第14話(1) 悪童
僕は回想する、先日会った宇佐美蒼司氏のことを――。
「すみませんねぇ、奈津が迷惑をかけたようで」
車中、運転席の蒼司氏は朗らかに言った。
それに対し僕は、思わず「いや、まったくです」と言いそうになった。だって、これからデートだという僕の行く手を阻むわ、腰にしがみついて離れないわで、実際、多大な迷惑をぶっこいた。
「いや、まあ……」
かといってストレートに文句を言うわけにはいかず、歯切れの悪い返事をする。そんな僕の心中を察したのか、蒼司氏は笑って言った。
「ははっ。君は本当にいい子ですねぇ」
その笑いに親しみを感じる。
日本が誇る超巨大複合企業体の若き会長、宇佐美蒼司。実の父親である前会長からクーデターでもってその座を奪い、あらゆる業界へと貪欲に事業を拡大させていっている立志伝中の人――そんな人物評を耳にしていたので、この親しみやすい人柄は実に意外だった。
「うん、奈津から聞いていた通りだ」
何か満足したように言う。
いったい奈っちゃんは僕のことをどんな人間と伝えたのだろうな。
「君なら奈津を安心して任せられます」
「奈っちゃんを?」
「ええ。ぜひ奈津をもらってやって下さい」
「……はい?」
いったい何をのたまわられるか、この人は。
うろたえる僕の横で、蒼司氏はステアリングを握りながら再び可笑しそうに笑う。
「軽いジョークですよ」
……軽いか?
そして、不気味なのは、そんなやり取りにまったく反応しない奈っちゃんだ。彼女は父親に叱られたからか、むっとした顔で後尾座席に座っている。
「まあ、今後のことは近いうちにゆっくりと話しましょう」
そう、宇佐美蒼司氏は言った。
以上、回想終了――。
-+-+- 第14話(1) 「悪童」 -+-+-
昼休み――、
「しつれいしました~」
と、職員室から出たところでばったり司先輩と出会った。
「おりょ? 先輩?」
「あら、那智くん」
ほぼ同時に声を上げる。
「先輩も職員室に呼び出されたんですか?」
「わたしは那智くんみたいにしょっちゅう呼び出されてません」
「はうあっ」
見下すような目で言われたっ。
司先輩内部では、僕はしょっちゅう職員室に呼び出されてるイメージがあるらしい。まあ、ちょっと人より多いかかなぁ、とは思うときはあるけど。
「自分の名誉のために言っておきますが、今日はただ単に今朝配ったアンケートを回収して届けに来ただけですから。……先輩は?」
「わたしは通りかかっただけよ」
何の用事でどこに向かっているかは言わなかったけど、僕が教室に戻る方向と同じらしく、そのまま並んでふたり歩き出した。
実は最近、先輩と話すときは話題に注意している。
先日の先輩の誕生日以来、時々僕らの間に微妙な空気が流れることがある。何度か話すうちに宇佐美奈津、通称奈っちゃんの話題が地雷らしいと気づくに至った。
だから、自然と当たり障りのない話になる。
「十一月も中旬になってくると日に日に寒くなってくるわね」
「ですね。特に女の子は寒そうだ」
何となく前を歩く女の子の足下に目がいってしまう。
「あうちっ」
そして、先輩から膝蹴りを喰らった。けっこう純粋な感想だったんだけどな。仕方なく話題を変える。
「十二月に入ったらすぐに期末テストですね」
「それが終わったらクリスマスに冬休みだわ」
テストの話は光の如く過ぎ去った。
そうなのだ。この先輩、容姿端麗ではあるが成績優秀ではない。学園のアイドルは残念ながらいつも新種の自縛霊か何かのようにボーダラインぎりぎりを彷徨っているのだ。完全無欠のアイドルなんて、現実にはいないということなのだろう。
おかげでこの話題はいつも至極強引にスルーされる。
「そういえば十二月は那智くんの誕生日よね」
「ああ、ありましたね、そんなイベント」
すっかり忘れていた。
「とは言っても、年齢というパラメータがひとつ増えて十六になるだけですけどね」
「あら、そんなことはないわよ。法的な束縛から解放される日が着実に近づいているということだもの」
「……」
