第39回 浦賀に舞い降りた白船
江戸湾の入り口、浦賀。
かつて黒船が来航し、国を揺るがした歴史ある港に、今また新たな「脅威」が舞い降りようとしていた。
ただし、それは黒くもなければ、鉄の塊でもない。
空から静かに降下してきたのは、白とピンクを基調とし、フリルとレースのような装飾が施された、巨大なウェディングケーキのごとき魔導飛空艇『クイーン・レティーティア号』だった。
「……な、なんだあれは……」
「空飛ぶ……お菓子?」
「いや、あれぞ噂の『全肯定の白船』だ! 防衛ラインを上げろ! いや、やっぱり下げて土下座の準備だ!」
浦賀奉行所の役人たちが右往左往する中、タラップが優雅に降ろされた。
最初に降り立ったのは、完璧なカーテシーを決めたメイドのマリア。
続いて、我らが全肯定未亡人、レティーティア・フォン・ローゼンタールが、日傘を回しながら優雅にその地を踏んだ。
「ごきげんよう、日の本の皆様。……潮の香りが、少し『しょっぱい』ですわね」
◇
通されたのは、奉行所の奥座敷。
畳という未知の床材に、レンとエレナが「柔らかい!」「トランポリン?」とはしゃぐのを横目に、私は上座に座る男と対峙していた。
浦賀奉行、ツチヤ・カチドキ。
裃という肩幅を三倍に見せる奇妙な服を着て、額にびっしりと脂汗をかいている中年男性だ。
「……えー、遠路はるばるご苦労である。拙者が浦賀奉行のツチヤでござる」
彼は震える声で巻物を広げた。
「入国に際し、いくつか手続きが……パスポートの提示、滞在目的の陳述、および荷物の検閲を……」
「まあ。堅苦しいですわね」
私は扇で口元を隠した。
「ツチヤ様。……その肩の張り出し(裃)、重くありませんこと?」
「っ!? こ、これは武士の正装ゆえ! 重くとも耐えるのが……」
「あらあら、肩こりが石のようですわ。……マリア、例の湿布を」
会話のドッジボール。
彼が「規則」を投げれば、私は「労わり」を投げ返す。
調子が狂ったツチヤ奉行は、パンパンと手を叩いた。
「ええい、話が進まぬ! ……宴じゃ! 芸者ガールを呼べ! まずは『オモテナシ』で骨抜きにしてくれるわ!」
襖が開き、艶やかな着物姿の女性たちが十数人、滑るように入室してきた。
白塗りの化粧、結い上げた黒髪、そして作り込まれた完璧な笑顔。
芸者ガールたちだ。
「ようこそおいでなんし〜」
「まあ、珍しいお召し物どすなぁ」
彼女たちは蝶のように舞い、私たちの周りに侍る。
一人が私の横に座り、お酌をしようと徳利を傾けた。
「ささ、奥様。まずは一杯……」
その時。
私のIQ200の観察眼と、全肯定のセンサーが反応した。
彼女の笑顔の口角が、ピクリと引きつっている。
徳利を持つ手首に、サポーターの跡が隠されている。
そして何より――。
「……貴女、足が痺れているわね?」
「へ?」
芸者ガールの動きが止まった。
正座。
膝を折り、全体重を足に乗せるという、拷問に近い座り方。
彼女たちは涼しい顔をしているが、その足は限界を迎えていた。
「レン、透視解析」
「了解。……うわ、血流最悪だよ。このままだとエコノミークラス症候群になるレベル」
レンの容赦ない診断。
私は徳利を彼女の手から取り上げ、コトリと置いた。
「中止です」
「は……? ちゅ、中止とは……?」
ツチヤ奉行が目を丸くする。
「この『我慢大会』のことよ」
私は立ち上がり、パンと手を叩いた。
「マリア! 『アレ』を持ってきて!」
「はい、奥様。……展開します」
