第24話 幸せな堕落の波及
北の国境線、荒涼とした平原に、冷たい風が吹き荒れている。
土埃と鉄の匂い。そして、張り詰めた殺気。
ガレリア帝国の精鋭部隊一万と、その先頭に立つ巨大な影――伝説の「魔王」を模した、高さ十メートルはあろうかという黒鉄の魔導兵器が、地響きを立てて進軍していた。
「……騒々しいわね」
私は溜息をつき、銀のフォークでショートケーキの苺を刺した。
「せっかくのピクニック日和なのに、あんなに土煙を上げて。……マリア、紅茶に砂が入らないように結界をお願いできる?」
「かしこまりました、奥様。……透明度百パーセント、防音防塵仕様で展開済みです」
マリアが涼しい顔でポットを傾ける。
私たちのいる場所は、戦場のド真ん中に設置された、特設ティーテラス(天蓋付き)。
ふわふわの絨毯、猫足のテーブル、そして三段重ねのケーキスタンド。
対峙する帝国軍からは、ここが異次元の光景に見えていることだろう。
「……レティ。本当に戦わなくていいの?」
隣の席で、ヒルデガルド様(王妃)が不安そうに私の袖を引く。
彼女はドレスの上に、私が選んだふわもこのカーディガンを羽織り、完全に「守られヒロイン」のポジションに収まっている。
「ええ。……野蛮なことは、若い子たちに任せましょう」
私は優雅に前方を指差した。
そこには、私の自慢の「娘たち」が、獲物を前にした肉食獣のような輝きを放って立っていた。
「ふふん。……レティ様のお茶会を邪魔する無粋な鉄屑どもめ」
ベルナデット(ベル)が剣を抜き放つ。
その背中から立ち上る闘気は、帝国軍一万の殺気を単独で押し返している。
「俺の実験場を荒らすなよ。……消し飛ばしてやる」
レンが空中に浮遊し、指先に紫電を纏わせる。
彼女の周囲には、ソフィアちゃんが計算し、最適化した幾何学的な魔法陣が展開されている。
「皆様、怪我を恐れる必要はありません。……私が、死なない限り何度でも治しますから!」
エレナが杖を掲げる。
彼女の背後には、神々しいほどの黄金の光が広がり、味方の全ステータスを底上げしている。
「……蹂躙開始ですわ」
ソフィアちゃんが扇を振り下ろす。
それが合図だった。
◇
戦闘――と呼ぶには、あまりに一方的な「お掃除」だった。
「――斬!」
ベルが一閃するたびに、衝撃波が真空の刃となって走り、帝国軍の先鋒部隊がデコピンを食らったように吹き飛ぶ。
鎧も盾も関係ない。彼女の剣には今、「レティ様への愛」という物理法則を無視した概念エネルギーが乗っている。
「――爆ぜろ」
レンが指を弾く。
「魔王」と称された巨大魔導兵器の足元に、ピンポイントで空間断裂が発生する。
巨大な鉄の塊が、バランスを崩して無様に転倒する。
その関節部分に、ソフィアちゃんの計算通りの「構造的弱点」を突く雷撃が吸い込まれ、ド派手な花火となって爆散した。
やはりこのコンビ(レン&ソフィア=パワー&計算)、最強だわ。
「うわぁぁぁ! なんだあの女たちは!?」
「化け物だ! 王宮騎士団と魔術師団が連携しているなんて聞いてないぞ!」
「退け! このままじゃ全滅する!」
帝国兵たちの悲鳴。
彼らは「王国は王妃の乱心で弱体化している」という情報を信じて攻めてきたのだ。
まさか、その王妃が敵(私)に甘やかされ、さらに全勢力が「レティ様親衛隊」として団結し、過去最強の布陣になっているとは夢にも思わなかったでしょう。
「……あーあ。もう壊れちゃった」
レンがつまらなそうに降りてくる。
ベルが剣を納め、髪をかき上げる。
エレナが「怪我人はいませんか?(主に敵兵の)」と走り回っている。
勝負あったわね。
私は立ち上がり、呆然と立ち尽くす敵の総大将――煌びやかな軍服を着た、ガレリア帝国の第三皇女のもとへ歩み寄った。
「……ば、馬鹿な……。我が国の最新鋭兵器が、たった数分で……」
皇女は震えている。
