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第23話 革命はベッドの上で

朝の光が、分厚いベルベットのカーテンの隙間から差し込んでいる。

目覚めの感覚は、いつものローゼンタール家のベッドよりも遥かに重く、そして甘ったるい。


「……んぅ……レティ……」


私の胸元に、小動物のように顔を埋めてくる温かい重み。

見下ろせば、そこには王国の最高権力者、王妃ヒルデガルド様の寝顔があった。

かつて鉄壁と謳われたプラチナブロンドは、今は無防備に広がり、私のネグリジェに絡みついている。彼女の両腕は、私を抱き枕か何かと勘違いしているのか、がっしりと腰に回され、ロックされていた。


「……動けないわ」


私は天井を見上げた。

そこにあるのは、天使が戯れるフレスコ画。

ここは王城の奥深く、王妃の私室にある天蓋付きベッドの中だ。

昨夜の「断頭台(膝枕)」の刑が執行された後、彼女は「離れるのは嫌」と駄々をこね、結果として私はこのベッドに連行されたのだ。


「……おはよう、レティーティア殿」


ベッドの脇から、重厚で、しかしどこか疲労の色が濃い声がした。

視線を横に向けると、そこにはサイドテーブルに肘をつき、渋い顔でコーヒーを啜る国王陛下(フレデリック様)の姿があった。


「おはようございます、陛下。……昨夜は、よく眠れましたか?」

「ああ。妻が他人の女の腕の中で熟睡している寝息をBGMにしてな。……おかげで目が冴えてしまったよ」


陛下が苦笑する。

嫉妬と安堵が入り混じった、複雑な男心。

本来なら不敬罪で処刑されても文句は言えない状況だが、彼には私を責める気力も理由もないらしい。


「……むにゃ……レティ……行かないで……」


ヒルデガルド様がうわ言を漏らし、更に強く抱きついてくる。

その力加減は、とてもか弱い深窓の令嬢とは思えない。ゴリラ……いいえ、野生の熊のような執着心だ。


「ご覧の通りだ。……あの『鉄の女』が、完全に幼児退行してしまった」


陛下がコーヒーカップを置き、深いため息をつく。


「国政はどうするつもりだ。今朝も決裁待ちの書類が山積みだぞ。……私がやろうとしたら、『レティの許可がないと判は押しません』と追い返された」


「あら」

「この国の最高決定権者は、いつの間にか君になったらしい」


陛下が肩をすくめる。

冗談めかしているが、目は笑っていない。

国家の危機管理クライシス・マネジメントとして、王妃の機能不全は大問題だ。


私はため息をつき、ヒルデガルド様の頬を指でつんつんと突いた。


「……ヒルデガルド様。朝ですよ」

「……んん……あと五分……」

「起きないと、膝枕の刑を終身刑から執行猶予に減刑しますよ?」


「ッ!?」


その脅しは効果覿面だった。

ヒルデガルド様がバッと飛び起きる。寝癖のついた髪、充血した目。けれど、その瞳には「レティへの依存」という新たな輝きが宿っている。


「お、おはよう、レティ! ……減刑は嫌よ。私はまだ、十分に罰を受けていないもの」

「おはようございます。……貴女、罰の意味を履き違えていませんか?」


彼女は私の腕にしがみついたまま、傍らの夫(国王)にようやく気づいたような顔をした。


「あら、フレデリック。……いたの?」

「ずっといたよ。……ヒルデガルド、宰相が来ている。物流の再開と、教会の事後処理について指示を……」

「後にしてちょうだい。今、レティと朝のスキンシップ中なの」


「……」


陛下が私に助けを求める視線を送ってくる。

『なんとかしてくれ』という無言の悲鳴。

やれやれ。全肯定未亡人の仕事は、夜明けと共に始まるのね。


「ヒルデガルド様。……お仕事、しましょうか」

「嫌よ。書類なんて見たくない。……インクの匂いを嗅ぐだけで吐き気がするの」


彼女が布団を被ろうとする。重度の燃え尽き症候群バーンアウトだ。

無理もない。数十年分の過労が一気に噴き出したのだから。


けれど、国を止めるわけにはいかない。

私は元・天才令嬢の頭脳で、瞬時に「甘い解決策」を構築した。


「では、ここでやりましょう」

「え?」

「このベッドの上で。パジャマのままで。……私が、貴女の代わりに書類を『選別』して差し上げます」


          ◇


数分後。

王妃の寝室は、前代未聞の「パジャマ御前会議」の場と化した。


ベッドの上には、クッションに埋もれた私とヒルデガルド様。

ベッドサイドには、椅子に座った国王陛下。

そして部屋の入り口付近には、マリア、ベル、レン、ソフィアちゃん、そして招集された宰相や大臣たちが、呆然と立ち尽くしている。


「……えー、では。第一議題。教会領の没収と再分配についてですが……」


宰相が恐る恐る書類を読み上げる。

ヒルデガルド様は私の肩に頭を乗せ、つまらなそうに欠伸をした。


「……面倒だわ。全部燃やしてしまえば?」

「なりません!」


宰相が悲鳴を上げる。

私は王妃様の頭を撫でながら、書類を横から覗き込んだ。


「没収は可哀想ね。……『管理委託』という形にして、教会の孤児院や施療院の運営権だけ、国が預かりましょう。エレナを最高責任者(名誉職)にして、実務はソフィアちゃんが担当。……これで、子供たちは救われるし、教会の面目も保たれるわ」