いったい何の話だろうな。……まあ、予想はつくけど。きっと先輩の頭の中にはいろんな未来予想図、というか、未来設計図があるのだろう。僕とて設計図の一枚や二枚、ないわけじゃないし。
「そっかぁ。僕、十六か……」
つぶやきながら僕はあることを思い出していた。
それは別にたいしたことではなくて、以前に奈っちゃんに同い年と言われたことだった。これで学年、年齢ともにひとつ上だな、とか何とか。
「どうかした?」
黙り込んでしまっていた僕に先輩が尋ねる。
「あ、いえ、別に……」
「嘘」
なぜだか即座に否定された。
「……女の子のこと考えてた」
「ぶ……っ」
「やっぱりそうなんだ。那智くんが何か考えているときは、たいてい女の子のことなんだから」
いや、そんなこと言い出したら人間のことを考えてる場合、二分の一の確率で女の子ってことになりません? ……もちろん、交友関係にもよるけど。
先輩は、ふーんだ、と歩く速さを上げて先に行ってしまう。
実際、女の子のことを考えてたけどさ、僕の言い分も聞かずに勝手に結論づけて、ひとりで怒るのはあんまりじゃない? どうも最近、先輩って情緒不安定だなぁ。
僕はすぐに先輩の後を追ったがどうも声をかけるのは躊躇われ、結局、三歩うしろをついていくかたちになった。
やがて先輩は渡り廊下に足を向けた。
「あ、えっと……」
僕はそちらに用はない。
それを察したように先輩が僕に言った。声はちょっと固い。
「悪いんだけど、一緒にきて少し手伝ってくれるかしら?」
「え? まあ、別にいいですけど……?」
そう僕が答えると先輩は何も言わず、またひとりでさきさき歩き出す。
相変わらず先輩はどんな用事だとか、何の手伝いだとかは教えてくれない。いったいどこに行くのだろう? 力仕事でもするのだろうか? そんなことを考えているうちに辿り着いたのは――、
「音楽室?」
「そっちじゃなくてこっちよ」
横を見ると先輩が隣の音楽準備室の扉の前に立ち、鍵穴に鍵を差し込んでいるところだった。すぐに鍵が開く。
「入って」
言いながら自分は脇に退き、僕を促した。
「じゃあ、しつれいしま~す」
と言ったところで、もちろん中に人はいないんだけど。
中は倉庫のような感じだった。アコーディオンや大太鼓、小太鼓、普通の音楽の授業では使わないような楽器が置いてあった。隅の方には楽譜立てが無造作に集められていて、棚には楽譜もある。が、どれもこれもあまり使われている様子はない。
ほー、音楽準備室ってこんなんなんだー。有効利用されているかは別として、初めて入った部屋に感心していると、
ガチャリ――
と、背後で鍵の閉まる音が聞こえた。
「!」
閉じこめられた!? 何かの罰ゲームか!? つーか、鍵閉められたところで、また開ければいいだけじゃん、牢屋じゃあるまいし。とか一瞬にしていろんなことを考えながら振り返る。
しかし、そこに司先輩はいた。ただ単に中から鍵を閉めただけらしい。
「……」
司先輩はじっとこちらを見つめていた。射抜くような視線。僕は先輩のその瞳の中に尋常ならざる輝きを見つける。
「あー、え~っと……。な、なんでしょう?」
「なんだと思う?」
ゆっくりと、先輩が忍び寄ってくる。
「さ、さあ……?」
それにあわせるように僕は後ろに下がる。先輩との等距離と、正面の位置を保つようにする。
が、背中に何かが当たった。
棚だ。
つまり、これ以上うしろに下がれない。
次の瞬間、
先輩は一気に距離を詰めてきた。
「……っ!」
パーソナルスペースを充分に侵害する間隔。距離はほぼゼロ。先輩の顔が僕の顔の前にある。
「なにって訊いた? それはね……」
先輩はこの上なおも近づいてくる。
僕の左右の足の間に片脚を差し入れる。僕の腰に両手を回す。かつてこれほど接近したことが……あー、けっこうあるな。
「那智くんがわたしのものだって、思い知らせてあげる……」
先輩は囁く。
これまで聞いたことのない苛烈な言葉を、聞いたことのない凄艶な声で――。
そして、先輩の顔が僕の首筋に迫る。
「……」
首ぃ? 先輩ってトランシルヴァニア出身だったり、体の中で流体生物ゾルーカが共生していたりするのだろうか?
