第28話 終わらない円舞曲
王城の大広間は、光の洪水に沈んでいた。
天井を埋め尽くすクリスタルのシャンデリアから、砕いた星屑のような輝きが降り注いでいる。
楽団が奏でるワルツの旋律は、極上の蜂蜜のように空気中に溶け込み、着飾った貴族たちの足取りを甘く絡め取っていた。
「……夢のような光景ですわ」
私の隣で、マリアが感嘆の溜息をつく。
今日の彼女は、いつものメイド服ではない。私が強引に仕立てさせた、夜空のような濃紺のドレスを纏っている。
壁の花(ウェイター役)に徹しようとする彼女の手を、私は強引に引いた。
「夢ではありませんよ。……さあ、マリア。ファーストダンスは貴女と決めているの」
「お、奥様!? いけません、使用人が主役と踊るなんて……!」
「あら、ここは『無礼講』の会場よ。それに、私のステップを一番理解しているのは貴女でしょう?」
私は彼女の手を取り、フロアの中央へと滑り出した。
衆人環視の中、マリアは顔を真っ赤にして強張っている。
その指先は冷たく、脈拍が早い。
「力を抜いて。……いつものように、私を支えてくれればいいの」
私は彼女の腰に手を回し、リードする。
タン、タ、タン。
リズムに合わせて踏み出す足。
マリアは最初こそ躓きかけたが、すぐに呼吸を合わせてきた。長年、私の影として寄り添ってきた彼女にとって、私の動きを予測することなど造作もないことだ。
「……不思議な気分です。いつも背中を見ていた貴女と、こうして向かい合って回るなんて」
「世界が回っているのよ。……ねえマリア、貴女のドレス、とても似合っているわ」
「……レティ様が輝くためなら、私は夜空の闇で十分です」
「いいえ。貴女は私を輝かせる闇ではなく、隣で輝く一等星よ」
私の言葉に、マリアの瞳が潤む。
ターンに合わせて、彼女のスカートが花のように開く。
その瞬間、彼女は誰よりも美しい淑女だった。
***
曲が変わり、私の手は次のパートナーへと渡された。
ガチガチに固まった白銀の騎士服。
ベルナデット(ベル)だ。
「……レティ様。足を踏んだら、切腹してお詫びします」
「痛そうね。……踏んでもいいわよ、貴女になら」
ベルは剣を握る手つきで、恐る恐る私の肩に手を置く。
彼女の体幹は完璧だが、ダンスとなると途端にロボットのような動きになるのが愛おしい。
「……戦場より緊張する。敵の首を落とすほうが簡単だ」
「ふふ。これは敵ではなく、私を落とすための儀式よ」
「貴女はとっくに落ちている……いや、私が落ちているのか」
ベルが自嘲気味に笑い、少しだけ力を込めて私を引き寄せた。
彼女の体温が高い。
実直で、不器用な熱。
「……一生、こうして貴女の盾になりたい。……平和すぎて剣が錆びついたとしても」
「錆びつかせないわ。……私のハートを守る任務は、これからもっと忙しくなるもの」
***
「ボクたちの番!」
「わ、私も……!」
次に飛び込んできたのは、レンとエレナのペアだ。
身長差のある私と踊るために、レンが得意げに指を鳴らす。
「重力操作・フロート!」
ふわり、と私の体が浮き上がる。
足が床から数センチ離れ、まるで雲の上を歩くような感覚。
「これなら身長差も関係ないし、足も疲れないでしょ?」
「天才ね、レン。……エレナ、私の手を」
エレナが恥ずかしそうに、けれど幸せそうに私の手を握る。
彼女の周りには、感情に呼応して小さな光の粒子が舞っている。
「……夢みたいです。……あんなに暗かった世界が、こんなにキラキラして……」
「貴女たちが照らしたのよ。……さあ、三人で回りましょう」
私たちは重力を無視して、妖精の輪舞のようにくるくると回った。
周囲の貴族たちが「あれは新しい演出か?」「天使だ」とどよめいている。
物理法則すらも、幸福の前では甘く書き換えられてしまう。
***
そして、真打ち登場。
ソフィアちゃんが、完璧なカーテシーで私を誘う。
「お待たせしましたわ、レティ様。……ステップの練習は完璧ですのよ?」
「頼もしいわね、ソフィアちゃん」
彼女とのダンスは、驚くほどスムーズだった。
教科書通りの、しかし努力に裏打ちされた正確なステップ。
彼女は私をリードしながら、誇らしげに胸を張る。
「わたくし、決めましたの。……将来は、この国の教育制度を改革しますわ。才能のない子も、努力が報われるシステムを作ります」
「素敵な夢ね」
「夢ではありません。計画ですわ。……レティ様が教えてくれた『全肯定』を、国の法律にするんです」
彼女の瞳には、もうコンプレックスの影はない。
次代を担う王族としての、眩しいほどの光が宿っている。
「……卒業の日も近そうね」
「卒業なんてしません! わたくしは永遠に、レティ様の『一番弟子』ですもの!」
***
「……人気者は辛いわね」
最後に私の前に立ったのは、この国の王妃、ヒルデガルド様だった。
彼女は今夜、王家の正装ではなく、私とお揃いのデザイン(色違いの白)のドレスを着ている。
陛下が「行ってこい」と背中を押してくれたようだ。
「お待たせいたしました、ヒルデガルド様」
「……待ちくたびれたわ。みんな貴女にべったりなんだもの」
彼女は拗ねたように唇を尖らせながら、私の腰を強く抱き寄せた。
音楽が、壮大なフィナーレへと向かう。
「……信じられる? あんなに孤独だったこの場所が、今はこんなに温かいなんて」
彼女がフロアを見回す。
そこには、笑顔で談笑するマリアたち、陛下、そしてかつては派閥争いをしていた貴族たちが、穏やかにグラスを傾けている姿がある。
「貴女が魔法をかけたのよ、レティ」
「いいえ。私はただ、皆様の心の氷に、ホットミルクを注いだだけですわ」
「……それが魔法だと言っているの」
ヒルデガルド様が、私の額に自分の額をコツンと当てた。
至近距離で見つめ合う、氷色の瞳と、私の瞳。
「ありがとう。……私を『人間』に戻してくれて」
「どういたしまして。……貴女は人間としても、とてもチャーミングでした」
私たちは笑い合い、最後のターンを決める。
ドレスの裾が大きく翻り、二輪の花が咲いたように重なる。
会場中から、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
それは儀礼的なものではなく、心からの祝福の音だった。
「……足が痛いわ」
音楽が止み、私が小声で呟くと、ヒルデガルド様がクスクスと笑った。
「そうね。……でも、まだ夜は終わらないわよ?」
「ええ。……少し、風に当たりに行きましょうか」
私は熱気溢れるホールを背に、バルコニーへと続く扉を見た。
祭りの後の静けさと、これからの未来を語り合うために。
私の靴音と、彼女たちの靴音が重なる。
この円舞曲は、音楽が止んでも、私たちの心の中で永遠に響き続けるでしょう。
甘く、優しく、終わることのないリズムとして。




