第98話 麗子様は可愛い妹分を手に入れる。
「麗子お姉様、私ね……」
うんうん、なんだい水面ちゃん。何でも聞いてあげるからお姉様に言ってごらん。
「水面って名前大っ嫌いなの」
ええー、水面って可愛じゃん。ちょっとキラキラっぽいけど。水面だけに。
「うーん、どうして嫌いなんですの?」
「だって、クラスの子がおかしいって笑うの」
どうやら自己紹介したらクラスの男の子に「水面」って茶化されたらしい。小学生じゃ「みなも」なんて読めないもんね。『すいめん』と読めただけでも凄いけど。さすが大鳳の生徒。
「私も字が可愛くないって思ってたし」
まあ、字面だけみれば『水面』はちょっと可愛いさが足りんかもしれん。
「水面、お前はまだそんなことを言って」
「だってお兄様、みんな変だって言ってるわ」
早見が困り顔で窘めると水面ちゃんが口を尖らせた。うーん、そんな顔もラブリー。大人びた雰囲気があってもやっぱり小学生よね。
「お父様もお母様もどうしてこんなおかしな名前にしたの?」
「二人が水面のことを思って一生懸命に考えた名前だろ」
「嘘よ。だってお兄様は瑞樹って普通の名前じゃない」
まあ、瑞樹に比べたら水面は変化球が効いてるか。和風イケオジと大和撫子な早見夫妻が名付けたと知れば趣あるって思えるけど。まさかあの二人が響きがかわいーいー、なんて軽い気持ちでキラキラネームにするような親でもなかろうし……ないわよね?
「こんな名前イヤ!」
「父さんと母さんが付けてくれた名前になんてことを言うんだ」
あらあら珍しい。早見が困り果てとる。愛妹の我がままにペースを乱されておるわ。なかなかレアじゃ。ウケケケ、いいぞ水面ちゃん、もっとやれ。
なんだ滝川、その呆れ顔は。えっ、「助けてやらんのか?」ですって?
どうして私が早見を助けなきゃならん。ボケとんのか。お前らは我の敵ぞ。だいたい、早見はテメェの親友やろが。自分で助けい。いつもいつも他力本願なやっちゃ。
「イヤイヤ水面なんて。もっと可愛い名前に変えて」
「あまり我がままを言うんじゃない!」
おうおう、早見。マイスイートエンジェルを怒鳴るとは何事ぞ。
「お兄様なんてもう知らない!」
あーあ、水面ちゃん泣いちゃったじゃんかよ。
「お兄様もお父様もお母様も、みんなみんな大っ嫌い!」
愛妹の精神攻撃に早見がガーンって音が聞こえるほどショック受け取る。いい気味だ。ザマァ。
あらあら、水面ちゃんが私の膝でわんわん声を張り上げ泣き出しちゃった。早見はいよいよ再起不能。滝川はオロオロして相変わらずの役立たず。
全く男ってヤツは頼りにならん。仕方がない。おーよしよし、水面ちゃん、麗子お姉様がたーんと慰めてあげる。
頭を優しく撫でてたら少し落ち着いたみたい。水面ちゃんがおずおずと顔をあげて「スカートを涙で汚してごめんなさい」だって。うんもうっ、なんて素直で良い子!
水面ちゃんの清らかな涙なら最高のご褒美です。
「さあ、これで涙をお拭きなさい」
ハンカチを取り出して水面ちゃんの目に当てると、はにかみながら私を上目使いで見上げる水面ちゃん。やっぱり家の子にならない?
「麗子お姉様が本当のお姉様だったら良かったのに」
「ふふふ、私も水面ちゃんみたいな妹が欲しかったですわ」
なんなら今からでも家の子になるかい?
