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 〃 (2) 彼の世界

 息子――

 と、宇佐美蒼司は言った。

 僕に向かって。

 

 

 

-+-+- 第14話(2) 「彼の世界」 -+-+-

 

 

 

「どういう、意味ですか……?」

 意味がわからず、僕はおそるおそる静かに訊く。

「そんな化けものに会ったような顔するなよ。……いいからまずは座れよ」

 悪ガキが十年来の親友を歓迎するように蒼司は言った。僕はそれに従い、座卓を挟んで彼の正面に腰を下ろした。

 この辺りから僕は彼に対して敵意を覚えはじめていた。わけもなく、本能的にこの人は敵だと感じる。

「なに、難しい話じゃない。お前と俺が血を分けた親子だってだけの話だ。医学的な根拠はこの際おいとけ。調べりゃいくらでも出てくるさ。今はそういう前提で話を進めさせてもらう」

「……」

「信じられないか? だろうな。俺だって半年前に知ったときは同じ気持ちだったよ」

 自分が通った道を同じように辿る僕が面白いのか、蒼司は戸惑う僕を楽しげな顔をして眺めている。

「半年前だ。昔別れた女と会った」

 話の出だしを、蒼司はつまらなさそうに切り出した。

「知ってるか? 十五、六年前だったかな、俺、親父に反発して女と駆け落ちしたんだぜ? これ、業界じゃ有名な話」

「知ってる。友達から聞いた」

「ぶっ。なに、そいつ。コーコーセーのくせして経済誌なんか読んでんの? かっわいくねぇー」

 大げさに仰け反って、可笑しそうに笑う。

「……」

 いや、確かに一夜はかわいげがないけどさ。それは置いとけよ、今は。

 それからまた蒼司は調子を戻して続ける。

「変に金とか力とか持って、口癖のように"宇佐美の名にふさわしい男になれ"って連呼する親父ととことんまで反りが合わなくてな、ある日、当時つき合ってた女と駆け落ちしたんだ。半年ほど逃げ回ったが、ついに捕まって連れ戻され、その女とはそれっきり」

「僕は……?」

「まだ生まれていなかった。俺も、あの女との間に子どもはできなかったものだと思っていた」

 そう言った蒼司の声は少しだけ辛そうに聞こえた。

「この五月にその女とばったり会って、子どもがいたことをおしえられた。驚いたよ。すぐに探して、お前を見つけた」

 お前を、というところで蒼司は真剣な顔で僕を見据えた。

 これが僕の父親――

 頭が、混乱している。

 当たり前だ。いきなりそんなことを言われても、ああ、そうですか、と納得できるはずもない。

 そのとき、「失礼します」と声がして、障子がすっと開けられた。先ほどの女性だった。

「お料理をお持ちしました」

 続けて大きな盆を持った女性が三人入ってきて、次々と皿を並べはじめた。僕は今のうちに情報を整理しておこうと思いついた。

 今から十五、六年前、宇佐美蒼司は当時交際のあった女性と駆け落ちをした。が、程なく家の人間に見つかり、連れ戻される。その際に女性とは別れることとなったが、その後、女性は密かに蒼司との子を産んんだ。しかも、その事実を彼は知らなかった。

