した。
殺風景な板張りの床が、高級ホテルのラウンジのようなふかふかの絨毯に変わり、豪奢なテーブルセットが出現する。
そして、その中央に鎮座するのは――。
「ご覧なさい。……これが、貴方たちが恐れ、そして憧れる『富』の形よ」
そこに現れたのは、黄金色に輝く巨大なタワーだった。
焼きたての、厚さ五センチはあるスフレパンケーキの塔。
その上から、惜しげもなくかけられているのは、最高級のメイプルシロップと、溶かしバター。
そして、極めつけに――。
「き、金粉……!? 食用金粉だとぉぉ!?」
奉行が絶叫する。
そう、パンケーキの頂上には、彼らが血眼になって守ろうとしている金庫の中身――「金」が、キラキラと舞い散っているのだ。
「名付けて、『国家予算・黄金スフレパンケーキ』ですわ」
私はフォークを手に取り、ナイフを入れた。
サクッ、フワッ。
空気のように軽い感触。湯気と共に、暴力的なまでに甘く、香ばしいバターの香りが爆発的に広がる。
「……ひっ、ひぃぃ……!」
「あ、あんな贅沢な……!」
「し、しかし……美味そうだ……」
官僚たちの喉が鳴る。
彼らは普段、「メザシ」と「玄米」しか食べていない(それが清廉潔白だと信じているから)。
バターと砂糖と卵の塊、しかも「黄金」の輝きを持つそれは、彼らにとって最も忌避すべき「悪」であり、同時に最も渇望する「欲望」そのものだった。
「さあ、召し上がれ。……一口食べれば、貴方の『財政規律』なんて、バターのように溶けてなくなりますわ」
私は切り分けたパンケーキを、震える奉行の口元へ差し出した。
「た、食べるものか! それは毒だ! 財政破綻の味がするはずだ!」
「あら、頑固ね。……では、強制執行ですわ」
私はニッコリ笑い、彼の口にパンケーキを押し込んだ。
「むぐっ!?」
瞬間。
カンジョウ奉行の目が見開かれた。
カッ!と目から光が出るのではないかというほどの衝撃。
(……あ、甘い……! なんだこれは……雲か!? 口に入れた瞬間、消えてなくなる……! 残るのは、濃厚なバターのコクと、メイプルの香りだけ……!)
彼の脳内で、ソロバンが弾け飛んだ。
「我慢」「節約」「緊縮」といった文字が、パンケーキの熱でドロドロに溶解していく。
「……う、うまい……! うますぎるぅぅぅ!」
奉行が泣き叫んだ。
「俺は……俺は本当は、こういうのが食いたかったんだぁぁ! メザシはもう嫌だぁ! もっと予算をかけろぉぉ!」
「奉行が乱心したぞ! ……い、いや、俺も食いたい!」
「俺にもくれ! 増税なんてどうでもいい!」
「孫のためより、今の俺の血糖値だ!」
決壊。
ソロバンを投げ捨てた官僚たちが、パンケーキタワーに群がる。
マリアとレンが、次々と追加のパンケーキを供給する。
ソフィアちゃんが、その光景を見て満足げに頷いた。
「ご覧なさい。……消費が活性化していますわ。これぞ『景気回復』の音です」
「……すげぇな」
カツ海舟が呆れてキセルを落とした。
「『緊縮』の鬼たちが、『糖分』の亡者に変わり果てたぞ」
「ふふ。人間、素直が一番ですわ」
私は群がるおじ様たちを見守りながら、奥へと続く扉を見据えた。
これで邪魔者はいない。
「さあ、行きましょう。……この甘い匂いに釣られて、そろそろ『親玉』も目を覚ます頃かしら?」
廊下の向こう、将軍の居室「大奥」。
そこから漂うのは、今まで以上に冷たく、そして孤独な気配。
日の本を統べる、最後の迷子。
どんな顔をして待っているのか、楽しみだわ。