水面ちゃんならいつでも大歓迎やでー。
「清涼院家に生まれてたら良かった」
「こらっ、水面!」
水面ちゃんの発言に早見が本気で怒った。まあ、気持ちは分かるけど。両親も自分も全否定されたようなもんだからね。
だけど早見よ、叱っても逆効果ぞ。他人の家が良く見えるのは、ちっちゃな時には一度は患う麻疹みたいなもんだからな。
私だって何度清涼院家に生まれなければと思ったことか。そうすれば悪役お嬢様の宿命に苛まれずに済んだのに。
だから、何か言いたげな早見に右手を挙げて黙らせる。ここは私に任せい。一肌脱ごうじゃないか。お前はどーでも良いが、腐ァザーは同志やからな。水面ちゃんもほっとけないし。
「水面ちゃん、今の発言はおじ様もおば様も悲しむと思いますわよ」
「でもでも、私も麗子お姉様みたいな素敵な名前が良かったわ」
うーん、麗子は素敵って言うよりありきたりと思うけど。
「あら、私はみなもって素敵だと思いますわよ?」
水面。まさに名は体を表すとは水面ちゃんの為にある言葉よね。みなもって響きは可愛い中に雅さもあって、マイエンジェル水面ちゃんにぴったり。
「私もみなもって響きは好きなの。でも、漢字が可愛くないわ。水面って呼ばれるし」
うんうん、子供って名前で揶揄われるととっても傷つくもんねー。
「せめてひらがなだったら良かったのに」
そうよねー。ひらがなの方が可愛いもんねー。
「麗子お姉様もそう思いますよね?」
「そうですわね。水面ちゃんの気持ちも良く分かりますわ」
私が頷いて頭を撫でると水面ちゃんが破顔した。自分の意見を肯定されたのがよっぽど嬉しかったみたい。腹黒堕天使から否定ばっかされて居た堪れなかったのよね。
カバンから筆記具を出してノートにさらさらっと『みなも』と『水面』って書く。それを見せると水面ちゃんは「やっぱりひらがなの方が可愛い」と私に同意を求めてきた。
「そうですわね。ひらがなの方が可愛いですわね」
「えへへへ、麗子お姉様もそう思いますよね」
早見と滝川がソワソワと何か言いたそうにしとるが無視無視。
「ですが、よーく見比べてみてくださいまし」
私に言われて素直に文字を交互に見る水面ちゃん。考え込んじゃってかわいーいー。私が何を言おうとしているか一所懸命に考えてる。
「ひらがなの『みなも』はとても可愛いですわね。でも、見た時に何を意味するか想像できまして?」
「……いいえ、できません」
「では漢字の方はいかがかしら?」
「……すぐ分かります」
少しずつ私が言わんとするところを察して、水面ちゃんが警戒するように私の顔色を窺う。きっと腹黒ヤローみたいに頭ごなしに全否定されると恐がっとるんやろーな。早見め、水面ちゃんを虐めよって。後で折檻じゃ。
「ねっ、ひらがなにはひらがなの、漢字には漢字の良さがお分かりになるでしょう?」
「でもでも麗子お姉様、漢字の意味は水面です。名前としては変です」
「水面ちゃんの年頃ではまだ理解するのは難しいですわね」
水面など物質的な水の面しか連想できへんから無理もない。
「ですが、きっと水面ちゃんも大人になれば、ご自分の名前が大好きになりますわ」
「麗子お姉様もお好きなんですか?」
「ええ、とっても大好きですわ」
間髪を入れず即答する。だって、素敵じゃない。心からそう思うわ。
「水面ちゃん、水面と呼べば水の表面でしかありません。でも、漢字を想像しながら水面と呼ぶと自然の情景が鮮やかに浮かんできますわ」
目を閉じれば瞼の裏に美しい湖が浮かぶようではありませんか。
「そよぐ風に細波が立ち、陽射しを乱反射してキラキラと輝く水面はとても幻想的な情景。それはとても穏やかで、とても清らかで、とても美しい」
水面ちゃんが一所懸命に私の言葉に耳を傾けている。私の言葉はまだ幼い水面ちゃんには難しい。それでも理解しようと必死な水面ちゃんが健気で愛おしい。
「きっと、お父様もお母様も水面ちゃんにそんな感性豊かな心の美しい子に育って欲しいと願っておられるのでしょう。そこに込められたお二人の水面ちゃんへ注がれたたっぷりの愛情を感じますわ」
「私には良く分かりません」
素直に答える水面ちゃんの頭を優しく撫でる。
「今はまだ理解できずとも、一つずつ年を重ねるごとに良さが分かって好きになりますわ」
「本当に好きになれますか?」
「ええ、もちろん」
自分の名前が嫌いになるのは寂しいもんね。やっぱ、水面ちゃんの名前をバカにしたヤツはシメておくしかないな。
「だから、もう少しだけご自分の名前を嫌いにならずにお付き合いくださいませ」
私の説得くらいで傷付いた水面ちゃんの名前へのコンプレックスが完全に解消できたとは思えない。だけど、名前を嫌いになる前にちょっとばっかし執行猶予をくださいな。
うーん、ちぃとばっかし説教臭かったかな。
水面ちゃんに嫌われなければいいんだけど。
なーんて危惧してたけど、後日めっちゃ懐かれました。ぐへへへ。