 そして、その子どもは……。

「よぉ」

 思考する僕に、蒼司が呼びかけた。

「たばこ、吸っていいか?」

 そう聞きながら蒼司は、すでにたばこの箱を手にしていて、抜き出した一本を口にくわえたところだった。胸のポケットからライタを出してくる。

「嫌です。近くで吸われるは嫌いです」

 途端、ぽろっ、と蒼司の口からたばこが落ちた。

「マジ? うわあ、息子に嫌われたらシャレになんねぇ。俺、今日からたばこやめるわ。金輪際やんねぇ。女将、悪いけどこれ処分しといて」

 急におたおたしながら蒼司はたばことライタを重ねて差し出した。女将と呼ばれた女性はくすくす笑いながらも「かしこまりました」と、それに手を伸ばす。

「いや、待て。ライタは勘弁。これけっこう高かったしな」

「……」

 意外にセコい。

 やがて座卓の上に色とりどり料理が並べられた。女将さんたちは退室し、小座敷は再び僕と蒼司だけになった。

「遠慮せずに食えよ」

 しかし、僕は到底そんな気になれなかった。

「その、僕を産んだ女性って……」

「ああ、生きてるよ。ピンピンしてやがる」

「……」

 次の言葉が出てこない。その人が健在なことを知っても、自分がどうしたいのかわからない。

「まあ、素直に会いたいとは言えないよな」

 僕の気持ちを代弁するように蒼司は言った。

「尤も、お前がそう言ったところで、俺は会わせるつもりもないし、あの女についておしえる気もないけどな」

「なんでだよ!?」

「あいつはお前を捨てた」

「……、ぁ……」

 今更ながら突きつけられた。

 僕は親と死別したわけでも、やむを得ぬ事情があって生き別れたわけでもなく、ただ捨てられたのだという事実――。

「僕は、なぜ……」

「捨てられたのか、か? それはな、お前が使えなくなったからだよ」

「使えない……?」

「この前、白状しやがった。あの女はな、宇佐美の財産目当てで俺に近づいてきたんだよ。だから、俺が家に連れ戻された後もガキができたことをネタに再三再四金を要求してきたらしい。だが、それもお袋が頑として断り続けた。そして、最後の手段として腹の中にいたお前を生んだ。これっきりだという条件でついにまとまった金を手に入れたあの女は、これで用なしとばかりにお前を捨てやがった」

 テーブルの上におかれた蒼司の拳が強く固められる。

「そんな……」

「情けないことに、そのやり取りは俺の耳に入ってこなかった。知っていればこんなことにはさせなかったんだがな。……つまり、あいつはそういう女だってことだ。そんなやつをお前には会わせられない。忘れろ」

 きっぱりと蒼司は言い切った。

 それはきっと僕のことを思って言った言葉なのだろう。それはよくわかった。ここで僕がどうしても会いたいと主張しても、彼は譲りはしないだろうし、実際のところ、僕自身もそういう気持ちにはなれないでいる。……少なくとも今は。

 よって、そのことに関しては保留にする。

「まあ、これまでの経緯はざっとこんなものだ」

 僕が自分の気持ちにとりあえずの整理をつけたことが伝わったのか、蒼司は話をそうまとめた。

「終わったことを今グダグダ言っても話は進まねぇ。ここからが本題だ。……お前、俺のとこにこないか?」

「……」

 たぶん、そんなところだと思っていた。彼が僕の親だと名乗ったときから、こういう提案をしてくる気はしていた。

「お前がいることを知らなかったとはいえ、今まで放り出していたことは事実だ。だから、これからは父親としてお前にちゃんとしたことをしてやりたい。幸いにして金だけは世間が羨むほどある。もう辛い思いはさせない」