若く、プライドが高そうで、そして……すごく「無理をしている」顔だ。
眉間の皺。爪を噛む癖。
ああ、この子も「迷子」ね。
「ごきげんよう、殿下」
私が声をかけると、彼女はビクリと飛び上がった。
「き、貴様! 何者だ! この化け物どもを操る黒幕か!?」
「黒幕だなんて。……ただの、お節介な未亡人ですわ」
私はマリアに目配せをし、ワインボトルを取り寄せた。
年代物の赤ワイン。
ラベルを見た瞬間、皇女の目が釘付けになる。
「そ、それは……ローゼンタール領の、幻のヴィンテージ……!?」
「あら、お目が高い。……これ、貴女様がずっと探していらしたのでしょう?」
私の情報網は、彼の個人的な趣味嗜好も把握済みだ。
彼女は本来、軍事よりも、骨董やワインの収集に情熱を注ぐ文化系女子。
今回の侵攻も、武闘派の兄たちの間に挟まれ、「手柄を立てるしかない」と焦って、嫌々やってきたに過ぎない。
「こ、これを……私に……?」
「ええ。……戦争なんて埃っぽい遊びは止めて、あちらのテントでテイスティング会でもいかが?」
私はニッコリと微笑み、グラスを差し出した。
「……この戦争に勝てば、このワインも、私の屋敷のコレクションも、全て戦利品として差し上げますわ。……ただし、私とお茶をして、私を『口説き落とせ』たら、の話ですけれど」
挑発と誘惑。
皇女はゴクリと喉を鳴らした。
目の前には、無敵の美女軍団と、憧れのワイン。
背後には、怖い兄たちと、泥臭い戦場。
彼女の選択は早かった。
「……こ、降伏する!」
彼女は剣を投げ捨てた。
「私は……文化的な交流を望む! そう、これは侵略ではなく、親善訪問だ!」
「賢明なご判断ですわ」
◇
一時間後。
戦場は、奇妙な野外パーティー会場と化していた。
帝国兵たちは武器を置き、マリアたちが振る舞う炊き出し(カレーライス)に舌鼓を打っている。
皇女は私のテーブルで、顔を赤くしてワインのうんちくを語り、ヒルデガルド様に「貴国の文化レベルは素晴らしい」と熱弁を振るっている。
「……ちょろい、もとい、可愛い人」
私は紅茶を啜り、その平和な光景を眺めた。
血を一滴も流さず、敵を「飲み友達」に変える。
これが、私の全肯定革命の最終形態。
「レティ様。……また一人、骨抜きにしましたね」
ベルが苦笑しながら、私のカップにお湯を足してくれる。
「でも、良かったのですか? あの皇女、帰国したら『レティ様ファンクラブ・帝国支部』を立ち上げると息巻いていましたが」
「あら、光栄だわ。……世界中に甘い場所が増えるのは、良いことよ」
私は微笑み――ふと、視界が揺らぐのを感じた。
「……レティ様?」
カップを持つ手が、微かに震える。
指先の感覚が遠い。
世界が、水槽の中にいるようにぼやけていく。
(……ああ、そういえば)
ここ数ヶ月間。
出戻ってから今日まで、私は一度も休んでいない。
マリアを救い、ベルを解きほぐし、レンを拾い、ソフィアちゃんを励まし、エレナを癒やし、ヒルデガルド様を受け止め、国を回し、戦争を止めた。
私の頭脳は、常にフル回転で他者の感情を処理し続けてきた。
「全肯定」とは、相手の負の感情を一度自分が飲み込み、浄化して返す作業だ。
その澱が、私の許容量を超えて蓄積していたことに、気づかないふりをしていた。
「……レティ? 顔色が悪いわよ」
ヒルデガルド様が気づく。
彼女の声が、遠くから響くように聞こえる。
「……大丈夫、ですわ。……少し、眩暈が……」
立ち上がろうとして、膝から力が抜けた。
重力が、数倍になったように感じる。
視界が暗転する。
「レティ様!!」
「奥様ッ!!」
誰かの悲鳴。
ガシャーン、とカップが割れる音。
私の体は、スローモーションのように傾き――。
(……ああ、やっと)
薄れゆく意識の中で、私は思った。
これでようやく、私も「甘やかされる側」に回れるのかもしれない、と。
温かい闇が、私を優しく包み込んだ。




