宿命
「ハイホー!」
御者の掛け声とともに、馬車が進み始めた。馬車は見たことがないような立派な馬車で、宿舎から校舎までの林の道を走っているにもかかわらず、ほとんど揺れが感じられない。車軸の音で、ろくに話も出来ない我が家の馬車とは大違いです。
ドミニクさんやミカエラさんとも会えたし、ある一点以外は何の文句もありません。問題は目の前に座る奴です。
「どうして、あなたがいるんです?」
私の問いかけに、イアン王子はわざとらしく首をかしげて見せた。
「私も生徒代表役の一人だから、同じ馬車で会場に向かうのは合理的だと思うがね?」
「大問題です。いやらしいのが移ります」
それを聞いたイアン王子が、馬車の鎧戸の隙間を開けた。そこから流れ込む風が、私の赤毛をわずかに揺らす。
「これ以上開けると、侍女殿の努力が無駄になるだろうから、これで我慢してもらえないだろうか?」
確かに窓を全開にしたら、マリが何とかしてくれたくせ毛が元に戻ってしまいます。でも、どうしてこの男はいちいち嫌味を言わないと気が済まないんですかね? やはり、前世で出会った男たちと同じで、嫌味を言わないと息が吸えないとしか思えません!
「それに、君は勘違いをしているようだ」
椅子に座りなおしたイアン王子が、私に向かって肩をすくめる。
「肩をすくめたいのは私の方です。あれのどこに、勘違いの余地なんてあるんです?」
どう見ても男女の秘め事ですよ。前世で肉屋の娘が隠し持っていた本に、事細かく書いてあったやつです。
「別に何もやましいことなどしていない。カサンドラ嬢が私の髪についたホコリを取ろうとして、体勢を崩した。それだけの事だ」
やっぱり、この男は何も分かっていません。
「違います。カサンドラさんはイアンさんに特別な好意をもっていて、その結果なんです」
私のセリフに、イアン王子が驚いた顔をする。何でそんなに驚く? 私だって女の端くれですから、カサンドラさんがあなたに好意を持っているのかどうかぐらい、すぐに分かりますよ。間違いなくべたぼれですね。
だけど、クレオンさんみたいな超イケメンの幼馴染がいるのに、どうしてこの嫌味男なんだろう? 隣の芝生は青いにしても、気の迷いとしか思えません。
「仮にそうだとしても……」
「そうだとしても、何です?」
私の問いかけに、イアン王子は首を横に振った。
「私個人では決められない問題だよ」
「それも違います。自分の伴侶ぐらい、自分で決めるべきです。他の誰かに決めてもらうものではありません」
それを聞いたイアン王子が、あっけにとられた顔で私を眺める。
「君だって侯爵家の長女だろう? 僕らに自由はない。そんなことぐらい、君だって分かっているはずだ」
「はい」
私はイアン王子に頷いた。落ち目のカスティオールでも、自分で手を動かすことなく、日々の糧を得ている。それには代償があることぐらい分かっています。
「それでも、間違いは間違いです。誰もがそう思っている、思っていたはずの事です。そんなことを続けることに、何の意味もありません」
「それはそうだが……」
「それを決めている人と、話をするぐらいは出来るはずです。その努力すら無しに、諦めていませんか? 仮にそれが叶わなくても、自分が決める立場になった時に、繰り返したりせず、やめさせればいいだけの話です」
それを聞いたイアン王子が、考え込むような顔をした。
「ならばフレデリカ嬢、君はどうなんだ? 君が一緒になりたい人と出会い、それが認められなかった時は?」
「残念ながら、その様な方はまだいません。ですが、もしその様な方が現われて、誰も認めてくれない時は家を出ます」
「駆け落ちかい?」
「別に逃げたりはしません。自分の手で日々の糧を得る。それだけの事です。そもそも、家を継ぐのか継がないのかも、本人が決めるべきもので、誰かに強制されるものではないと思います」
これは私の詭弁だ。ほとんどの人には選択の余地などない。前世の私も同じだった。父と母が残してくれた八百屋を引き継ぐ以外、食べていく術など無かった。そして生き抜くために、それを捨てた。いや、本当か? 単に白蓮に騙されただけな気もするぞ……。
「フレデリカ嬢、私たちはそうではない。そう言う宿命の元に生まれて来た」
「宿命って何です? 勝手に私たちの未来を縛るものだとすれば、それ自体が間違っています」
「間違っていることを続けることに、意味がないのには同意する。それでもフレデリカ嬢、私以外の前でその話はしない方がいい。君の未来に係わる」
「私の未来の心配より、カサンドラさんを――」
どうするつもりなのか、肝心なことを聞こうとした時だ。制動版の耳障りな音と共に、馬車が止まる。どうやら会場についたらしい。
「まずは目の前の厄介ごとを片付けよう」
確かに、今日はセシリー王妃様に、スオメラ大使までもが来る。ここで何かやらかしてしまうと、お父様はもちろん、カミラお母様やアンにまで迷惑をかけてしまいます。
「先日の予行演習の内容を忘れないように」
余計な一言を告げつつ、イアン王子が私に腕を差し出してくる。それを取って馬車の外へ出た。辺りには剥き出しの地面の殺風景な景色が広がっているだけ。その先に見える神殿みたいな円柱に囲まれた剣技場と、背後にそびえる白亜の塔の存在が、不気味さすら与えて来る場所だ。
以前に、イサベルさんと白亜の塔に来た時の、素朴な原っぱの面影はどこにもない。そう言えば、以前もどこか薄気味悪いところがあったけど、少なくとも鳥の鳴き声ぐらいは聞こえていた気がする。それに、あれだけあった草を全部刈ったのだとすれば、かなりの重労働だったことだろう。ハッセ先生以下、教職員の皆さんんが、目の下にクマを作っていたのがよく分かる。
「あれ?」
でも会場を見渡しつつ、思わず疑問の声が出た。確かに例の神殿みたいな競技会場も見えるから、間違いなくここが会場のはずだけど、他に人がいない。
「みんな寝坊でもしているのかい?」
御者台から降りてきたドミニクさんも、呆れた声を上げた。ミカエラちゃんも、マリの影から不安そうに辺りを見回している。
「時間通りのはずだが……」
そうつぶやきつつ、イアン王子が私の顔を眺める。あのですね、書類の束を見る必要がないと言ったのは、そちらですよ。今さら私に聞かれても困ります。
ギィ――!
不意に背後で制動盤の音が響く。同時に、私たちが乗ってきた馬車と同じような黒塗りの馬車が数台、垣根の間から広場へ飛び込んでくるのが見えた。




