第27話 拒絶という名の愛
テラスの空気は、国王陛下が差し出した一巻の羊皮紙――「王宮筆頭肯定官」という、前代未聞の任命書によって、鉛のように重くなっていた。
そこに記された権限は絶大だ。
予算の自由裁量、人事への拒否権、そして王族に準ずる特権階級としての地位。
普通の貴族なら、喉から手が出るほど欲しがる「権力」の塊。
けれど、私の手の中にあるそれは、ただの「重たい紙切れ」にしか感じられなかった。
「……陛下。確認させていただきますけれど」
私は羊皮紙をパラパラと弾きながら、小首を傾げた。
「この役職に就けば、勤務地は私のベッドで構わないとしても……重要案件を決済したり、おじ様たちの退屈な請願や議論を聞き続けなければならない……ということでよろしいでしょうか?」
「うむ。国の舵取りには忍耐が必要だ。だが、君ならそれを『全肯定』で円滑に進められるはず……」
「嫌ですわ」
私の口から飛び出したのは、風鈴のように軽やかな、しかし絶対零度の拒絶だった。
「……は?」
陛下がぽかんと口を開ける。
周囲の我が「娘」たちも、息を呑んで私を見つめている。
「陛下。私は『全肯定』を信条としていますが、それは『何でも言うことを聞く』という意味ではありませんの」
私は羊皮紙をくるくると巻き戻し、リボンで可愛らしく結び直した。
「私が肯定するのは、私が『愛おしい』と感じるものだけ。……退屈な会議や、形式だけの儀礼、そして可愛げのないおじ様たちの相手なんて……私の美学に反します」
「し、しかし! これは国を動かせる地位だぞ! 歴史に名を残す名誉であり……」
「名誉?」
私は立ち上がり、テラスの端へと歩み寄った。
そこからは、私の愛する庭園が見渡せる。
マリアが手入れした薔薇。ベルが守る門。レンとエレナが遊ぶ芝生。ソフィアちゃんとヒルデガルド様が微笑み合うテーブル。
「陛下。……私にとっての名誉とは、歴史書に一行載ることではありません。……この子たちが焼いたクッキーを、一番美味しい瞬間に食べることです」
私は振り返り、手に持っていた任命書を――ふわりと空へ投げた。
風を孕んだ羊皮紙は、まるで白い鳥のように(あるいは不格好な紙飛行機のように)、庭の噴水へと飛んでいき、ポチャンと水音を立てて沈んだ。
「ああっ! 王家の公文書が!」
宰相が悲鳴を上げ、慌てて拾いに行こうとする。
「……欲がないな、君は」
陛下が苦笑いをして、肩をすくめた。
呆れと、そして隠しきれない敬意を含んだ目で。
「欲がない? とんでもない」
私は扇を開き、口元を隠して悪戯っぽく笑った。
「私は強欲ですわ。……国という『枠』にはめられるのは御免ですが、国の『美味しいところ』は全部いただきたいのですもの」
「……と、いうと?」
私は隣に座るヒルデガルド様(王妃)に視線を送った。
彼女は私の意図を瞬時に察し、ニヤリと共犯者の笑みを浮かべる。
「フレデリック。レティは『肩書き』なんて窮屈な服は着たくないと言っているのよ。……必要なのは、『実利』だけ」
ヒルデガルド様が指を折りながら、条件を提示し始める。
「一、ローゼンタール家に対する恒久的な免税特権。
二、王城へのフリーパス(顔パス)権限。
三、王家の最高機密書庫および宝物庫へのアクセス権。
四、そして……レティが『お茶会』を開く際の、国家予算からの無制限の経費計上」
並べ立てられた条件に、陛下と大臣たちが目を剥く。
「なっ……! それは、権限だけを行使して、責任は一切負わないということではないか!」
「その通りよ。……何か文句がおあり?」
王妃様が睨みを利かせると、大臣たちは「ひぃっ」と縮み上がる。
かつての恐怖政治の遺産が、こんなところで役に立つとは。
「それにです、陛下」
私は陛下の目の前まで歩み寄り、その胸元に飾られた薔薇のブローチを指先で直して差し上げた。
「私が役職に就いてしまったら……誰が、疲れた貴方様たちを『外側』から癒やすのですか? システムの中に組み込まれたら、私はただの『歯車』になってしまう。……貴方様が必要なのは、歯車ではなく、それを滑らかにする『油』でしょう?」
論理のすり替え。
けれど、それは真実だ。
私が権力者になれば、私は「敵」や「利害関係者」になる。
私が「ただの未亡人」であり続けるからこそ、王も王妃も、何の利害もなく私に甘えられるのだ。
陛下はしばらく私を見つめ、やがて深く息を吐き、破顔した。
「……負けたよ。完敗だ」
陛下は私の手を取り、恭しく握手をした。
「いいだろう。君はただの『レティーティア・フォン・ローゼンタール』のままでいてくれ。……その代わり、我が国が道に迷った時は、その甘い灯りで照らしてほしい」
「ええ、お安い御用ですわ。……美味しいお茶菓子さえ用意していただければ」
交渉成立。
私は「自由」と「特権」の両方を手に入れた。
周囲のヒロインたちが、わっと歓声を上げて私に抱きついてくる。
「さすがレティ様! カッコいい!」
「一生ついていきます!」
「俺たちの楽園は守られた!」
もみくちゃにされながら、私は心地よい重みを感じていた。
地位も名誉もいらない。
私の欲は、この温かい腕の中にすべて収まっているのだから。
「……さて。そうと決まれば、お祝いが必要ですわね」
陛下はうなずき、パンと手を叩宣言した。
「そうだな。来週、王城にて『戦勝記念舞踏会』を開催する! 名目は隣国との和平だが……実質は、レティーティア殿とその愉快な仲間たちへの感謝祭だ。……盛大にやるぞ!」
「舞踏会……!」
ソフィアちゃんが目を輝かせる。
レンとエレナは「ダンスなんて踊れない」と顔を見合わせ、ベルは「護衛計画を練り直さねば」と表情を引き締める。
マリアはすでに、「奥様のドレスのデザイン、3パターンほど浮かびました」とメモを取り始めている。
「楽しみね」
私は噴水に沈んだ羊皮紙を見やった。
インクが滲んで、文字が消えていく。
権力なんて、水に溶ける砂糖のようなもの。
残るのは、甘い味と、記憶だけ。
「さあ、皆様。……ダンスの練習をしましょうか?」
私はステップを踏んでみせた。
軽やかに、自由に。
誰にも縛られない私のワルツは、きっと国一番の革命のステップになるはずよ。




