第30話 鉄血女帝の甘い夢
「……空気が硬いわ」
ガレリア帝国の帝都、その中央にそびえる『黒鉄城』の謁見室。
私は扇で煤煙の匂いを払いながら、眉をひそめた。
王国から馬車で数日。かつて国境で「ワイン外交」を行った第三皇女の招待により、私たちは帝国の土を踏んでいた。
目的は親善訪問……という名目の、「出張版・全肯定押し売りツアー」である。
「申し訳ありません、レティ様。この国は重工業と軍事が優先でして……美意識という概念が欠落しているのです」
案内役の第三皇女が、情けなさそうに肩を縮める。
彼女の背後では、私の「娘たち」が物珍しそうに周囲を観察していた。
「へぇ、魔導回路の規格が違う。無骨だけど、出力重視だね」
レンが配管をペタペタと触る。
「衛兵たちの筋肉量が異常です。プロテインの過剰摂取では?」
ベルが渋い顔で分析する。
「でも、街の人たちは笑っていませんでした。……みんな、歯車みたいに急いで歩いていて」
エレナが悲しげに目を伏せる。
この国は、効率至上主義。
強さこそ正義。弱さは罪。
王国のヒルデガルド様が「氷」なら、この国の支配者は「鋼鉄」でできているらしい。
「――控えよ! 皇帝陛下のお成りである!」
重厚な扉が開き、現れたのは巨漢の女だった。
全身を黒い軍服で固め、顔には無数の傷跡。
ガレリア帝国皇帝、ガルディア・フォン・ガレリア。通称「鉄血女帝」。
その威圧感だけで、普通の令嬢なら卒倒するレベルだ。
「……ふん。貴様か。我が愚娘を骨抜きにし、あまつさえ我が国の精鋭部隊を一兵も損なわずに無力化したという、王国の『魔女』は」
皇帝の声が、腹の底に響く重低音で轟く。
敵意ではない。値踏みだ。
私が有益な同盟相手か、それとも即座に潰すべき害虫か。
「ごきげんよう、陛下。……魔女だなんて人聞きの悪い。
私はただの、平和を愛する未亡人ですわ」
私は優雅にカーテシーを決める。
皇帝が目を細めた。
「平和? 笑わせるな。力なき平和など幻想だ。……余は休まない。眠らない。この国を最強にするためにな。……貴様のような軟弱な女に用はない」
拒絶。
彼女の背後には、鋼のような精神防壁が見える。
「余は強い」「余は一人で立てる」という、悲しいほどの自負。
(……あらあら)
私の目は、彼女の強がりを瞬時にスキャンしていた。
眼球運動の緩慢さ(睡眠不足レベル:末期)。
右肩の不自然な挙上(慢性的な肩こり)。
そして何より、玉座の肘掛けを握りしめる指が、微かに震えている(カフェイン中毒による振戦)。
「……陛下。貴女様、お辛いでしょう?」
「はあ?」
「眠らないのではなく、眠れない。……背中の鎧が重すぎて、ベッドの上でも戦場にいる夢をご覧になるのではなくて?」
図星を突かれた皇帝の眉がピクリと動く。
「……無礼な。余の心の内を妄想するな」
「妄想ではありません。分析(愛)ですわ」
私は一歩踏み出した。
衛兵が槍を構えるが、ベルが一睨みで制する。
「陛下。……鋼鉄はね、熱いうちに打たないと折れてしまうのよ」
「……何が言いたい」
「貴女様は冷え切っている。……このままでは、最強の皇帝である前に、一人の人間としてポッキリ折れてしまいますわ」
私はマリアに合図を送った。
マリアが取り出したのは、外交文書でも宝石でもない。
私が旅の道中作った、最高級の羽毛を使った「抱き枕(レティの香り付き)」だ。
「な、なんだそれは……!?」
「新兵器です」
私はニッコリと微笑み、玉座の壇上へと上がった。
皇帝が威圧しようと立ち上がるが、私はその巨体を恐れず、至近距離まで近づく。
汗と油、そして強烈なブラックコーヒーの匂い。
「陛下。……これ、触ってみてくださいませ」
私は抱き枕を押し付けた。
皇帝は反射的にそれを受け取る。
ふわり。
圧倒的な柔らかさが、彼女の剛腕の中に収まる。
「……っ」
彼女の表情が凍りついた。
戦場に存在しない柔らかさ。
母の腕の中のような、原初の記憶を刺激する感触。
「……なんだ、これは……。力が……抜ける……」
「ええ。それは『安らぎ』という毒ですわ」
私は畳み掛ける。
レンがこっそりと「安眠の魔法」を部屋の空気に混ぜ、エレナが「精神安定の波動」を送る。ソフィアちゃんが「今のうちに!」とばかりに、不平等条約の改正案を机に置く。
「陛下。……強がらなくていいの。誰も見ていませんわ(私たちは見ていますが)」
私は彼女の硬い肩に手を置き、グッと体重をかけて押し座らせた。
彼女は抵抗できなかった。
抱き枕の魔力と、私の全肯定オーラに、限界寸前の脳が「休息」を選んでしまったのだ。
「……余は……まだ……」
「おやすみなさい、大きな女の子」
私は耳元で囁き、彼女の手から指揮杖を取り上げ、代わりに温かいホットアイマスクを着けてあげた。
「……う……むぅ……」
数秒後。
鉄血女帝は、玉座の上で抱き枕をギュッと抱きしめ、盛大ないびきをかき始めた。
その顔は、威厳ある皇帝ではなく、お気に入りのぬいぐるみを離さない女の子そのものだった。
「……完了ね」
私は扇子を広げた。
周囲の帝国官僚や衛兵たちは、顎が外れんばかりに口を開けている。
あの不眠不休の皇帝が、秒殺された。
「……レティ様。条約書、寝ぼけてサインなさいましたわ」
ソフィアちゃんがウインクする。
「帝国の防衛システム、一時停止させたよ。……メンテナンスしておいてあげる」
レンが親指を立てる。
「……やれやれ。これで帝国も『甘い国』の仲間入りですね」
マリアが苦笑しながら、皇帝に毛布をかける。
私は窓の外、煤煙に覆われた空を見上げた。
少しだけ、煙の向こうに青空が見えた気がした。
「さあ、次へ行きましょうか。……東の島国には『サムライ』という、これまた融通の利かない人たちがいるそうですし」
私は眠る女帝の頭をひと撫でして、踵を返した。
世界征服(全肯定)の旅は、まだまだ終わらない。
だって、この世界にはまだ、私の膝枕を知らない可哀想な迷子がたくさんいるのだから。