首筋に甘い吐息がかかる。
「わひゃぅ!」
「な、なに!? 変な悲鳴上げて」
先輩の顔が一度離れる。
「いや、だって、先輩の息がかかってくすぐった……おごっ」
鼻っ柱に頭突きを喰らった。
「ムードってものを考えなさい。……やり直し」
「あ、あい……」
なんだか今日はいつも以上に暴力が激しいな。
再び先輩が迫る。
って、やり直すのか!? つーか、僕、襲われてる? 襲われてる!?
と、そこで昼休みの終了を告げる予鈴が鳴った。
ぴたり、と先輩に動きが止まる。
「あら、残念」
さっきまでの艶のある声とは打って変わって、いつもの調子、いつもの三割増くらいかわいらしい声で言った。
「もぅ、なんて顔してるの。冗談よ、冗談」
そう悪戯っぽく笑う。
まったく、質の悪い冗談だ。軽音部じゃなくて演劇部に入ったらどうだろう?
「でも、これに懲りたら、わたし以外の女の子のことは考えないこと。いい?」
「ぜ、善処します……」
が、そう答えた僕に先輩は、じーっ、と半眼で睨む。
やがて――、
「あーあ、ぜんぜん信じられなーい。……けど、まぁいいか」
と言った。
そして、出口へと向かう。その途中、けっこうテキトーな感じで棚から一冊、楽譜を抜き出した。
「あ、これこれ。これが必要だったのよね。……さ、鍵を閉めるわよ。早く出て」
「う、うぃ……」
僕がくる必要なんてどこにもないじゃん、という指摘は飲み込んでおいた。
放課後――、
奈っちゃんの姿を見つけた。何かを……って僕しかいないんだけど、待ち伏せするように校門に立っている。
昼間、司先輩にあんな事を言われたばかりなだけに、あまりに奈っちゃんとは会いたくない。今一緒のところを見られたら、今度は頭からかじられるくらいはされそうだ。
幸い昇降口の扉の中にいるうちに奈っちゃんに気づき、向こうは僕に気づいていない。彼女には悪いが今日のところは顔を合わせないよう裏門から帰ろう。いずれ先輩も落ち着くだろうし。
学校指定の革靴を脱ぎ、手に持ってUターン。別棟へつながるコンクリートの小径のところで再び靴を履き、裏門へ出る。
「なっち先ぱ~い」
……おい。
なぜかそこに奈っちゃんがいた。息を切らせているところを見ると、学園の外周を走って先回りしたらしい。……ちくしょう、気づいてやがったか。
「や、やあ、奈っちゃん。今日はどうしたんだい?」
「なっち先輩に会いにきたに決まってるじゃないですかぁ」
何ごともなかったかのように挨拶する僕もたいがいだけど、いつも通り対応する奈っちゃんもけっこう意地が悪い。
「そう。だけど、今日は用事があって早く帰らなきゃいけないんだ。……じゃあね」
「ダ~メです。今日は先輩に大事な話があって迎えにきたんですから」
と、帰りかけた僕を呼び止めた。
「大事な話? 僕に?」
「はい!」
奈っちゃんは元気よく返事をする。
「だから乗って下さい」
そう言ったまさにそのとき、いつぞやに見た黒塗りの高級車がやってきて目の前で停まった。たぶん、これも奈っちゃんと一緒に正門のほうで待っていたんだろうな。
「先輩、どうぞ乗って下さい」
奈津お嬢様自ら後部座席のドアを開け、再び言った。大事な話とやらは秘密裏にこの中でするということなのだろうか。
「ちゃんと家まで送りますから」
仕方ない。僕は渋々乗り込んだ。すぐに反対側からも奈っちゃんが乗る。中は非常に広く、うちの車とは比べものにならないくらい快適で、且つ、高級感あふれる空間だった。
