第三話 頼るべき唯一の友人ヘ
帝国歴七八四年五月六日。
頼るべき唯一の友人ヘリックス・ベル・ベンゼン殿
昨日、我らの友人ドミトリーに手紙を送った。引き続き君に手紙を書こうとしたが、末妹の帝都留学の準備や国境に現れた不審者などの対応で、筆を執る気力がなく間が開いてしまった。それゆえにこの手紙を書いているいま、私は心配で胸がはちきれそうだ。
この胸がはちきれそうだ。というのは公子があがめる双丘教団が喜ぶ意味ではない。単純に私が心配しているという意味だ。間違えないでほしい。
ヘリックス、君の知らせのおかげで、公子には婚約破棄についていくつかの助言ができた。その点には感謝している。ただ、一つ問題があるとすれば、私の手紙が届くまで公子が婚約破棄を口にせずにおられるかということだ。
手紙を読む限り公子は「真実の愛」を叫びたくてうずうずしているようだ。きっと帝都の中心でなくとも愛を叫ぶだろう。だが、いまは叫ぶべきではない。
君は「ボクがいるから大丈夫ですよ」なんていうかもしれないが、それで大丈夫だった記憶が私にはない。ノーリミト男爵夫人のときもイグーロス夫人のときもその「大丈夫」を信じてひどい目にあったのを私は忘れていない。
ノーリミト男爵夫人のとき、私は君のかわりにノーリミト男爵と代理決闘を行った。帝都守備副隊長のノーリミト男爵の剣技は実に強烈で、私の自慢の宝剣は切先から帝都の路地へ飛び去り、正面から剣を受けた盾は魚のように半身になった。最後は辛勝できたが命の危機だった。
イグーロス夫人のときはさらにひどく、なぜかイグーロス夫人の亭主は不倫相手が私だと思い込んだあげくに、正体不明の暗殺者を二人も送り込んできた。生きる伝説とも言われた二人の暗殺者――。
一人は因果応報のプロテシア。もう一人は宵闇料理のシャルロット。私は暗殺者の執拗な攻撃を避け、また生涯で最初で最後と思われる意外な裏切にあった。
それでも私は魔手、魔弾、魔剣、魔鎗といった魔のつく凶刃から身を守り、私が間男ではないことをイグーロス夫人の旦那に伝え、平穏を取り戻した。あの七日間を思い出すと私は目を閉じることもできない。
無論、幼いころに母上を亡くし、その面影を人妻に見出すヘリックスの心中はよく分かっているつもりだ。だが、いま私は帝都にいない。
帝都を出て辺境の守備をしている私には、手紙を送ることしかできない。学術院の様子や帝都の様子。そして、貴族の様子もここからでは把握できない。友人である君や公子の心配をしても何一つできないかもしれない。
だから、もしである。
もし、私の手紙より先にドミトリーが婚約破棄を叫べば、貴族の多くは大きすぎる大公家の権威や利権を削ぐためにもハミルトン侯爵にすり寄るだろう。帝室側もハミルトン侯爵に傾くかもしれない。帝室がこれ幸いと婚約破棄されたハミルトン侯爵息女エリーとフィリップ第二皇子の婚姻に動き出せば、大公家は内乱を起こすか、没落を覚悟するしかない。
家の興亡は貴族としての家業だと割り切れるが、一人の友人としては公子が横死するのはあまり見たい未来ではない。ヘリックス。いまはお前だけが頼りだ。彼が不利な状況に陥らないように気をつけてくれ。
あと私は、ドミトリーにもお前にも幸せになって欲しいと、思っている。
だから、公子が婚約破棄を叫びかけているいまだけは人妻のことを忘れるんだ。お前になにかあれば公子を助ける者はいない。さらにいえば公子がいなければお前を守ってくれる友人は帝都にいない。だからいまだけは人妻という言葉を忘れてほしい。
それはそうと、前回の手紙でフローレンに恋人ができたのではと、書かれていたが相手は誰だ?
身分はきちんとしているのか?
素行は悪くないのか?
すぐに婚約破棄とか言い出すような奴ではないか?
教えてくれ。
決して未練から言っているわけではない。ただ、彼女に一度は心を染められた身として、彼女の未来を案じて聞いているのだ。それは、ドミトリーやお前の未来を心配しているのと同じ気持ちだ。いまでも彼女のことがとか。彼女も俺のことが今でも好きなんじゃないかとか。そういうことは考えていない。
本心からの友情だ。
だから、邪推などせずに教えてほしい。
友情を守る騎士 アキレウス・ベル・アーチミティア。