「辛い……」

 真剣そのものの蒼司の言葉に違和感を覚え、僕は無意識に反復していた。

「どうした?」

「あ、いや……。ああ、そうか。僕、今まで辛いと思ったことがないんだ」

 そう口にして今感じた違和感にひとまずの解答をつける。

「バカヤロ、てめ。そりゃお前が辛いと認識してないだけだ。世間一般じゃお前は同情される境遇なんだよ」

 悪ガキが呆れたように言う。

 まあ、そうなんだろう。そういう言葉は散々投げかけられてきた。普通に不幸と呼ばれる生い立ちなんだろうけど、実感がない。

「仮に僕があなたのところに行くとすると、今の生活はどうなる?」

「悪いがこっちは別世界だ」

「お断りします」

「少しは考えろよ」

 蒼司は苦笑。

「だが、きっと今以上のものを用意してやれる。しばらくは俺の片腕として働いてもらうことになるが、いずれは跡を継がせてやるつもりだ」

「そういう問題じゃない。僕には両親がいる。そう簡単に今の生活を捨てられない」

「わかっている」

 と、蒼司は少し寂しげに返した。

「俺だって軽々しく考えてるわけじゃない。お前を育ててくれた千秋の夫婦には土下座してでも許してもらうつもりだし、死なねぇ程度に殴られる覚悟もある」

「それでも僕が納得できない」

「嫌か?」

「嫌です」

 断言する僕の返事を聞いて、蒼司は斜め下を向いて考えはじめる。

 やがて――、

「じゃあ、今日の話はなかったことにしてだな、知らねぇふりして奈津と結婚するか?」

「できるかっ!」

 いきなりそんな問題発言をするか、フツー。ちっ、とか舌打ちすんな。本気だったのかよ。第一、それじゃ何の解決にもなってない。

「そういえば、奈っちゃんはこのことを?」

「ああ、知ってる。なにせ奈津をお前に近づけたのだって、お前がどういう人間か見にいかせるためだったからな」

 蒼司はあっさり白状した。

 思えば奈っちゃんは七月に会ったときから僕のことを「お兄様」なんて呼んでやがったな。今更だけど、僕と奈っちゃんって異母兄妹になるのか。

「って、ちょっと待て。じゃあ、何か? 七月からすでに僕のことは知ってたのか?」

「まあな」

 あっけらかんと言う。

「だったら何ですぐに会いにこなかったんだよ。親だろ!?」

「あー、だって、あれじゃん? 自分の息子になるやつがキレやすい今どきの高校生みたいなやつで、今にも人刺しそうだったら嫌じゃん?」

「この……っ!」

 思わず僕は手近にあったオレンジジュースのビンを逆さにつかむ。殴るべきか投げるべきか迷う。

「待て待てっ。実はお前、そのクチか!?」

 この場合、殺意を覚えても仕方がないと思うのだが、どうだろう?

 蒼司になだめられて、とりあえずビンから手を離す。それから何だか馬鹿らしくなって、ため息を吐く。

「帰る」

 僕は腰を浮かせた。正座から膝立ちになる。

「そうか。……今の話、考えておいてくれないか?」

「考えるまでもない。あなたは、僕が生まれや境遇を辛いと認識していないだけだと言った。でも、そうじゃない」

 そうだ。これが違和感の正体だ。

「僕は今も、教会にいたときですら本当に辛いと思わなかった。だって、いつでも周りにはよくしてくれる人がいっぱいいたから。そういう人たちに支えられてできた今の生活を、捨てるなんて僕には考えられない」

 その言葉を拒絶の意志の表明として、僕は立ち上がった。

「わかっている」

 と、蒼司はまた同じ言葉を口にした。

「奈津から話を聞いて、遠目だが二、三度この目で直にお前を見て、意外に幸せそうに生きているじゃないかって思ってたよ。だから、最初はそのままそっとしておくつもりだった。だが、やっぱりお前は俺の息子なんだ。見てるだけじゃなくて、何かしてやりたいと思うんだ」

 蒼司は苦しそうに、血を吐くように言葉を絞り出した。

「……」

 けれど、僕の意思表示はすでにすんだ。これ以上言うことはない。僕は彼に背を向けて、障子に手をかけた。

 と――、

「那智」

 名前を、呼ばれた。

「あきらめて下さい」

「じゃあ、せめて気が向いたときでいい。会いにきてくれ。お前のためなら無理矢理にでも時間をつくってやる」

「……気が向いたら、ね」

「ああ、それでいい。今は、それでいい」

 背中越しの蒼司の声に安堵の色が混じる。

 でも、僕はたぶん気が向くことはないと思っている。ましてや、例え蒼司が実の父親でも、今の生活を捨てて彼のもとに行くことなんて絶対にないだろう。

 僕は障子を開けて廊下に出た。ここにきたときとは逆を辿る。

「……」

 不意にわけもなく司先輩に会いたくなった。

 それは、たぶん、ばたばたしながらもシンプルな毎日に思わぬノイズが入ったせいだろう。だから強引にでも日常に戻したくなったんだ。

 ……。

 ……。

 ……。

 ああ、そうか。そういうことか。

 僕の小さな世界の、その中心が司先輩なんだ。先輩がいるからこそ僕は今の生活を捨てたくないんだ。

 それが結論。

 言葉にすればいたって簡単なこと。

 今の生活が辛くないって? 違うだろ。そんな言葉じゃ足りないくらい、呆れるほど幸せじゃないか。

 時計を見るともう七時をさしていた。

 変な時間だけど今から先輩に会いに行こう。ここを出たらケータイにかけて、そうしてまず先輩の声を聞くんだ。

 僕は知らず足が速くなっていた。

 玄関に着くと靴を履くのももどかしく、つま先で地面を蹴ってむりやり足を突っ込みながら外へ飛び出した――。

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