私の提案に、ソフィアちゃんが目を輝かせて手を挙げた。


「賛成ですわ! わたくし、教会の帳簿には興味がありましたの!」

「エレナも、子供たちの世話なら喜んでやると思います」


ベルが補足する。


「……だ、そうです。ヒルデガルド様、いかがですか?」

「……レティがいいなら、それでいいわ」


王妃様が即答する。

宰相が陛下を見る。陛下は諦めたように頷く。


「……採用だ。次」


「は、はい。次は……隣国との通商条約の更新について。関税の引き上げを要求されていますが……」

「拒否よ。……うるさい国ね、滅ぼしましょうか」


王妃様が物騒なことを言い出す。

私は彼女の口元に、マリアが用意したイチゴを放り込んだ。


「んぐっ」

「滅ぼすのは野蛮よ。……関税は据え置き。その代わり、向こうの王子様が欲しがっていた『ローゼンタール家の秘蔵ワイン』を数本、プレゼントにつけてあげましょう。……あの王子、収集癖があるから、限定品には弱いのよ」


「……なるほど。……採用」


次々と決まっていく国策。

その基準は、「効率」や「権威」ではない。「みんなが笑顔になれるか」「私が甘やかせるか」という一点のみ。

驚くべきことに、この「全肯定メソッド」による意思決定は、従来の恐怖政治よりも遥かにスムーズで、かつ的確だった。

大臣たちの顔色が、次第に「困惑」から「崇拝」へと変わっていく。


「すごい……。長年の懸案事項が、数秒で解決していく……」

「これが、レティ様の『善意の独裁』……!」


会議が終わる頃には、ベッドの周りには「レティ様ファンクラブ(予備軍)」と化したおじ様たちが、目をキラキラさせて群がっていた。


「……素晴らしい。我が国は生まれ変わるぞ!」

「レティ様、ぜひ我が省の顧問にも!」


「こら、近づくな! レティは私のものよ!」


ヒルデガルド様が威嚇する。

その姿は、かつての氷の女王ではなく、お気に入りのお人形を取られまいとする少女そのものだ。


陛下が、やれやれと立ち上がった。


「……やれやれ。私の妻は、完全に『骨抜き』にされてしまったな」

「申し訳ありません、陛下。……返品不可となっております」


私が微笑むと、陛下は珍しく声を上げて笑った。


「ハハハ! 構わんよ。……あんなに幸せそうな顔を見るのは、結婚前以来だ。……礼を言うよ、革命家殿」


陛下は私の手を取り、恭しくキスをした。

それを見たヒルデガルド様が「フレデリック! ズルい!」と抗議し、私のもう片方の手を奪い合う。


なんて平和で、堕落した朝なのかしら。

王国の中心で、革命はベッドの上で成し遂げられた。

血は一滴も流れず、流れたのは大量の紅茶と、甘いお菓子と、そして愛だけ。


「……さて。これで少しはゆっくりできるかしら」


私は伸びをした。

マリアが新しい紅茶を注いでくれる。

その香りに包まれて、私は二度寝を決め込もうと――した、その時だった。


バタン!!

扉が勢いよく開かれた。

転がり込んできたのは、伝令の兵士だ。


「へ、陛下! 一大事です! き、緊急事態発生!」


「なんだ、騒々しい。……コーヒーがこぼれるだろう」


陛下が不機嫌そうに眉を寄せる。

兵士は青ざめた顔で、震える指で窓の外、北の空を指差した。


「り、隣国の……ガレリア帝国より、急報! ……『魔王』が復活したとの情報あり! 国境付近に、正体不明の軍勢が出現しました!」


「……は?」


部屋の空気が凍る。

魔王。

それは御伽噺の中の存在。数百年前、初代聖女と勇者によって封印されたとされる、災厄の化身。


「魔王……? そんなバカな」


レンが飛び出し、窓の外を睨む。

彼女のアメジストの瞳が、微かに揺れた。


「……嘘じゃないかも。……北の空、空気が歪んでる。……すごい魔力だ。王城の『宝珠』なんか目じゃないくらい、ドス黒いのが……」


「……あらあら」


私はカップを置いた。

二度寝はお預けね。

せっかく国内を「全肯定」で統一したと思ったら、今度は国外から「全否定」の象徴(魔王)がやってくるなんて。


「レティ、どうするの? ……私、もう戦いたくないんだけど」


ヒルデガルド様が、不安そうに私を見上げる。

私は彼女の頭を優しく撫でて、ニッコリと微笑んだ。


「大丈夫よ。……魔王様だって、きっと寂しいだけなのよ」


「……はい?」


「数百年も封印されて、お腹が空いて、誰にも構ってもらえなくて……拗ねて出てきただけかもしれないわ」


私は立ち上がり、パジャマの裾を翻した。


「行きましょう。……新しい『迷子』にお茶とお菓子を届けてあげなくちゃ」


私の辞書に「敵」という文字はない。

あるのは「まだ懐いていないお友達」だけ。

たとえ相手が魔王でも、私の全肯定(と膝枕)で、甘く溶かして差し上げるまでよ。



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