マリアが指を鳴らすと、空間収納から次々と「人をダメにするソファ(ビーズクッション)」が出現した。
畳の上に、異様な存在感を放つモチモチの物体たち。
「さあ、芸者の皆様。……足を崩して、そこにダイブなさい」
「え、ええっ!? そ、そんな、お殿様の前で……!」
「仕事中でありんす……!」
彼女たちは恐縮して首を振る。
けれど、私は許さない。
「これは親善大使命令よ。……いうことを聞かないと、貴女たちの着物の帯を、ここでグルグルと回して解いてしまいますわよ? 『あ〜れ〜』と言わせたいのかしら?」
「そ、それはちょっと……(ドラマの見すぎでは?)」
困惑する彼女たちの背中を、ソフィアちゃんとエレナが押した。
「いいから、座ってみてください!」
「天国ですよ? ほら!」
ドサッ。
一人の芸者が、バランスを崩してクッションに沈んだ。
「……あ……」
彼女の口から、艶っぽい声が漏れた。
足の痺れが解放され、腰の負担が消え、全身が雲に包まれる感覚。
「……なにこれ……極楽……?」
「もう……立てないでありんす……」
連鎖反応。
次々と芸者ガールたちがクッションに撃沈していく。
完璧だった日本髪が少し乱れ、白塗りの仮面の下から、年相応の少女のような安らかな寝顔が覗く。
「な、な、なんと嘆かわしい!」
ツチヤ奉行が立ち上がり、扇子で畳を叩いた。
「客人の前でだらしない! 日本の恥部を晒してどうする! これぞ『ハラキリ』に値する失態……!」
「ツチヤ様」
いつの間にか、私は彼背後に立っていた。
「……貴方も、限界でしょう?」
「なっ……」
「その裃の下。……五十肩が悲鳴を上げていますわ」
私は彼の方に手を置いた。
ガチガチに固まった筋肉。
重い責任と、上からの圧力、下からの突き上げに耐えてきた、中間管理職の鎧。
「……痛かったでしょう。……重かったでしょう」
「……う……うぐ……」
「ベル、お願い」
「御意」
ベルナデットが手刀を一閃――ではなく、手際よく彼の肩を揉みほぐし始めた。
剣技で培った、正確無比なツボ押し。
「あだだだだッ! そこッ! そこは奉行の急所ッ……あぁぁ〜……効くぅぅ……」
ツチヤ奉行の膝が笑う。
私は、すかさず彼の口元に、マリア特製の「極甘・抹茶キャラメル」を放り込んだ。
「……んぐっ!?」
口いっぱいに広がる、濃厚な甘みとほろ苦さ。
脳の血管に糖分が直撃する。
「……あ……甘い……。……子供の頃、おっかあがくれた飴より……甘い……」
ツチヤ奉行は、ゆっくりと畳に崩れ落ちた。
芸者ガールの隣にあるクッションへ、吸い込まれるように。
「……もう……書類なんて……どうでもいいでござる……」
「おやすみなさい、ツチヤ様」
私は扇を閉じ、惨状(楽園)を見渡した。
座敷童のようにクッションで眠る芸者たちと、大の字でイビキをかく奉行。
「……制圧完了ね」
ソフィアちゃんが手帳にチェックを入れる。
「浦賀、陥落。……所要時間、十分」
「ちょろすぎる……。この国の防衛力、豆腐メンタルすぎない?」
レンが呆れるが、エレナは優しく微笑んだ。
「それだけ、皆様が癒やしを求めていたのですよ。……さあ、江戸へ向かいましょう」
浦賀の風が変わった。
磯の香りに、ほんのりとバニラエッセンスの香りが混じり始めた。
白船の進撃は止まらない。
次は百万都市、江戸(東京)。
そこには、もっと巨大なストレスと、もっと深刻な「空気」が待っているはずだわ。
「行きましょう。……甘い甘い白船の開国パレードよ」