車は静かに発進する。
「で、話って?」
「さあ?」
「さあって……」
「だって、話があるのは宇佐美じゃなくてお父様ですから」
しれっと言う。
「騙したな」
「そんなことありませんよぉ。大事な話をするのが宇佐美だってひと言も言ってませんし、家まで送ること約束もちゃんと守ります」
「そういう問題じゃないだろ!?」
しかし、奈っちゃんの言葉を裏付けるように、表通りの大きな道路に出た車はあらぬ方向に走り出した。
「お父様がね、今日しか時間が取れないんですよぉ」
奈っちゃんは何とか僕を納得させようとしていたが、僕としては完全に機嫌が悪くなってしまっていて、窓に肘を突いたまま返事もせず、無視を決め込んでいた。
それからもしばらく説得の言葉を発し続けていたが次第に元気がなくなって、車が目的地に着く頃、ついに黙り込んでしまった。僕の方は逆に時間が経つにつれて、こうなったら仕方ないと思いはじめ、機嫌もそこそこ直っていた。それはたぶん宇佐美蒼司という人物への興味も手伝っていたのだろう。
辿り着いたのは一件の料亭だった。
"望月"という名前らしい。外観は純和風の屋敷で、あまり料亭らしさを感じさせず、入り口などはむしろ人に知られることを拒んでいるのではないかとすら思える。それほどひっそりと構えていた。
僕らが車から降りると、中から着物を着た女の人が迎えに出てきた。車の音を聞いて飛んできたのだろうか。
「いらっしゃいませ、お嬢様。お父様が中でお待ちですよ」
「ありがとう」
感情のこもらない声で応じる奈っちゃん。
「……」
あー、奈っちゃんっていいとこのお嬢様なんだなって初めて認識した。今まで叩いたり、突き飛ばしたり、けっこうぞんざいに扱ってきたけど、ちょっと改めた方がいいのかも、とか思った。
和装の女性に案内され、長い廊下を歩く。
やがて廊下の最奥部が見えた頃、案内の女性が立ち止まり、「ここです」と振り返って言った。
「お嬢様方がお越しになられました」
膝をつき、言うと同時に障子を音もなく開ける。
十畳ほどの小座敷。中央に座卓があり、その上座に宇佐美蒼司がいた。
静謐の中で正座し、黙想している。
反応はない。
僕たちが中に入ると背後で障子が閉められた。そうしてからようやく蒼司氏は目を開いた。
「よくきてくれましたね」
そう言っていつもの人懐っこい笑みを見せる。
「急な話になってしまって申し訳ない。なにぶん忙しい身ですので、ぽっかり空いた今の時間を逃すと、次にいつまた君に会えるか。……奈津、お父さんは彼とふたりだけで話がしたい。しばらく向こうに行っていなさい」
「はーい」
ちょっと拗ねたような調子の返事。
と、いきなりこの場に似つかわしくない電子音のメロディが鳴った。どうやら奈っちゃんのケータらしい。スカートのポケットからそれを出して、しばらくサブディスプレイを見つめていたが、程なく不敵にも見える笑みを浮かべた。
「では……」
そう挨拶して奈っちゃんは座敷を出た。
閉められた障子の向こうで「はいは~い」という声が聞こえ、廊下を踏む足音が遠ざかっていく。
彼女が充分に離れるのを待ってから蒼司氏は正座を崩し、あぐらをかいた。顔を上げて僕を見上げ――笑う。
それはまるで悪ガキのような笑み。
そして――、
「まあ、立ってないで座れよ。俺の息子」
と、宇佐美蒼司は言った。




